京都市伏見区 浄土宗「大光寺(伏見の宮ゆかりの寺)」
柄谷行人著 「世界史の構造」 岩波現代文庫(2015年)
柄谷行人著 「世界史の構造」 岩波現代文庫(2015年)
第二部 世界=帝国 (その9)
第4章 普遍宗教
④ 倫理的予言者
ペルシャのゾロアスターが最初の倫理的予言者である。カーストの祭司階級を否定し、善と悪の戦う場として社会や歴史を見た。倫理的予言者の代表はやはりユダヤ教であろう。ユダヤ教は遊牧民のユダ12氏族の盟約共同体として始まった。旧約聖書では「神との契約」(紀元前13世紀ごろのモーセの十戒)が神話時代の最後に語られる(出エジプト記)。部族の契約は神の盟約でもあった。契約は双務的(互酬的)である。部族固有の神との盟約である。バビロン捕囚後には互酬性がなくなり普遍宗教への移行がみられる。ユダヤはカナンの地に移住してからは遊牧民と農耕民の宗教である。そしてダビデ、ソロモンに至ってアジア的な専制国家として繁栄した。普遍宗教となるのは、ユダとイスラエルへの分裂とバビロン幽閉という帝国衰退期の事である。国家の滅亡と苦難期に新たな神の概念が生まれた。国家の敗北は神の敗北ではなく、人々が神を無視したことによる懲罰であるという。ここで互酬性はなくなった。知識人階層が増え、商業従事者が主役となったからであろう。こうして農耕共同体や支配者、祭司から離れ、個人として存在した。その個人が「神と人間との契約」という形をとった。バビロン捕囚期に部族的拘束から離れた自由・平等な個人の連合体となった。普遍宗教としてのユダヤ教はバビロンにおいて生まれた。フロイトは「モーセと一神教」において、ヤハウエ神が人間の意志を越えた超越的で脅迫的な神となったかを説明した。モーセの神が遊牧部族民社会の倫理、独立性と平等性であるとするならば、ソロモンの専制国家の時代にその神は一度は殺されたのである。それがバビロンの捕囚による困難期に「抑圧されたものの回帰」として、交換様式Aが高次元で回復されたというべきであろうか。
⑤ 神の力
部族宗教としてのユダヤ教は、イスラエル王国の分裂・滅亡とともに捨てられた、多くのイスラエル人はほかの国家に吸収された。普遍宗教となってユダヤ教が復活したのはバビロン捕囚となった人々においてである。唯一神ヤハウエを彼らが信じたのは、共同体や国家の強制ではない。ユダヤ教はユダヤ民族が選んだ宗教ではなく、ユダヤ教を信じる人々をユダヤ人と呼んだのである。ユダヤ教がユダヤ民族を作ったのである。ユダヤ教はローマ帝国の時代に各地に広まり、ヘレニズムの時代に普遍化した。ユダヤ人の部族宗教と普遍宗教が拮抗したとき、普遍性を選ぶキリスト教が生まれた。どちらが普遍的であるとは一概には言えない。キリスト教が拡大するとき、共同体や国家の宗教を多分に取り込んでいるからだ。普遍宗教の神は超越的である。しかし同時に個人にとって内在的である。
⑥ キリスト教
イエスはユダヤ教の予言者であった。かれはパリサイ人や律法学者を徹底的に批判した。彼は国家、伝統的共同体、貨幣経済のいずれも否定した。普遍宗教は交換様式Dとして、交換様式A,B,Cを否定する形で現れた。新約聖書の各書にはその典型的な例を示される。祭司・律法学者・家族・共同体を否定した。私有財産は貨幣経済とともに富の不平等・階級分化の権化として切り捨てられた。「神を愛せよ、隣人を愛せよ」は無償の贈与を意味し、キリストの集団は共産主義的(アソシエーション)であった。互酬的共同体を志向した。イエスをキリスト(救済主)に仕立て上げたのは聖パウロであった。ユダヤ教徒は承服しないであろうが、非ユダヤ教徒には受け入れられる。イエスの教えはユダヤ教を越えてローマ帝国に浸透した。それとともにキリスト教団も変質した。教団は司祭によって統治される階層社会になった。教団は何度もローマ帝国によって弾圧されたが、「悪しき者に逆らうな」というようにローマ帝国の支配に反抗せず、奴隷制にも異を唱えなかった。ローマ帝国がキリスト教を受け入れ国教にしてからは、皇帝の権威を高めることに貢献した。こうして普遍宗教は帝国に浸透すると同時にその支配に組み込まれた。教皇=皇帝となった。それほど皇帝の力が弱かったのである。ローマ教会は封建諸侯の分立状態で、精神界の世界帝国の統一を維持した。キリスト教は世界宗教になったが、これはもはや普遍宗教とはいえなない。
(つづく)