ブログ 「ごまめの歯軋り」

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「文語訳 旧訳聖書 Ⅳ 預言」

2020年08月14日 | 書評

イスラエル民族の再興を願う3大預言書と12小預言書

3) 「文語訳 旧訳聖書 Ⅳ 預言」(岩波文庫2015年)   (その37)

4) エゼキエル書 (その11)

第40章: 40章~48章は新しいエルサレム神殿のヴィジョンについて記述する。40章は新しいエルサレム神殿の(1) 門と外庭と内庭について述べる。バビロンに捕え移されて25年、エルサレムが破壊されて14年目の1月10日エホバの手がエゼキエルに臨み、イスラエルに携え移され高き山に降ろされた。山の南に邑が建設され、その門の前に縄と尺定規を持った一人の男が立っていた。エホバ言う、ここで見たことを聞いたことを心に留めてイスラエルの家に伝えよ。上の図の神殿見取り図を見ながら要点だけを記す。神殿にはそれを取り囲む外壁がある。その外壁の厚さは6キュビト、つまり1ざお分で3.19mです。神殿の敷地は一辺が500キュビト(266m)を持つ正方形です。外壁には西側を除く、方角(東向き、北向き、南向き)にそれぞれ門があります。外庭に入るための三つの門、内庭に入るための門がそれぞれ三つで、合わせて6つの門ありますが、すべて同寸法です。しかもそれらの門はすべて神殿の敷地の中心にある「祭壇」に向けられています。ロング・キュビトを1キュビト(53.2cm)としています。門に入る手前に階段がありますが、外庭の門には7段の階段、内庭の門に入るためには8段の階段があり、本殿に入る一つの門の前には10段からなる階段があります。外庭に30の部屋が作られていました。これらの部屋はおそらく一般の礼拝者用の部屋と思われますが、本堂の脇間は祭司たちが使う部屋でした。外庭と内庭の門の構造は同じです。門の間は6キュビト(3.19m)。門の通路には、その両脇の壁にそれぞれ三つずつ設けられた「控え室」があり、その一つの控え室は縦横6キュビトの正方形です。これらの控え室は見張り番の部屋です。
第41章: 41章は新しいエルサレム神殿の(2) 本堂について述べる。聖所、至聖所の周囲を囲む脇には脇間があります。脇間は三階建てになっており、各階に30の脇間(全部合わせると90の脇間)があります。これらは神殿の壁に対して造られており固定されていました。これら脇間は祭司の部屋、あるいは彼らが務めに必要なものを保管する物置と思われます。神殿の外部の寸法はすべて百キュビトです。神殿内部の装飾について、内部一面に木の羽目板が壁に張り巡らされています。またすべての壁には、ケルビムとなつめやしの木が、交互に彫刻されています。ケルビムの顔には人間の顔と獅子のふたつの顔(牛と鷲の顔はありません)が、両側でそれぞれなつめやしの木の方を向いていました。これはソロモン神殿にも同じく装飾されていました
第42章: 42章は新しいエルサレム神殿の(3) 祭司たちの部屋について述べる。神殿の本殿の北側と南側には、祭司たちが使用する部屋があるようです。聖域に面している北の部屋と南の部屋は、聖なる部屋であって、主に近づく祭司たちが最も聖なるささげ物を食べる所である。その場所は神聖であるから、彼らはそこに最も聖なる物、すなわち穀物のささげ物、罪のためのいけにえ、罪過のためのいけにえを置く。司たちは聖所に入ったなら、そこから外庭に出てはならない。彼らが奉仕に用いる服は神聖だから、それを脱いで他の服に着替えてから民の所に近づかなければならない。
第43章: 43章は新しいエルサレム神殿の(4) 壇について述べる。神の栄光が東の方から現われ、神殿の東門をとおって主の栄光が戻って来たことが記されていました。そして主の栄光は神殿に満ちていたのです。その東門から入ることが許されるは「君主」だけです。台座を別として、祭壇自体の大きさの寸法は12キュビト平方です。神殿の務めはツァドクの子孫のレビ人の祭司だけが、神に近づき、神に仕えることができるとしています。
第44章: 44章は新しいエルサレム神殿の(5) 主の宮のすべての定めについて述べる。祭司エリ家に対する神の厳しいさばきの預言のあとに、次のようなことばが語られています。それは「わたしは、わたしの心と思いの中で事を行なう忠実な祭司を、わたしのために起こそう。わたしは彼のために長く続く家を建てよう。ソロモン王以降は「ツァドクの子孫のレビ人」が正統派の祭司としてエルサレムの神殿での祭司職に就くこととなったのです。そしてその職は特権的立場であり、永久職でした。祭司の着る服について、かぶり物について、頭髪について、ぶどう酒を飲むことについて、結婚について、死人に触れることについてなどの規定が示されます。例祭でのおきてを守ること、安息日を聖別することによって、また、生活のすべて環境において主に従うことが、彼らの務めでした。

(つづく)