ブログ 「ごまめの歯軋り」

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出 隆 訳 アリストテレス著「形而上学」

2021年07月31日 | 書評
京都市中京区   水炊きや「鳥弥三」

出 隆 訳 アリストテレス著「形而上学」 

岩波文庫(1961年2月)上・下(その8)


第1部 アリストテレス「形而上学」の概要

第4巻(Γ) - 第一義的存在(全8章)
第1章 - 存在としての存在とその自体的属性を対象とする学の必要性、諸存在の「最高の原因」を求める我々の学(第一哲学)は存在を存在として研究しその「第一の諸原理」を求める 
第2章 - それゆえ我々は「第一義的存在」すなわち実体を研究し、その自体的諸属性、一と多、その他それから派生する種々の対立的根本概念を研究せねばならない、この「哲学者の学」は、「弁証家の術」とも「ソフィストの術」とも異なる
第3章 - また我々の学は実体を研究する他に、論証の諸前提・諸公理、ことに矛盾律についても考えねばならない
第4章 - 矛盾律に論証を求めるべきではない、矛盾律否定の不可能性は弁駁的に証明される、矛盾律の否定者に対する7つの弁駁
第5章 - プロタゴラスの感覚的相対主義に対する論難
第6章 - 相対主義に対する論難の続き 
第7章 - 排中律とその擁護 
第8章 - 全ての立言が真であるのでもなく偽であるのでもない、全ての事物が静止しているのでも運動しているのでもない

第5巻(Δ) - 哲学用語辞典(全30章)
第1章 - 「アルケー」(始まり、原理、始動因)                
第2章 - 「アイティオン」(原因)                                
第3章 - 「ストイケイオン」(構成要素、元素)                            第4章 - 「ピュシス」(自然、実在)                                 第5章 - 「アナンカイオン」(必然、必要)、「アナンケー」(必然性)                   第6章 - 「ヘン」(一つ、一、統一)、「ポラ」(多)                           
第7章 - 「オーン」(有、存在)                                   第8章 - 「ウーシア」(実体)                                   第9章 - 「タウタ」(同じ、同一)、「ヘテラ」(他、異)、「ディアフォラ」(差別、差異、種差)、「ホモイア」(同様、類似)、「アノモイア」(不類似、不同様)                       第10章 - 「アンティケイメナ」(対立)、「エナンティア」(反対)、「ヘテラ・トーエイデイ」(種において異なる)、「タウタ・トーエイデイ」(種において同じ)                     第11章 - 「プロテロン」(先)、「ヒステロン」(後)                          第12章 - 「デュナミス」(能力、可能性)、「デュナトン」(有能、可能)、「アデュナミア」(無能力)、「アデュナトン」(無能、不可能)、幾何学における「デュナミス」(べき、累乗)             第13章 - 「ポソン」(量、分量)                                  第14章 - 「ポイオン」(性質)                                  第15章 - 「プロス・ティ」(相対的、関係的、関係)                          第16章 - 「テレイオン」(全くの、完全な)                            第17章 - 「ペラス」(限り、限界)                                 第18章 - 「カト・ホ」(それでのそれ)、「カト・ハウト」(それ自らで、自体的に)             
第19章 - 「ディアテシス」(状況、配置)                              第20章 - 「ヘクシス」(所有、状態)                               
第21章 - 「パトス」(受動、様態、属性、限定)                             第22章 - 「ステレーシス」(欠除)                                        第23章 - 「エケイン」(持つ、保つ)                                第24章 - 「ト・エク・ティノス、エイナイ」(あるものから・・・ある)                           
第25章 - 「メロス]」(部分)                                                                                        第26章- 「ホロン」(全体)、「パン」(総体)、「タ・パンタ」(全てのもの)                 第 27章 - 「コロボン」(毀損された、不具の)                            第 28章 「ノス」(種族、類)、「ヘテラ・トー・ゲネイ」(類を異にする)                                                                                                               2第9章 - 「プセウドス」(偽、虚偽、誤謬)                                                                                        第30章 - 「シンベベーコス」(付帯的、偶然的)

(つづく)

出 隆 訳 アリストテレス著「形而上学」

2021年07月30日 | 書評
京都市上京区   「頂本寺山門」

出 隆 訳 アリストテレス著「形而上学」 

岩波文庫(1961年2月)上・下(その7)


第1部 アリストテレス「形而上学」の概要

第1巻(Α) - 序論(四原因について(全10章)

第1章 - 全ての人間は「知る」を欲する、人間の知能は感覚・記憶・経験知・技術知を経て知恵に進む、知恵または哲学は「第一の原因・原理」を対象とする棟梁的な額である
第2章 - 一般的見解における知恵の諸特徴、我々の求める「最高の知恵」(神的な学)の本性と目標 
第3章 - 我々の主張する四原因(形相因・質料因・始動因・目的因) --- 最初の哲学者たちはまず質料因を、次に始動因を、アナクサゴラスは目的因にも気付いた 
第4章 - 彼らの原因の未熟 --- エンペドクレスの二つの相反する始動因、彼の「四元素説」とデモクリトスの「原子説」
第5章 - ピュタゴラス派とエレア派の原因に関する見解 --- ピュタゴラス派では形相因(本質)が暗に求められていた
第6章 - プラトン哲学の起源、プラトンが設定した三種の存在(諸々のイデア、感覚的事物、その中間)、この哲学では形相と質料の二種のみが原因として考えられた
第7章 - 四原因に対するこれまでの諸哲学者の態度 
第8章 - ソクラテス以前の諸哲学者の原因の使い方に対する批判
第9章 - プラトンのイデア説に対する23ヶ条の批判
第10章 - 結論 --- 以上の考察は、求めるべき原因の種類が、我々の主張する通り四つあり、それ以上でもそれ以下でもないことを確証する

第2巻(α) - 心得(全3章)

第1章 - 真理の研究についての心得、理論的な学の目的は「真理」、原因と真理の認識
第2章 - 原因結果の系列も原因の種類も無限ではない、原因の種類は四つあり、原因の系列にも結果の系列にも限りがある
第3章 - 研究方法についての心得、研究対象が異なるに応じて研究方法も異なる

第3巻(Β) - 哲学的問題集(全6章)

第1章 - 研究にあたっての難問の所在と意義を明らかにしておく必要がある --- 哲学の諸難問(全14問)列挙 
第2章 - 1.ただ一つの学ですべての種類の原因が研究され得るか、2.実体についての学が論証の諸原理(諸公理)をも研究するのか、もししないならいかなる学がそれを研究するのか、3.ただ一つの学であらゆる種類の実体が研究され得るか、5.実体の学がその実体の属性をも研究するのか、4.感覚的でない実体があるか、あるとすれば何種類あるか 
第3章 - 6.事物の原理とされるべきはその事物の「類」なのか、「内在的構成要素」なのか、7.「類」が原理であるにしてもそれは「最高の類」であるか「最低の類」であるか
第4章 - 8.存在するのは個々の事物のみか、別のある何ものかが存在するのか、9.諸原理は「種」において一つか、「数」において一つか、10.消滅的なものと不滅的なものの原理は同じか否か、11.「存在」や「一」は存在する事物の実体か属性か
第5章 - 14.数学の諸対象は実体か否か
第6章 - (15.なぜ感覚的事物や数学的対象の他に、諸々のイデアが存在するとしなくてはならないのか)、13.原理・構成要素が存在するのは可能的にか現実的にか、12.原理は普遍的

(つづく)


出 隆 訳 アリストテレス著「形而上学」

2021年07月29日 | 書評
京都市上京区   「楽焼発祥の地」

出 隆 訳 アリストテレス著「形而上学」 

岩波文庫(1961年2月)上・下(その6)


第1部 アリストテレス「形而上学」の概要

全14巻から成るアリストテレス「形而上学」各巻の概要を示す。
• 第1巻(Α) - 序論(四原因について) (全10章)
• 第2巻(α) - 心得 (全3章)
• 第3巻(Β) - 哲学的問題集 (全6章)
• 第4巻(Γ) - 第一義的存在 (全8章)
• 第5巻(Δ) - 哲学用語辞典 (全30章)
• 第6巻(Ε) - 存在 (全4章)
• 第7巻(Ζ) - 実体 (全17章)
• 第8巻(Η) - 質料 (全6章)
• 第9巻(Θ) - 可能態・現実態 (全10章)
• 第10巻(Ι) - 「一」について(全10章)
• 第11巻(Κ) - 諸論要約 (全12章)
• 第12巻(Λ) - 不動の動者 (全10章)
• 第13巻(Μ) - 非感覚的実体 (全10章)
• 第14巻(Ν) - 数 (全6章)

その詳細目次と内容を下に示す。
第1巻(Α) - 序論(四原因について) (全10章)
第1章 - 全ての人間は「知る」を欲する、人間の知能は感覚・記憶・経験知・技術知を経て知恵に進む、知恵または哲学は「第一の原因・原理」を対象とする棟梁的な額である
第2章 - 一般的見解における知恵の諸特徴、我々の求める「最高の知恵」(神的な学)の本性と目標 
第3章 - 我々の主張する四原因(形相因・質料因・始動因・目的因) --- 最初の哲学者たちはまず質料因を、次に始動因を、アナクサゴラスは目的因にも気付いた 
第4章 - 彼らの原因の未熟 --- エンペドクレスの二つの相反する始動因、彼の「四元素説」とデモクリトスの「原子説」
第5章 - ピュタゴラス派とエレア派の原因に関する見解 --- ピュタゴラス派では形相因(本質)が暗に求められていた
第6章 - プラトン哲学の起源、プラトンが設定した三種の存在(諸々のイデア、感覚的事物、その中間)、この哲学では形相と質料の二種のみが原因として考えられた
第7章 - 四原因に対するこれまでの諸哲学者の態度 
第8章 - ソクラテス以前の諸哲学者の原因の使い方に対する批判
第9章 - プラトンのイデア説に対する23ヶ条の批判
第10章 - 結論 --- 以上の考察は、求めるべき原因の種類が、我々の主張する通り四つあり、それ以上でもそれ以下でもないことを確証する

(つづく)


出 隆 訳 アリストテレス著「形而上学」 

2021年07月28日 | 書評
京都市左京区  大原三千院 「大原女撮影会」

出 隆 訳 アリストテレス著「形而上学」 

岩波文庫(1961年2月)上・下(その5)


序に代えて

序-4) アリストテレスの形而上学

形而上学は、哲学の伝統的領域の一つとして位置づけられる研究で、歴史的には、アリストテレスが「第一哲学」と呼んだ学問に起源を有し、「第二哲学」は自然哲学、今日でいうところの自然科学を指していた。 形而上学における主題の中でも最も中心的な主題に存在(existence)の概念があるが、これは、アリストテレスが第二哲学である自然哲学を個々の具体的な存在者についての原因を解明するものであるのに対し、第一哲学を存在全般の究極的な原因である普遍的な原理を解明するものであるとしたことに由来する。そして存在をめぐる四つの意味を検討してから存在の研究は実体(substance)の研究であると見なして考察した。アリストテレスの研究成果は中世のスコラ哲学における普遍論争の議論へと引き継がれることになる。近代になるとデカルトはあらゆる存在を神の存在によって基礎付けてきた中世の哲学を抜本的に見直し、あらゆる存在証明の論拠を神の自明な存在から、思推している人間の精神に置き換えて従来の形而上学を基礎付け直そうとした。形而上学では、存在論の他に、神、精神、自由の概念等が伝統的な主題とされ、精神や物質もしくは数や神のような抽象的な事柄が存在するか、また人間という存在は複雑に組み立てられた物質的な体系として定義できるかどうか、などが問われてきた。 形而上学の研究には心理学的、宇宙論的、存在論的、神学的な関心に基づいた研究もあるにもかかわらず、形而上学は哲学的方法に基づいた研究であり、物理学や心理学や生物学といった科学的方法に基づいた自然諸科学や、特定の聖典や教義に基づいた神学と区別される。

歴史の中で、形而上学的な問題の研究であれば、古代ギリシアに遡ることができる。ソクラテス以前の哲学者と呼ばれる古代ギリシアの哲学者は、万物の根源を神でなく、人によってその内実は異なるにせよ何らかの「原理」(アルケー)に求めたのであって、哲学はもともと形而上学的なものであったともいえる。 ソクラテスやプラトンも、現象の背後にある真因や真実在、「ただ一つの相」を探求した。 しかし、形而上学の学問的な伝統は、直接的には、それらを引き継いだ古代ギリシアの哲学者アリストテレスの『形而上学』に始まる。彼の著作は西暦30年頃アンドロニコスにより整理されたが、その際『タ・ピュシカ』(自然についての書)に分類される自然学的書作群の後に、その探求の基礎・根本に関わる著作群が置かれた。その著作群は明確な名を持たなかったので、初期アリストテレス学派は、この著作群を、『タ・メタ・タ・ピュシカ』(自然についての後の書))と呼んだ。これが短縮され、『メタピュシカ』として定着、後の時代の各印欧語の語源となり、例えば英語では「メタフィジックス」(metaphysics)という語となった。
上記のごとく、書物の配置に着目した仮の名称「meta physika(自然・後)」が語源なのだが、偶然にも、その書物のテーマは"自然の後ろ"の探求、すなわち自然の背後や基礎を探るものであり、仮の名前が意味的にもぴったりであったので、尚更その名のまま変更されずに定着した。アリストテレスの著作物の『形而上学』では存在論、神学、普遍学と呼ばれ西洋形而上学の伝統的部門と現在みなされている三つの部分に分けられた。また、いくつかのより小さな部分、おそらくは伝統的な問題、すなわち哲学的語彙集、哲学一般を定義する試みがあり、そして『自然学』からのいくつかの抜粋がそのまま繰り返されている。
• 存在論は存在についての研究である。それは伝統的に「存在としての 存在の学」と定義される。
• 神学はここでは神あるいは神々そして神的なものについての問いの研究を意味する。
• 普遍学は、全ての他の探求の基礎となるいわゆるアリストテレスの第一原理の研究と考えられる。そのような原理の一つの例は矛盾律「あるものが、同時にそして同じ点で、存在しかつ存在しないことはありえない」である。特殊なリンゴは同時に存在し、かつ存在しないことはありえない。普遍学あるいは第一哲学は、「存在としての存在」を扱う―それは、誰かが何かある学問の個別的な詳細を付け加える前に全ての学問への基礎となるものである。これは、因果性、実体、種、元素といった問題を含む。

(つづく)



出 隆 訳 アリストテレス著「形而上学」

2021年07月27日 | 書評
京都市左京区  黒谷光明寺 「鳥羽伏見の役 会津藩殉難者の墓」

出 隆 訳 アリストテレス著「形而上学」 

岩波文庫(1961年2月)上・下(その4)


序に代えて

序-3) アリストテレスの「自然学」概要

動物と霊魂(人): 身体の部分には器官的部分と感覚的部分があり、器官的部分(目、鼻、口、指・・)を構成するのは異質部分である。異質部分はそれぞれが成すべき仕事(形相)を持つ。ここでアリストテレスは見てきたようなウソを言う。生命の発生に順序があり、まず心臓、そして脳髄、順次器官が発生するという。これはアリストテレスが心臓を生命の中枢と見たためで、脳髄は心臓の熱の冷却器官だという。時代の制約は誰しもある事なので、こんなことにこだわっていてはアリストテレスの本質に迫ることはできないので先に進もう。これらの同質部分(血液など)と異質部分(器官)から身体は構成され、さらに形相(本質)が必要である。この形相が霊魂である。従って身体は霊魂のための存在し、霊魂のために身体は仕事をするのだという。ここに霊魂とは、精神、理性、意志、心理のことで自然科学の対象である。アリストテレスは霊魂を「可能的に生命を持つ自然的物体の第1の現実態である」と定義した。霊魂は身体の現実態、身体は霊魂の可能態である。だから身体と霊魂は互いに離れて存在することはできない。離れた場合身体は屍と呼ばれる。霊魂は生物の生命である。生命の中枢は心臓である。当時の解剖学も神経系統の存在を知らなかった。かれは脳を感覚神経の集まる中枢とする説を知っていたが、生命の座としての心臓は同時に感覚の座であるという考えに固執した。感覚器官は対象の運動、静止、数、大きさ、時間を認識し(共通感覚)、これ等によって欺かれることはないと考え、感覚は対象が持つ形相(本質)を、それぞれの質料を抜きにして受け入れるとアリストテレスは考えた。アリストテレスは感覚能力に判別能力をもつとして、共通感覚は知識獲得の第1歩をなすと考えた。自然的諸事物が現れ、見えてくるところの能力(表象)は感覚やその能力とは違う。すなわち特殊感覚や知識による認知は常に真であるが、表象によるものは真でも偽でもありうる。これは認識論において共通感覚に誤りが多いとされる根拠である。それは表象に基づくからである。
従って彼は「表象像は共通感覚の一様態である」という。記憶も想起も夢もすべて表象能力、すなわち感覚能力の働きである。かれは表象を感覚的表象と熟慮的表象に分け、動物は前者を、人間だけが後者をもつという。この能力は人間の霊魂の能力であり、感覚像が表象像を作り、表象像は思惟能力を作るのである。そして思惟することは表象像なしには不可能である。図形(表象像)なしに幾何学(思惟能力)は不可能である。「何物をも感覚しないで、何物も学ぶことはできないし、理解することもない」という。その可能態においてある思惟対象を現実態にするのが理性である。理性は起動因であり、能動理性なくしては思惟することもない。能動理性だけが身体から独立して不死、永遠のものとされた。かれは「理性とは実体であって、我々の内に生じてきて、そして消滅しないもの」と考えた。プラトンのイデアに近い思想である。そして人間のみが神的な理性をもつ。又行動するにはまた欲求意志が必要である。欲求と行動に関わる理性(実践理性)の2つが、変化(運動)の起動因である。欲求能力を無理的部分と有理的部分に分けると、前者は欲望として現れ、後者は意欲として現れる。アリストテレスは「動物誌」において約550種の動物を扱い分類している。分類学上の問題はさておき、無生物から動物への移り変わりを考察し、自然的諸事物は少しの差異によって段階をなしているという考えを持った。その頂点に人間(神と言ってもいい)を置くと、人間のために自然はすべてのものを作った」といえるし、生物はそれぞれが自身のために作られ、それ自身を完成することが目的であるといえる。その目的とは生殖である。今日的な意味でいえば、生殖によって遺伝的多様性が生まれ、進化が成し遂げられるということである。

(つづく)