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「神学大全」に見るトマス哲学の根本精神を理性と神秘から読み解く 第6回
第1章) トマス・アクィナスの根本精神ーアリストテレス哲学との出会い (その4)
神学大全では、第1部「神論」ー問題群「三位一体」ー第1問題「神について、神は存在するか」ー第1項「神は存在するか」という流れでひとつの幹を作る。「神学大全」は初学者のために書かれたので、詳細に入ることは避けられているが、スコラ哲学に特徴的なことは、引用が多いことである。これを「典拠・権威主義」と呼ぶことは先に述べた。典拠の採用は「註解書」からきている。トマスは当時のラテン・キリスト教世界の知識人に共通しているように、ヘブライ語もギリシャ語も読めなかった。トマスは古典をラテン語訳で読んでいる。体系的著作においても引用されるテキストの解釈はやはり註解書によって補わなければならない。現在ではアリストテレスや旧約聖書・新約聖書などの優れた註解書を専門的に書ける人はいない。トマスは驚異的な速度で古典を読み・書き、膨大な著作軍群を著した。1273年死の1年前にトマスは「私が見、私に示されたことに比べると、私が書いたすべてのことは藁屑みたいなものだ」といってすべての著作活動を放棄した。従って「神学大全」は未完の書物となった。神学者トマスが、より確固とした神秘の認識を思いかけない仕方で与えられた時、その時の認識が決定的に確固としたものであったからこそ、書く営みを放棄して沈黙したという見方ができる。トマスは「神学大全」第1部第46問題第2項において「世界に始まりがあったということは信仰箇条であるか」という問いを立てた。世界に時間的な始まりがあったか否かという問題に人間の理性の限界を見た。また理性では知り得ない「三位一体の神秘」に、トマスは「ローマの信徒への手紙註解」では「人間たちのもとにおいては隠されていたが、知恵ある神のみには知られれていた神秘」に人間では知り得ない神の神秘を強調した。そうした神秘を決定的な仕方で人間に開示してくれた存在こそイエスキリストであった。「神秘」が単なる不合理ではなく独自の論理と構造を有するものであるという理性と神秘の相互関係を明示した。トマスの「徳論」の特徴は、古代ギリシャのアリストテレスによって体系化された徳論(とりわけ「枢要徳」賢・正義・勇気・節制)を受け継ぎながら、アリストテレスにはなかったキリスト教的な「神学的徳」(信仰・希望・愛)を最重要な徳として体系化しなおした点にある。
(つづく)