ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

六月の我家の庭の花(18) ゆり

2012年06月30日 | 写真館
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読書ノート 佐藤栄佐久著 「知事抹殺」 平凡社

2012年06月30日 | 書評
原発と地方自治で国と「闘う知事]、特捜検察権力と闘う 第11回

2)三位一体改革と地方自治を守る闘いー道州制反対と全国知事会 (2)
 2003年7月岐阜県高山市で全国知事会が開催され、岐阜県知事梶山氏は挨拶で「これまでの知事会は国に陳情・要望をするお願い知事会から、国に対して地方の意見を申上げる闘う知事会と位置づけたい」と知事会の改革宣言を行なった。佐藤知事は「国と地方の役割分担と今後の都道府県のあり方」分科会で、にわかに話題となった「道州制」を討議した。「道州制」に込めた官僚の危険な狙いを感じたからだという。はたして道州制が住民のためになるのだろうかという問題点から討議した。小泉内閣の「三位一体改革」は、補助金を廃止し、権限や税源移譲を進めようと、まだ移譲もされないうちから都道府県に変わる受け皿づくりのひとつとして道州制の議論を仕掛けたのである。「道州制」に関する議論は江口克彦著 「地域主権型道州制」 (PHP新書 2007年)に述べられている。松沢成文神奈川県知事は首都圏の一体化と道州制を主張した。江口氏も松沢氏も松下政経塾出身であり、道州制賛成の立場から意見を述べている。いわば政府の代弁者として、政経塾の新自由主義者として行政の効率性だけしか眼目に無い。東京・神奈川・埼玉・千葉を対象にして、人口にして3000万人、GNPの30%を占めるマンモス行政区を作ろうとするものである。道州制賛成派は知事会に道州制研究会をもけるべきだと主張したが、千葉県、福島県、岐阜県ら慎重派が多数を占め「今のままで道州制の議論に入ると国に主導権を取られ、知事会としては道州制の議論は時期尚早である」として退けた。この議論は松沢知事によって2004年5月の知事会でも蒸し返され、「憲法改正と地方自治」研究会の設置を主張した。佐藤知事は次のように反論した。「地方自治を謳っている憲法の改正は必要ない。道州制は自治体助成金を削減し、権限を渡したくない国に利用されるだけである」といった。
(つづく)
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文芸散歩 村松 剛 著 「帝王後醍醐」 中公文庫

2012年06月30日 | 書評
建武の中興から南朝滅亡まで 後醍醐帝の光と影 第25回 最終回 

5の卷)湊川の戦いから吉野行幸 南北朝時代の戦い (3)
 1337年1月北陸の新田軍に対して小笠原、村上に追討を命じ、高師直を総指揮官として派遣した。3月6日金崎城が落城し、尊良親王と世尊寺行房は自害し、恒良親王は捕縛され京に護送されて殺された。後醍醐帝系の阿野廉子が生んだ皇子は奥州にいる義良親王を除いて皆殺しにされた。奥州の北畠顕家に西上を命じる帝の勅使が12月25日に出発した。吉野南朝にはせ参じた公卿には、近衛経忠、吉田定房、二条師基、坊門清忠らであった。後醍醐帝系の公卿に対する粛清が勢いを増したのでいたたまれなくなった公卿らが吉野へ逃れた。北畠顕家の軍は8月にようやく奥州を発ち4ヶ月かかって利根川に達し12月14日には鎌倉を攻撃して斯波家長を戦死させ一時鎌倉を占領した。翌1338年1月に新田義興の兵を合わせて美濃で高師冬軍を破ったが、背後から今川範国に攻撃されて敗れた。顕家は伊勢に進路を変え吉野へ向かったが、奈良で高師直軍に敗れた。顕家は京への進出を諦めず、河内に出て5月22日和泉堺で討ち死にした。名和義高も戦死している。7月2日福井藤島庄の燈明寺畷で新田義貞はあっけなく戦死した。これを最後に南朝の組織だった反攻は後を絶つのである。8月11日をもって尊氏は北朝から正式に征夷大将軍に任じられた。おなじ8月南朝では義良親王を天皇に禅譲し、翌日帝は崩御した。52歳であった。1347年8月楠木正行が挙兵した。南朝のイデオローグ北畠親房が常陸の小田城、関城で結城親朝の決起を要請したが、結城は動かず関城は落城した。そして親房は各地を転転として伊勢に流れ吉野に入ったようだ。伊勢では北畠顕能の活動が活発化してきた。南朝のゲリラ戦が各地で活発化する。1349年1月楠木正行は四条畷の戦いで戦死し、2月始め高師直軍は吉野を攻撃して行宮を焼き払った。とはいうものの足利幕府の中で内紛が激化し、1352年2月直義と高一族の対立によって高一族は湊川で滅亡した。尊氏は嫡子義詮に命じて直義を攻めた。この内紛につけ込んで1352年から1361年の間に南朝は4回(1352,1353,1355,1361年)京都に攻め込んだことがある。北畠親房は1355年に62歳で死亡し、足利尊氏は1359年に54歳で死亡した。1360年帝の寵妃の阿野廉子は1360年に死亡した。なぜか1392年まで南朝は存在していたようだ。
(完)
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筑波子 月次絶句集 「江村梅雨」

2012年06月30日 | 漢詩・自由詩
疎疎細雨委黄泥     疎疎たる細雨 黄泥に委せ

漠漠園林遶薬畦     漠漠たる園林 薬畦を遶る
 
前汀家家梅子熟     前汀の家家 梅子熟し

遠空点点暗雲迷     遠空点点 暗雲迷う


○○●●●○◎
●●○○●●◎
○●○○○●●
●○●●●○◎
(韻:八斉 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)
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CD 今日の一枚 マイルス・デービスアルバム集9 「MILES IN TOKYO」

2012年06月30日 | 音楽
疾駆するジャズトランペッター
マイルス・デービスアルバム集9 「MILES IN TOKYO」

ADD 1964 SONY MUSIC
1.INTRODUCTION/IF I WERE BELL 2.MY FUNNY VALENTINE 3.SO WHAT 4.WALKIN' 5.ALL OF YOU
トランペット:マイルス・デーヴィス
テナーサックス:サム・リヴァース
ピアノ:ハービー・ハンコック
ベース:ロン・カーター
ドラムス:トニー・ウイリアムス  

1964年7月14日新宿厚生年金会館にてのライブ録音である。1964年はライブ録音における傑作が集中した年であったとされる。モード奏法の絶頂期である。60年代クインテットの歴史で最高・最良の演奏が聞けるのが、このMILES IN TOKYOであろう。
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