ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 田中章夫著 「日本語スケッチ帳」 岩波新書(2014年4月)

2014年06月30日 | 書評
言葉の使い方に正誤はない 時代をへて日本語は変わってゆく 第1回


 2014年4月18日、岩波新書より「日本語の今昔」に関する本が2冊同時に刊行された。1)田中章夫著 「日本語スケッチ帳」は現在の日本語の様子をウォッチングしている。2)今野真二著 「日本語の考古学」は明治時代以前の日本語の変遷をいろいろな視点で考察している本である。2冊の本は、特に系統的に日本語の変遷を論じているわけではなく、トピックス的に面白そうな話題を披露しているので、肩の凝らない読みやすい読本である。2冊を読んでみて私が思うことは、今も昔も言葉は環境に応じて移ろいゆくもので、この言い方、読み方、書き方が正しいとか誤っているとかいうことはできないということである。常用とか変体とか言いう区別は多数決で採る者でもなく、まして地域的な差異(方言)は当たり前のこととして許容しなければならない。言葉は都から同心円状に伝播したといううがった見かたは、立証できているわけではない中央集権的な見方である。変体的な使い方も次第に常用になることもある。言葉は人が使うものであるから、使いやすいと感じられると広まるものである。明治維新で方言を整理して、山の手言葉から「標準語」というものができ、画一的な教育が可能となったが、今も大阪弁は地方では立派に生きている。日本語を使う人は1億2千万人おり、世界で9番目に多いとされているが、結局国の人口の数に過ぎず、日本語が孤立した言語であることは変わりない。日本語の起源は不明である。国際化において日本語は障害になっているのだろうか。英語を世界語にするかという議論も米国の覇権が破たんすれば、中国語に取って代わる可能性もないとは言えない。言葉の発生と文法の発生についても脳細胞構造と機能から説明することは今のところできていない。ましてDNA塩基配列の差異から説明することは不可能である。国語学という学問ジャンルにはあまりなじみがなく、乱れた日本語のウォッチングや文法や、常用漢字制限、送り仮名の使い方などについて、文部省が発表する記事を新聞紙上で読むくらいであった。文部官僚が制限を強めたり緩めたりといった、国語審議会を使った裁量行政の弊害のみが気になる分野でほとんど関心がなかった。今も昔も国語は揺れ動いており、何が正しいかというよりは、その変化は何を反映しているかという時々の社会意識が動かしているようである。将来国際化によって孤立した言語「日本語」がなくなるかどうかは知らないが、日本語はどうして成立したのかのほうに限りない興味が湧くのである。
 まず最初に著者田中章夫氏のプロフィールを概観しておこう。氏は1932年東京赤坂生まれ。1959年東京教育大学(現筑波大学)博士課程を修了。香川大学の教師、国立国語研究所言語計量研究室長を経て、大阪大学外国語教授、学習院大学教授を歴任した。その間、台湾、オーストリア、エジプト、インド、オーストラリア、上海・北京・台連の大学で日本語教室に勤務した。専攻は近代日本語学、日本語語彙論であるそうだ。主な著書には「国語語彙論」(明治書院1978年)、「東京語ーその成立と展開」(明治書院1983年)、「標準語」(誠文堂新光社1991年)、「日本語の位相と位相差」(明治書院1999年)、「近代日本語の語彙と語法」(東京堂出版2002年)、「日本語雑記帳」(岩波新書2012年)などがある。本書「日本語スケッチ帳」では、各章に順序や系統があるわけではないのでトッピクスを拾い読みしてゆけばいい。ちなみに各章の題名は1)二ホン語は、いま、2)揺れ動く言葉、3)人命と地名、4)外国語から外来語、5)スポーツの言葉、6)翻訳の世界、7)文体・表現・敬語など、8)語法と用字の諸相、9)変身するコトバ という内容である。各章は4つから5つのトピックスからなる。では気軽にトッピクスを追ってみてゆこう。

(つづく)
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読書ノート 豊下楢彦著 「尖閣問題とは何か」 岩波現代文庫(2012年11月)

2014年06月29日 | 書評
「尖閣問題」、「北方領土問題」、「竹島問題」は米の冷戦戦略下のサンフランシスコ単独講和条約が宿根  第10回 最終回

第6章 日本外交の第三の道を求めて (その2)

 冷戦が終わった1990年代に日米同盟の再考が起った。1996年4月、橋本龍太郎首相とビル・クリントン大統領の間で合意された「日米安全保障共同宣言」は、そのことを両国の首脳レベルで確認するという意義を持っていた。翌1997年9月、両国政府は、作戦運用面における協力の具体的な要領を示す新たな「日米防衛協力のための指針」(新「ガイドライン」)に合意した。これが「日米同盟再定義」の過程である。新ガイドラインのもとで自衛隊の活動領域は拡大したが、果たして自衛隊の重装備の方向は日本の自立をもたらすのだろうか。アメリカに抱き込まれた「自主外交」は、90年代からさらに大きくなったジャパン・ハンドラ-のもとで、身動きできなくなっている。ハーバード大学のホフマン教授はこの安保再定義について「日本が引き続きアメリカ外交政策の従順な道具になる。つまり独自の対中政策を持つことなく、アメリカの信頼できるジュニア・パートナーであり続けるだろう」と喝破した。永久に日本はアメリカ従属の二流国であり続けることをアメリカは期待している。元外務事務次官の矢内氏は2010年「日米関係とは、騎士と馬」の関係であるといった。日本は「馬」、アメリカは馬に乗る「騎士」である。「原子力ムラ」の存在が福島第1原発事故で明るみに出されたが、「安保ムラ」とは「事務方同盟」といわれる防衛・外交の官僚と日米の軍需産業の利権構造である。この利権構造は、だれしも的中しないと見ているミサイル防衛問題(PAC3配備)に端的に示されている。原発ははたしてミサイルから守られるのだろうか。経産省は「弾道ミサイルに有効に対処できるシステムはありません」と認めている。原発を狙って打ち込めば核弾頭は必要ないのである。核ミサイルとを打ち込むのと同じ効果である。日本海側の原発は全く無防備であり、迎撃ミサイルは日本の防衛には全く機能しない。「軍備の論理」とはかくも幼稚なものである。1980年以来アメリカがミサイル防衛に投じた税金は980億ドル(約10兆円)で、この回収先が日本なのである。北朝鮮の脅威を煽って日本に導入させたのである。その中心だったのが元防衛事務次官の守屋武昌氏であった。日米平和・文化交流会を軸とした日米軍需産業の巨大な利権の闇(氷山の一角なのだが)が明るみに出された。安保ムラでは日本の核武装が語られており、原発の使用済み核燃料からプルトニウムを生産することで日本は世界一の「プルトニウム大国」とよばれ、これが事実上の「核抑制」になると信じられている。逆に言うと原発をなくすることは「核の潜在能力」を放棄することになり、ここで原発の安全保障的役割を守ろうとする勢力が原発再稼働をもくろんでいるのである。原子力の平和利用で出発した原発が原子力の軍事利用に利用されたのである。
 
 石原氏は東京都の尖閣諸島購入支援を呼びかけた米国誌の広告文の中でとんでもない発言をしている。まるで投資を呼びかける宣伝文句である。「沖縄県は極東における米軍投射のための、不可欠の戦略地政学的重要性を担っている」とまるで沖縄県をアメリカンの半永久的軍事基地であると規定してのである。これが米軍の内部報告書なら分らないでもないが、日本人が書いた文章としては「売国奴」ものである。沖縄県をアメリカにささげてどうぞお使いくださいというようなものである。沖縄に対する最大の侮辱である。日本本土は沖縄県の犠牲の上に立っている。実にサンフランシスコ講和以来60年以上にわたる日米政府の「沖縄ただ乗り」という安保体制の構図である。新型輸送機オスプレイの沖縄配備問題は、日米地位協定によって米軍機には航空法が適用できないため、自由な飛行訓練ができることに問題がある。これでは植民地ではないだろうか。2006年の「日米合意」は、普天間基地を辺野古に移転する問題と、米軍再編の一環として海兵隊のグアム移転する問題をセットにしたものである。この2つの事案は全く次元の異なったものだったにもかかわらず、米国は強引にくっつけて海兵隊のがグアム移転費用まで日本に負担させようとした。魂胆丸見えの語るに落ちるはなしであった。辺野古基地問題が長引く中で、2012年2月に海兵隊の「先行移転が決定された。これは沖縄が中国・北朝鮮に近いという戦略的位置が、中国軍装備の近代化によりミサイル命中精度が飛躍的に高まり、リスクを避けるため沖縄県にいる海兵隊を分散する必要があったのである。沖縄にいる海兵隊が抑止力になっているという神話は、その先行移転計画(沖縄から逃げ出す始末)によって破綻した。沖縄は米軍の出撃の拠点として機能してきたが、いまや攻撃の対象となるリスクの方が大きい。沖縄の位置を「軍事の要石」から「信頼醸成の要石」に変えて東アジアの緊張関係を和らげるという、日本外交の転換を図らなくてはならないというのが著者の「第三の道」論である。3か国との間に領土問題を抱えて身動きが取れない状態にある「日本外交の呪縛」から脱却するには、まずロシアと韓国との間で領土問題の戦略的解決をはかり、両国との提携関係を深めて、中国のプレゼンスに対応するという方向性のことである。「最大限味方を増やし、最小限敵を少なくする」というのは古来から戦略上の鉄則である。グローバル化の世界において「全方位外交」路線は必然の流れである。ところが日本は60年以上日米基軸に固定化されてきた。日本外交の「日米基軸」論が自己目的化している。これでは国際関係の変化にはついてゆけない。今や米国は米中両国G2によって国際秩序の維持を図る路線が基調であるが、軍事的な対応は怠ることではない。2010年2月米国国防省は「エアー・シー・バトル構想」を提出した。海空の全次元における中国の「アクセス阻止・領域拒否」を打破する戦略のことである。ところが民主党野田政権は自民党ができなかった軍事政策を官僚の言うがままに次々とやってしまった。2011年12月「武器輸出3原則の緩和」、2012年1月JAXA宇宙航空研究機構の業務目的か「ら平和目的に限定する規定」を削除した。6月原子力基本法の改正において、原子力の利用目的に、「我国の安全保障に資する」との文言を盛り込んだ。核武装への道を開くものとして極めて危険な思想である。野田政権は国家ビジョン検討のためのフロンティア分科会で集団的自衛権に踏み込む報告書を提出した。「平和日本の公共財」であった諸原則を野田政権は次々と骨抜きにしたのである。この諸原則こそ、武器輸出3原則であり、宇宙の平和利用であり、原子力の平和利用であり、非核3原則であり、集団的自衛権の行使は憲法違反であるという原則であった。日本が維持してきた重要な平和諸原則こそが、今後の国際公共財としての位置を占めなければならない。

(完)
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読書ノート 豊下楢彦著 「尖閣問題とは何か」 岩波現代文庫(2012年11月)

2014年06月28日 | 書評
「尖閣問題」、「北方領土問題」、「竹島問題」は米の冷戦戦略下のサンフランシスコ単独講和条約が宿根 第9回

第6章 日本外交の第三の道を求めて (その1)
 民主党の鳩山内閣の外交政策でおかしくなった日米同盟を建て直し強化することが一部で叫ばれているが、ところが「尖閣問題」、「北方領土問題」、「竹島問題」では米軍のプレゼンスはゼロに近いのである。ロシアの実効支配が続く「北方領土問題」、韓国の実質支配が続く「竹島問題」で米軍の出る幕はなく、「尖閣問題」では米国は「中立」の立場を堅持している。いくら「日米関係を強化する」といっても戦争状態にあるわけではなく、米国に期待するところはなきに等しい。米国の覇権が後退しつつあるなか、中国は超大国に成長した。つまり個々の領土問題という領域を越えて、今や日本の安全保障や外交のあり方そのものの問いなおしが求められている。故高坂正堯京大教授は1964年「海洋国家日本の構想」を発表した。55体制は外交や防衛は米国に委ねてひたすら「経済立国の道」を選択した。その結果は当然のことであるが日本独自の外交政策は不在となっている。高坂氏は「非武装中立論」と「重武装論・核武装」といった両極論を退け、最小限の軍備の必要性と有効性(自主防衛)という現実主義を主張した。また安全保障の問題はあくまで消極論であり、本来日本国は開かれた国で生きることである。つまり「イギリスは海洋国家であったが、現在日本は島国に過ぎない」という。アメリカへの追随と自己主張の放棄が日本の国是となってしまった。超大国中国の台頭は、日米安全保障体制の相対化を促し、米国自体が中国を敵視していない。「中国は日米共通の敵」という考えに凝り固まっていると、また米国にはしごを外されることになる。ジャパン・ハンドラ-の理論家ジョセフ・ナイは「日本が手にできる唯一の現実的選択肢は日米同盟しかない」という。2012年8月にアーミテージとナイは「日米同盟」第3次アーミテージ報告をとりまとめ、「日本が一流国でいたいなら日米同盟に関するこの勧告を受け入れなければならない」と日本を恫喝した。安倍政権はその線に沿って動いているようであるが、「集団的自衛権」とは国連憲章51条にある「国連加盟国に武力攻撃が発生した場合、国連が必要な措置を取るまでの間、個別又は集団的自衛権の権利を否定するものではない」という定義である。日本では集団的自衛権の行使は憲法違反であるというのが歴代政府の見解であった。京大法学部国際法の教授である浅田正彦氏は「権利とその行使は別問題であり、国際法の権利をその国が自制することは常識である」という。つまり信号が青なら進むことが出来るという権利と直ちに進むことは別問題である。自分の命が惜しければ安全を確認してから進むという態度が正解であるというのと同じことである。日米安保条約で日本の同盟国であるアメリカが攻撃されるという事態を想定しているのだろうか。現実にはちょっとありえない事態である。むしろ日本が攻撃された時アメリカが助けるというのはアメリカの問題である。ところが安倍晋三首相は2006年政権についてから、集団的自衛権の行使を打ち出した。安倍氏の狙いは北朝鮮を共通の敵として、かっての朝鮮戦争のときのようにアメリカ軍が攻撃された時自衛隊が米軍援助に出かけられるといいたいのであろう。しかしブッシュ大統領は北朝鮮をテロ支援国家から外してしまった。共通の敵がいなくなった安倍氏は困惑して首相を辞任したのである。

(つづく)
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読書ノート 豊下楢彦著 「尖閣問題とは何か」 岩波現代文庫(2012年11月)

2014年06月27日 | 書評
「尖閣問題」、「北方領土問題」、「竹島問題」は米の冷戦戦略下のサンフランシスコ単独講和条約が宿根  第8回

第5章 無益な試みを越えて

 中国は1978年小平が「尖閣問題」の棚上げを表明して以来、その基本路線を維持してきたが、1992年2月領海法において「台湾、および魚釣島」の領有を明記した。2001年の首相となった小泉氏が引き起こした「靖国参拝問題」で反日感情に火が付いた。自民党の票田である日本遺族会への約束ということであるが、外交的損失は計り知れない。天皇でさえ30年以上一度も参拝したことがないという事実がある。冷戦終了以降、中国のプレゼンスは東シナ海から南シナ海に拡張している。領海及び排他的経済水域を含む「確信的利益」、「海洋国土」という言葉で海洋をコントロールする姿勢が示されている。それに対して日本は日米防衛協力を強化する方針で動いているが、当のアメリカは米中新時代を模索して、2012年5月キャンベル次官補は中国と「米中共同宣言」を行った。もはや米中は敵対関係の時代ではなく、強い中国との対話の時代に入ったとみるべきである。GDP第1位と第2位の国が協調する戦略的関係である。日本は「中国の脅威」を前提として「集団的自衛権」を強化し米国との安全保障体制を強化する方向である。ニクソンショックと同じような頭越しの米中関係にまたもや先を越されそうである。2012年6月アジア安全保障会議で米国軍艦の大西洋と太平洋の比率を5対5から、4対6に変更した。これを中国包囲と見る向きもあるが、米ソ冷戦時代からグローバル経済での構造が根本的に変わったことで、米中の太平洋関係が一段と緊密化しているからである。日本の政権担当者は米国の「ジャパン・ハンドラ-」(日本操縦、掌握者)の手の内で動かされている場合が多い。それは軍・産複合体、ロービーイスト、情報機関であったりするわけだが、ジョセフ・ナイたちが中国や北朝鮮の脅威を煽って、安全保障政策の勧告を行い、それに従っていると日米関係は良好であるという幻想を作ってきたのであった。2006年9月に成立した安倍晋三内閣は「集団的自衛権」の解釈変更を最重要課題(それは2014年の第2次安倍内閣でも繰り返している)に掲げた。北朝鮮を日米共同の敵として軍事的提携を強化することであったが、2007年8月にブッシュ政権は北朝鮮をテロ支援国家の指定から解除する方針に転換したので、「不可解」と思った安倍内閣は崩壊した。日中関係に火種を残しておくという「オフショア-・バランシング」戦略は、米国にとっても戦争に巻き込まれる危険性があり、ブッシュ大統領は危険回避の方向へ舵を切ったようである。だからオバマ大統領は「日本と中国が話し合いで解決してほしい」と求めたのである。クリントン国務長官やバネッタ国防長官は「話し合いによる平和的解決」を繰り返し求めている。これが米国の「中立の立場」である。米国は尖閣諸島の領土権が日本なのか中国なのかはあいまいにしている。米国は尖閣諸島に軍事施設を持つ以上、第3者ではなく当事者である。そもそも「尖閣問題」が起きたのは石油があるかも知れないという経済的興味から出発している。だから小さな島の領土問題ではなく、経済問題としての解決を図ればいいのである。それには日本、台湾、中国、米国の企業が共同開発に当たればいい。東シナ海のガス田開発に旧輸出入銀行が融資したような共同開発の枠組みを作ってゆく必要がある。日本も尖閣諸島は固有の領土であり領土問題は存在しないという態度を改め、「領土問題の存在」を認めて、直ちに関係諸国と協議に入るべきである。

(つづく)
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読書ノート 豊下楢彦著 「尖閣問題とは何か」 岩波現代文庫(2012年11月)

2014年06月26日 | 書評
「尖閣問題」、「北方領土問題」、「竹島問題」は米の冷戦戦略下のサンフランシスコ単独講和条約が宿根 第7回

第4章 領土問題の戦略的解決を

 北方領土問題
 北方領土問題とは「造語」であって、本来は南千島問題である。南樺太と南千島を放棄すると定めたサンフランシスコ講和条約の解釈の問題である。南千島問題に対する態度には、第1に択捉、国後、歯舞、色丹のすべてを含むとする解釈、第2に択捉と国後を南千島とし色丹と歯舞は含まないとする解釈、第3に4島すべては南千島ではなく北海道の一部だとする解釈である。結論から言うとロシアは第1の立場で現状支配をしている。日本は第3の立場で4島一括返還を求めている。日ロ交渉の裏方では第2の解釈で2島返還(色丹と歯舞)で合意できそうな状況もあった。1961年11月池田首相が日ロ平和条約について4島返還を条件としたことに始まる。北方領土問題が定義されたのは1964年6月の外務省次官通達からである。外務省はそれまでは「千島列島、歯舞、色丹」と呼んでいた。つまり国後、択捉は千島の一部としていたのであるが、「北方領土」という定義は国論を統一するための仕掛けであった。1951年サンフランシスコ講和条約第2条c項において、「千島列島の放棄」に合意した。これはソ連の対日宣戦への見返りとして(1945年ヤルタ密約 ルーズベルト・スターリン)アメリカが承認したものである。1955年の鳩山内閣は日ソ平和条約交渉において、クリルアイランドには南千島は入っていないという態度を取った。1956年重光外相はソ連側が約束した歯舞・色丹の2島返還を受諾して平和条約を結ぶ決意をしたとき、アメリカのダレス国防長官は「4島返還」を持ち出し、この交渉を潰しにかかった。それはアメリカとしては「北方領土問題」解決の次に「沖縄返還」を懸念し、日本とソ連の間に領土問題という紛争状態を継続させることが米国にとって利益になると考えたからである。ダレス国防長官としては国後・択捉はサンフランシスコ条約で放棄したことと歯舞・色丹2島返還が最も合理的な解決策であることを知りながら、日本には「4島返還」を掲げるように恫喝したといわれている。ダレスの「4島返還論」の本質は、それが冷戦を背景とした日本とソ連の間に打ち込まれた楔となることであった。このできない相談である「4島一括返還」が以降日本の国是となったのである。鳩山首相がモスクワでまとめた日ソ共同宣言では、平和条約締結後、歯舞色丹2島返還を約したもので日ソ両国の議会での承認も得た。長い間日ソ間で協議が続いてきたが、2010年9月尖閣諸島への中国漁船侵入事件で日中関係が悪化していた時、まさに恐れていた二面攻撃のように、ロシアのメドベージェフ大統領が国後島を訪問した。中ソ関係は中国の経済的力量がロシアを圧倒するなかで、多くの対立要因を抱えており、ロシアは極東における中国の進出に神経をとがらせている。だからこそ不毛の「北方領土問題」に拘泥せずに、1956年の日ソ共同宣言に立脚して懸案の課題(2島返還)を解決し、日ソの関係緊密化をプーチン大統領に提案することが本当の解決策であろう。

 竹島問題
 竹島は男島と女島からなり面積は東京ドーム5個分という小さな島である。1905年1月明治政府は閣議決定で領有を宣言した。1945年連合国軍最高司令官令で日本の範囲から除かれる地域として、鬱陵島、竹島、済州島が明記された。竹島は日本漁船の操業区域外におかれた。これが「マッカーサー・ライン」である。マッカーサー・ラインは沖縄、千島列島、歯舞・色丹島を日本の範囲から除外した。1946年6月の米軍報告書では竹島は朝鮮の領土と明記されている。ところが共産中国の成立と朝鮮戦争によって、日本の安全保障の戦略上位置が増し、1951年6月のサンフランシスコ条約第2条a項で、朝鮮独立を承認し、日本は「済州島、鬱陵島、巨文島」を放棄することになったが、竹島は放棄する対象から外された。韓国はこの講和会議に出席を拒否されているので、抗議の文書を提出したがラスク国務次官補はこれを拒否した。1952年李承晩政権は海洋主権宣言を発して「李ライン」を設定した。翌53年4月「独島義勇守備隊」を竹島に駐留させ今日に至るまで「実効支配」を続けている。1965年6月日韓基本条約が結ばれたが、竹島問題に進展はなかった。韓国は竹島問題を植民地問題(歴史問題)とみている。その根拠は1894年の日新戦争後日本は韓国の保護領化を進めており1904年代第1次日韓協約を結ばされ、1905年の明治政府の竹島領有宣言の同じ年に第2次日韓条約で日本は韓国の外交権を奪った。竹島の日本への編入は韓国の植民地化の流れの中で行われており、韓国側から見れば竹島(独島)問題は領土問題ではなく、まさに植民地問題であったとする。2012年8月李明博大統領は竹島に上陸し、天皇に植民地問題で謝罪を求める発言を行った。前年の「従軍慰安婦問題」や「造船場強制連行問題」などもからんで日韓関係は危機的状況となった。その根源には日本政府は植民地支配に対して韓国にいかなる謝罪もしていないことである。従軍慰安婦問題に関する「河野談話」、東アジアの植民地政策に関する「村山談話」は個人の発言にとどめ置かれている。「過去の清算(克服)」についてはドイツでは徹底した自責の念を表明し、西欧社会への復帰に主眼が置かれた。その結果EU連合においてドイツは中軸を占めることができた。日本の歴代政権は謝ることを潔しとしない態度(謝ることを自虐史観といって拒否してきた)であった。サンフランシスコ講和条約で日本の戦争責任は明記されず、しかも講和会議に中国と韓国の代表は招かれなかった。1965年の日韓基本条約、1972年の日中共同声明で国交は回復されたが歴史問題や領土問題は棚上げになった。冷戦構造の中で米国は日本を「保護」した結果、冷戦終了後1990年代になって歴史問題が激しい論争の始まりとなった。ここで必要なのは「自らを突き詰める以外にはない」ことである。領土問題が植民地問題のシンボルとなっている以上、逃げ回るのではなく、日本がイニシャティブを取って問題の解決に当たらなければならない。本来人の住めるような島でない岩礁を巡って韓国と半永久的に争い続けるのか。対中国問題で日本と韓国は協調関係を結ぶつもりなら、竹島の放棄または譲渡と言った措置が欠かせない。

③ 固有の領土とは
 「尖閣」、「北方領土」、「竹島」の枕詞である「固有の領土」ということを考えてゆこう。主権国家が成立して以降絶えず国境線が動いてきたヨーロッパにおいては「固有の領土」といった概念は存在しない。また「固有の領土」とは国際法上の概念でもない。各国が自らの領有権の正当性を主張するために「固有の領土」の乱発となった。そこで尖閣諸島を含む琉球諸島の琉球王国を見ると、かっては独立王国であった、1879年沖縄県が設置されてから琉球諸島は「固有の領土」となった。1880年琉球諸島の領有をめぐる清国と日本の交渉で「琉球条約案」が締結された。沖縄本島以南の先島諸島は清国の領土となったが、その案は清国内部の反対で流産した。明治政府にとって本島以南は通商条約(最恵国条項)取引の材料に過ぎなかったのである。日清戦争後の1895年の講和条約によって、台湾を植民地とする段階で本島以南の諸島も固有の領土となった。太平洋戦争終結の御前会議において和平条件として「固有本土」保全とし、沖縄、小笠原、樺太、北千島を捨てる覚悟が示されたという。つまり「固有の領土」とは状況によっては切り捨てられる運命の地域である。米国は大戦後の1951年のサンフランシスコ講和条約によって沖縄を信託統治とした。しかし1956年日本は国連に加盟を果たした時点でも沖縄は米国の信託統治下にあった。これは「国連加盟国となった場合には適用しない」に反する。ということは米国の全権支配下のあった沖縄は日本領土ではなかった。1951年吉田茂首相は「沖縄の99年間租借」を提案した。つまり「固有の領土」と他の国と係争中の領土という意味である。日本外交は「固有の領土」概念をどこで読み間違ったのか、硬直化しナショナリズムの呪縛に陥った。そもそも日本は「尖閣」、「北方領土」、「竹島」という3つの領土紛争を同時に抱え込んでしまった事態をいつまで続けるのだろうか。領土は戦争でなければ動かないのであれば、3国を相手に戦争をするつもりなのだろうか。外交の気違い沙汰でなければ、国家破滅型の狂信的煽動者に踊らされているのだろうか。本来動くものである「固有の領土」は戦略的に解決できるのである。

(つづく)
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