利益の民主政と理念の民主政のジレンマに、アメリカのリベラルに答えはあるのか 第15回
4) リベラルの混迷と出口探しの行方
4-1) リベラルの系譜)(その3)
エリートと官僚が作る政策と一線を画する草の根の市民運動である。シカゴはそのリベラル市民運動の実験場であった。シカゴのリベラル派は、1940年代のアリンスキーの労働運動に始まる。コミュニティ・オーガナイザーという職業運動指導者を作りだした。かれらが企業や行政、中央政府と折衝する専門家である。後になって彼らが大統領側近の新たなエリートを構成してゆくのである。利害当事者を代表して、時にはロービーイスト、圧力団体となる。1970年以降、地域密着型の草の根政治運動が展開した。その牽引役が「シチズン・アクション」という組織であった。その開拓者がヘザー・ブースであった。活動家を組織して住民運動を起こす手法である。ロバート・クレ―マーが消費者運動の「イリノイ公共行動協議会」を設立し、これがのちの「シチズン・アクション」の中核となる。クレーマーはアリンスキーの労働運動からスタートした。「イリノイ公共行動協議会」の参謀役プログラムディレクターであったのが、後の下院議員ジャン・シャコウスキーである。教会に連帯を求める信仰型オーガナイズを拡大した。1980年代の第2世代の指導員に後のオバマ大統領がいた。市民運動は民主党議員と連帯し選挙応援を行い、ポピュリスト議連(コーカス)を形成した。上院では後の大統領候補ゴアがいた。「シチズン・アクション」の医療政策専門家であったキャシー・ハーウィットは、後にクリントン政権の医療保険改革に貢献した。彼は後のオバマケア実現の絶え役者である。2000年代のオバマ擁立運動の背後には、こうした革新的ポピュリズムのネットワークがあった。ジャン・シャコウスキーはキャシー・ハーウィットのスタッフをオバ上院議員に預け、クレーマーは民主党全国委員顧問としてオバマ再選を指揮した。ヘザー・ブースはシチズン・アクションに代わる「USアクション」を立ち上げ、オバマの支持団体OFAと連携した。1980年代革新的ポピュリズム運動の裏側で民主党を穏健化するグループ「ニュー・デモクラット」が活動した。アル・フロムが1985年民主党指導者会議DCLを創設し、中道化路線を推進し、1992年ビル・クリントンを大統領にして政策実現力(権力)を手に入れた。ビル・クリントンの中道化とは経済成長と国際競争力を重視するビジネスに親和的な政策のことである。lこうしたビジネス寄りによる中道化のニュー・デモクラットは、「ブルー・ドッグズ」という民主党保守派とは支持基盤が異なっている。「ブルー・ドッグズ」は南部農村の中低所得者層が基盤である。キリスト教文化でかなり保守的である。「ニュー・デモクラット」の州知事であったビル・クリントンはリベラリズムを修正し大きな政府ではないが積極的に機能する政府」をスローガンとして大統領選に勝利した。クリントンは1996年の福祉改革法で補助金削減をする緊縮財政と規制緩和による経済の成長で一時的であるが財政収支の黒字化に成功した。この政策は「第3の道」(三角戦略)と呼ばれ、イギリスのブレアー首相にも影響を与えた。1994年クリントンは北米自由貿易協定NAFTAを発効させた。2000年代にブッシュのイラク戦争をめぐって、「ニュー・デモクラット」は民主党指導者会議がイラク戦争を擁護したため、大きな後退を余儀なくされた。「安保に強い民主党」への衣替えに失敗したのである。民主党は分裂し、反戦リベラル派が中道派より多数を占めた。2008年大統領選でイラク戦争反対派のオバマが、予備選でヒラリーを破った。2011年「ニュー・デモクラット」は解散した。オバマ政権は政権発足じ、大型景気刺激策、自動車産業の救済などの成果をだし、さらに中間選挙に向けて医療保険改革に特化したが、この政策は保守派の反発とテーパーティー運動の台頭を招いた。2010年中間選挙敗北後にオバマは突如として中道旋回を行った。ブッシュ減税の2年延長を行い、JPモルガンのチュースを主席補佐官に招き金融界との妥協を図った。またFTA自由貿易路線を取って、TPPへの道を開いた。中道路線は党内リベラル派を失望させたが、「経済政策で中道化、社会問題政策ではリベラル派堅持」という戦略であった。ところがオバマは2011年秋からあっという間に労働者寄りの左旋回を行った。雇用対策公共事業、インフラ整備、金融規制強化、起業企業への税制優遇策など製造業重視の政策に転換した。まさしく「大きな政府」への復活であった。2013年オバマは二期再選をはたして、重要政策を包括型移民制度改革と銃規制法に据えて、一転してリベラルな政策実現を目指した。しかし包括型移民制度改革は全くの空振りで終わり法案を描くこともできなかった。銃規制法も同じであった。政策実行力においてオバマはもはや「死に体」に過ぎなくなった。
(つづく)
4) リベラルの混迷と出口探しの行方
4-1) リベラルの系譜)(その3)
エリートと官僚が作る政策と一線を画する草の根の市民運動である。シカゴはそのリベラル市民運動の実験場であった。シカゴのリベラル派は、1940年代のアリンスキーの労働運動に始まる。コミュニティ・オーガナイザーという職業運動指導者を作りだした。かれらが企業や行政、中央政府と折衝する専門家である。後になって彼らが大統領側近の新たなエリートを構成してゆくのである。利害当事者を代表して、時にはロービーイスト、圧力団体となる。1970年以降、地域密着型の草の根政治運動が展開した。その牽引役が「シチズン・アクション」という組織であった。その開拓者がヘザー・ブースであった。活動家を組織して住民運動を起こす手法である。ロバート・クレ―マーが消費者運動の「イリノイ公共行動協議会」を設立し、これがのちの「シチズン・アクション」の中核となる。クレーマーはアリンスキーの労働運動からスタートした。「イリノイ公共行動協議会」の参謀役プログラムディレクターであったのが、後の下院議員ジャン・シャコウスキーである。教会に連帯を求める信仰型オーガナイズを拡大した。1980年代の第2世代の指導員に後のオバマ大統領がいた。市民運動は民主党議員と連帯し選挙応援を行い、ポピュリスト議連(コーカス)を形成した。上院では後の大統領候補ゴアがいた。「シチズン・アクション」の医療政策専門家であったキャシー・ハーウィットは、後にクリントン政権の医療保険改革に貢献した。彼は後のオバマケア実現の絶え役者である。2000年代のオバマ擁立運動の背後には、こうした革新的ポピュリズムのネットワークがあった。ジャン・シャコウスキーはキャシー・ハーウィットのスタッフをオバ上院議員に預け、クレーマーは民主党全国委員顧問としてオバマ再選を指揮した。ヘザー・ブースはシチズン・アクションに代わる「USアクション」を立ち上げ、オバマの支持団体OFAと連携した。1980年代革新的ポピュリズム運動の裏側で民主党を穏健化するグループ「ニュー・デモクラット」が活動した。アル・フロムが1985年民主党指導者会議DCLを創設し、中道化路線を推進し、1992年ビル・クリントンを大統領にして政策実現力(権力)を手に入れた。ビル・クリントンの中道化とは経済成長と国際競争力を重視するビジネスに親和的な政策のことである。lこうしたビジネス寄りによる中道化のニュー・デモクラットは、「ブルー・ドッグズ」という民主党保守派とは支持基盤が異なっている。「ブルー・ドッグズ」は南部農村の中低所得者層が基盤である。キリスト教文化でかなり保守的である。「ニュー・デモクラット」の州知事であったビル・クリントンはリベラリズムを修正し大きな政府ではないが積極的に機能する政府」をスローガンとして大統領選に勝利した。クリントンは1996年の福祉改革法で補助金削減をする緊縮財政と規制緩和による経済の成長で一時的であるが財政収支の黒字化に成功した。この政策は「第3の道」(三角戦略)と呼ばれ、イギリスのブレアー首相にも影響を与えた。1994年クリントンは北米自由貿易協定NAFTAを発効させた。2000年代にブッシュのイラク戦争をめぐって、「ニュー・デモクラット」は民主党指導者会議がイラク戦争を擁護したため、大きな後退を余儀なくされた。「安保に強い民主党」への衣替えに失敗したのである。民主党は分裂し、反戦リベラル派が中道派より多数を占めた。2008年大統領選でイラク戦争反対派のオバマが、予備選でヒラリーを破った。2011年「ニュー・デモクラット」は解散した。オバマ政権は政権発足じ、大型景気刺激策、自動車産業の救済などの成果をだし、さらに中間選挙に向けて医療保険改革に特化したが、この政策は保守派の反発とテーパーティー運動の台頭を招いた。2010年中間選挙敗北後にオバマは突如として中道旋回を行った。ブッシュ減税の2年延長を行い、JPモルガンのチュースを主席補佐官に招き金融界との妥協を図った。またFTA自由貿易路線を取って、TPPへの道を開いた。中道路線は党内リベラル派を失望させたが、「経済政策で中道化、社会問題政策ではリベラル派堅持」という戦略であった。ところがオバマは2011年秋からあっという間に労働者寄りの左旋回を行った。雇用対策公共事業、インフラ整備、金融規制強化、起業企業への税制優遇策など製造業重視の政策に転換した。まさしく「大きな政府」への復活であった。2013年オバマは二期再選をはたして、重要政策を包括型移民制度改革と銃規制法に据えて、一転してリベラルな政策実現を目指した。しかし包括型移民制度改革は全くの空振りで終わり法案を描くこともできなかった。銃規制法も同じであった。政策実行力においてオバマはもはや「死に体」に過ぎなくなった。
(つづく)