ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 桐野高明著  「医療の選択」(岩波新書 2014年7月)

2015年11月23日 | 書評
日本の医療の将来を選択するための論点整理 第10回 最終回

第4章 新しい治療法を目指して

2010年日本学術会議の金澤会長は、ホメオパシーが科学を無視した荒唐無稽な治療法であるとして、これを臨床の現場から追放すると訴えた。偽の薬で、本来効果はない治療法が効果を発揮する現象をブラセボ効果という。平安時代の密教などはこうした治療(加持祈祷)で天皇の神経症を治して、巨大な寺院を賜って聖人となった。薬の有効性は二重盲検法で効果を統計検定する。薬効のメカニズムはその段階で分からなくてもいい。最初は動物で有効試験をし、次にやはり動物で毒性試験を実施し、最後に残った候補薬を人を対象とした臨床治験を行う。本書ではサリドマイド胎芽症、フレミングのペニシリンの発見とフローリー・チェインが量産技術開発によって抗生物質が広く使われるようになった話や、抗胃潰瘍薬シメチジン(H2ブロッカー)の開発物語、ピロリ菌が胃潰瘍の原因となる話など薬や医療の開発物語を楽しく読むことができるが、それらは省略して医薬品や医療機器開発に移ろう。臨床治験の全過程を、日本では医薬品開発は独立行政法人医薬品医療機器総合機構PMDAが監視する。薬の開発には10年、1000億円という費用が掛かる。最近新薬の開発はさらに難しくなってきている。年間1000億円を超す売り上げをしめす大当たり新薬を「ブロックバスター」と呼ぶ。そのような薬は、高脂血症治療薬、高血圧治療薬、抗血小板剤、間接リュウマチ治療薬、抗ぜんそく薬などがある。高脂血症治療薬アトルバスタチンは年間1兆6000億円にも達した。しかし新規の新薬は全世界で年間15-20製品にしかすぎない。新薬開発はこれほど困難でギャンブル性の高い事業である。生活習慣病関連の新薬は飛躍的に進歩した。胃潰瘍や十二指腸潰瘍薬、慢性間接リュウマチ,気管支ぜんそく、潰瘍性大腸炎、クローン病の薬物療法が長足の進歩を遂げた。ハーセプチンは乳がんの治療薬解いて注目されたが、HER2という標識を持つがん細胞にしか効かない(全乳がん患者の20%-30%)ので、HER2陽性患者を見分ける「個別化医療」と併用される。個別化医療(オーダーメイド)は遺伝子診断技術の進歩とともに期待される分野である。肺がんの抗がん剤でチロシンキナーゼを選択的の阻害する「イレッサ」が注目されたが、日本では間質性肺炎の副作用で大きな社会問題となったことは記憶に新しい。抗がん剤のような作用が激しい薬は副作用の危険もまた大きい。医療は不完全であり、医薬品もまた不完全なのである。2013年5月読売新聞は「医療後進国になるな」という見出しで、日本の医薬品と医療機器の開発力が乏しいとして、貿易赤字は2011年で2.9兆円に上ったと警鐘を鳴らした。日本の赤字の主役は資源エネルギーで、黒字の主役は自動車などの機械類である。その差が貿易赤字であり、財務省のデータでは医薬品の貿易赤字は1.4兆円で、日本全体の貿易赤字総額の3.7%を占めるに過ぎない。それはそれとして、日本の製薬企業の開発力は弱いことは事実である。今後の発展が期待されるバイオ医薬品で後れを取っていることは、心配の種である。日本の医療機器メーカーが国際的に特徴ある製品を開発してきたことは良く知られている。診断や治療に欠かせない超音波装置、内視鏡、レントゲン写真フィルム、パルスオキシメーター、CTスキャン、手術内視鏡がある。90年代になって医療機器の貿易赤字は6000億円を超えた。この原因はカテーテルなどの治療機器の割合が増加したためである。医療研究の世界でのレベルは、論文数、被引用数のいずれもの本は上位を占めている。世界の大学ランキングでは日本の基礎研究機関はトップレベルに付けている。しかし日本は臨床医学というと論文数は世界の18位と遅れている。日本の臨床論文では症例報告は多いのだが、治療のエビデンスを示す大規模ランダム試験、コホート研究などの研究が少なくい。また臨床治験の力も不足しているといわれ、ドラッグ・ラグ、あるいはデバイス・ラグの原因となっている。医学教育面でも公衆衛生学部での生物統計学、疫学、感染症学、栄養学、遺伝学、行動科学、国際医療保険額、医療政策学の分野で海外の大学に後れている。大型で本格的な臨床研究を実施する基盤が十分でなかったことが、臨床研究が振るわない要因であった。大学の中に臨床研究センターのような機関の設置が必要であろう。医療産業の発展を優先するならば、日本の医療制度を大きく米国型に変える必要があるという見方も生まれている。混合診療の全面解禁により医薬品や機械の価格を高めに設定することができ、患者は健康保険の他に民間医療保険にも加入し総医療費を増加させ、投資価値のある魅力ある医療産業を興すべきであるという意見である。病院運営についても株式会社制度を認め、資金と競争力のある組織にすべきであるという。その例をお隣の韓国に見ることができる。韓国では医療の営利化・産業化は日本より先行している。そして韓国では病院の質の低下と医療費の高騰を招いた。市場主義医療のパラドックスがここでも現出したのである。効率化(高収益率)のスローガンの為、非人間化が招来される。いったい医療産業は誰のためにあるのだろうか。患者の為か投資家の利益の為か。ヨーロッパにも優秀な製薬会社は多い。諸外国に学ぶ必要はあるのだが、米国一辺倒である必要はないのだ。米国で実現しているのは国民のなかの大きな経済格差と社会の分断である。米国のように、医療を受けるために支払い不能な治療費を請求され破産を覚悟しなければならにような社会がはたして健全な社会と言えるのだろうか。

(完)
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読書ノート 桐野高明著  「医療の選択」(岩波新書 2014年7月)

2015年11月22日 | 書評
日本の医療の将来を選択するための論点整理 第9回

第3章 超高齢社会に立ち向かう (その2)

日本の医療提供体制は、医療費は公的な国民皆保険制度が、医療の提供は主として民間が支えるという体制で行われてきた。その特徴は医療のかかり易さ(アクセス)重視の医療であり、誰でもどこでもどこの医療機関へもアクセスができることである。1960年代は先進国間の医療体制にさほどの差はなったが、他の先進国が病院を急性期治療に切り替え、医療を「成熟社会型」に改革した。日本では病院改革は急速には進まず、病院の数は多く急性期の病床の数も多かった。又平均在院日数は他の国よりずば抜けて多かった。他の先進国の在院日数は2週間以下であるが、日本では1か月以上であった。1997年医療法改正により医療の安全や、患者の権利尊重に重点が置かれた。2004年福島県病院事件が起こり医師が逮捕起訴された。これが小泉内閣の総医療費抑制政策の中で、日本の医療崩壊の引き金になった。成熟社会型医療への改革を進めることになり、①充実した教育体制と厳格な専門医認定制度、②病院機能の集中化・集約化、③病院と診療所の密接な連携、④チーム医療の推進と職種による制限の見直し、⑤医療安全と患者権利尊重のためのシステムがその特徴である。高齢化社会では病院完結型では限界があり、退院後の在宅ケア―やリハビリや、介護体制がキーポイントになる。これを地域完結型と呼ぶ。21世紀になって医療への批判が噴出している。まず医者がそれほど尊敬されなくなった。医者の父性権威が地に落ちたのである。医療事故・医療安全・医療崩壊について日本社会に不満が広がったためである。福島原発事故で専門家・学者の権威が地に落ちたのと同様な現象である。フリードソンは「医療と専門家支配」で医療への信頼が危機に瀕していると警告した。イリッチは「脱病院化社会」で医原病から患者の命を守る市民運動が広がっているという。イリッチは社会が病院を過剰に信頼し、医療に過剰に依存している現状を批判している。多剤耐性菌問題、過剰な手術、下手な手術、エックス線被ばく問題、抗がん剤多用による衰弱死という問題を指している。日本でも岡田正彦著 「医療から命を守る」(日本評論社 2005年)、近藤誠著 「医者に殺されない47の心得」(アスコム 2012年)などの書がある。日本では急性期医療の有効性に目を奪われ、その充実に力を注いできたが、幅に広い総合的なプライマリーケアをになる人材養成が遅れている。大病院に人材が偏在したため地域医療のスタイルはマイナーとみなされてきた。優れたびゅいんのイメージは大きくて立派な建築物、最新の機器、集中治療室の充実、ヘリポートもステイタスシンボルである。病院間の競争も投資額の大小で集客力が支配される。医科学研究には莫大な研究費が投入されるが、高齢者福祉には概して貧弱な対応しかしてこなかった。医師の専門性はますます狭く深くなった。一人の複雑な患者にはチームが作られ複数の専門医が対応する時代となった。2013年4月厚生労働省は専門医のあり方の審議会の結果を公表した。継続的で全人的な医療の専門家として「綜合診療医」を位置付け、専門医養成プログラムに組み入れるという。2017年度をめどに要請が開始されることになった。治療が成功したといっても必ずしも健康な生活ができるとは言えない。寝たきり老人やスパゲッティ症候群となっては、その人の人生の予後はよい状態とは言えない。高齢者を病院から放り出せば勝手にうまくゆくわけではない。受け皿が必ず必要だ。治療後の生活を支える地域包括ケアの充実が2008年の研究会報告書で指摘された。その運営主体に医師会またはNPO法人、または自治体が中心になってさまざまな取組が行われている。

(つづく)
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読書ノート 桐野高明著  「医療の選択」(岩波新書 2014年7月)

2015年11月21日 | 書評
日本の医療の将来を選択するための論点整理 第8回

第3章 超高齢社会に立ち向かう (その1)

団塊の世代(1947-1949年生まれ)と呼ばれる世代は2015年に前期高齢者(65歳―74歳)に達する。高齢者が増えれば医療や介護の必要度が高くなる。それをどうすることもできるわけはないが、国や地域ではそれへの対応が必要だ。少子高齢化という人口動態は、すでに決まったことでこれから20年間という1世代間までいかなる施策も無効である。つまり施策の効果が現れるのは20年後である。河野稠果著 「人口学への招待」(中公新書 )に、近未来的な日本の少高齢化は「合計特殊出産率は2013年まで1.21まで下がり、2007年より日本の人口は減少傾向になる。2055年には総人口は9000万人をきる。65歳以上の高齢化人口は2040年まで上昇し、14歳までの未就業人口は一貫して減少し続ける。100年後には日本の人口は4000万人以下となる。何らかの人口抑制策を講じて2025年にもし人口置き換え水準に恢復したとしても、2080年に人口は8000万人に一定化する」というのである。産めよ増やせよという戦前のスローガンとおなじような政治家の掛け声だけが無内容に聞こえてくるのは当然である。政治家や経済学者は子供を消費者としか見ていないようで、生きづらい世の中をどうするのでもなく、女性の地位と負担を軽減するわけでもなく、都議会の野次のように女性に向かって産めということしか言わない。2012年に高齢化率は24%を超えた。超高齢化社会は長寿社会を実現してきた先進国にとって必然の現象である。日本社会の持続性にとって、高齢化は実は重要な問題ではなく、少子化こそが大問題なのだ。平均寿命はゼロ歳児が今後何年まで生きられるかという指標で男性で80歳、女性で87歳を超えた。今ある年齢の人があと何年生きられるかという推定値を平均余命という。厚生省の完全生命表データからいうと55歳の人は17.8年であるという。平均的には73歳で死亡するということだ。高齢者の平均余命は実はそれほど大きくは伸びていない。また日常的に介護を必要とせず自律して生活ができる期間を健康寿命という。2010年で男性は70歳、女性は73歳だという。健康寿命から平均寿命までの10数年間が人のお世話になって生きる期間であろう。人は時が来れば死ぬものであり、その運命を受容しなければならい。生物学的に言うと、人の細胞分裂には固有の限界がある。これを「ヘイフリック限界」と呼ぶ。又遺伝子レベルでいえば、テロメアという染色体の末尾に着く塩基配列が少しづつ短くなってくると、細胞周期抑制タンパク質が作られて細胞分裂が止まるのである。それが生物学的死である。日本人の生活レベルの向上によって戦後は結核は急速に減少し、脳卒中、がん、心疾患が死因の3大疾病となり、先進国型の疾病構造となった。西ヨーロッパでは、最初に医師に診察を受けるプライマリーケア―、専門分化した治療を受けるセカンダリーケアとに分離している。専門医と綜合医は最初から分離して別々の職能集団を構成する。米国ではプライマリーケア―は診療所、セカンダリーケアーは病院が担当する。病院はオープンシステムで運営され、最初に診断した医師が病院に行って患者を治療する。つまりプライマリーケアー医師とセカンダリーケアー医師に身分の差はない。日本病院のあり方は米国とも西ヨーロッパとも異なる。戦後日本では公的大病院が作られたが、1960年ごろから民間の中小病院が急増した。プライマリーケア―を担当していた医師個人の診療所が小規模病院を目指した。民間病院は小規模病院から大規模病院を目指すことになった。私的運営の病院とはいえ、救急医療、災害医療、へき地医療、周産期医療、小児医療など公的な面も担っている。

(つづく)
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読書ノート 桐野高明著  「医療の選択」(岩波新書 2014年7月)

2015年11月20日 | 書評
日本の医療の将来を選択するための論点整理 第7回

第2章 脆い国民皆保険制度(その3)

2012年度の厚生労働省白書は「社会保障を考える」というテキストとして好評であった。「なぜ社会保障が必要か」という題で社会保障の必要性や歴史が説明されている。社会保障は近代産業資本主義社会の中で生まれ、社会の安定と国家の発展を支える制度として制度設計されてきた。その制度化に大きな役割を果たしたのが、プロイセンの宰相ビスマルクだという。1879年のパリコンミューン革命の影響を受けて19世紀末はドイツでも革命が起りそうな社会情勢となった。ビスマルクは軍事力で晋仏戦争に勝ち、重工業の労働者の生活改善により社会主義革命から体制を守る必要から、世界でも最初の医療保険制度が作られた。明治維新政府が派遣した岩倉使節団はドイツを訪問して、ドイツから国の制度設計に影響を受けたという。我国の国民皆保険はビスマルク時代のドイツ帝国のエイドを見習ったもので戦前に導入された。1943年には国民の70%が加入する制度となった。そして1961年には文字通りの国民皆保険制度が実現した。国の基本政策が、税金と社会保障負担の合計が高いか低いかと、公的サービスの給付レベルが高い低いかでもって考えなければならないであろう。高負担低給付は収奪型国家のてんけいで話にならないし、低負担高給付は財源として持続的ではなく石油産出国でないと実現しない。高負担高給付は北欧型社会の特徴であり、低負担・低給付は未開国または小さな政府の特徴である。国民負担率(主として国民所得に対する)でみると、2013年ではイタリアが62%、フランス60%、スウェーデン59%、ドイツ50%、イギリス47%、カナダ42%、日本38%、韓国33%、米国31%であった。小さな政府のアメリカが最低の負担率で、日本もどちらかと言えば小さな政府であろう。また日本の公務員数は約538万人で人口1000人当たり42人であり、イギリスは98人、フランスは96人、アメリカは74人、ドイツは70人となっており、日本の公務員はかなり少ないほうですでに小さな政府が実現している。現在小さな政府の新自由主義国家は、富が上から落ちてくるという「トリクルダウン」現象は起きず、富の偏在が進み、貧富の差が拡大した。その結果少数者による富の独占、教育機会の不均衡、富と職業の世襲化などの格差固定化が深刻な問題となった。可能な限り公平で平等な医療制度を持続させようとすれば、国民の負担が増さざるを得ない。これはヨーロッパ型の社会保障である。国民負担という点で各国の消費税率を見ると、2014年現在で日本は8%、イギリスは20%、ドイツは19%、フランスは20%、スウェーデンは25%である。税率が上がることは国民として歓迎されることではないが、医療財源確保の立場からいうと、
① 医療費を含めた社会保障のために税や社会保険料などの負担増を認める。(大きな政府)
② 社会保障レベルを維持することは当然としつつも負担増は認めず、政府のむだをなくして財源を確保する。
③ 経済生長第1主義で、社会保障の負担を最小限にとどめる。(小さな政府)
という3つの立場がある。民主党政権下で②の方向で隠し財源を探して見つからなかったこと、国債依存率が50%の予算では財源はないことは明白であるので期待できない。すると小さな政府か大きな政府のどちらを選択するかという問題である。

(つづく)
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読書ノート 桐野高明著  「医療の選択」(岩波新書 2014年7月)

2015年11月19日 | 書評
日本の医療の将来を選択するための論点整理  第6回

第2章 脆い国民皆保険制度(その2)

毎年増え続ける医療費のため健康保険の財政が危うくなってきた。健康保険は民間企業の職域ごとに形成された組合健康保険と、各市町村が運営する国民健康保険がある。小さな会社の場合全国健康保険協会がまとめる協会健康保険がある。組合健康保険と協会けん保を合わせて加入者は3800万人、国民健保は3800万人、公務員が入る共済組合には約900万人が加入している。75歳以上の後期高齢者医療制度1500万人である。これらを合計すると約1億3000万人となり、我国の総人口に等しい。保険料は収入に連動している。医療費負担は小学生から70歳になるまでが3割負担、70歳から75歳までは2割負担(1割据え置きの年代もある)、75歳乗は1割負担である。診療費が高額な時には高額療養費制度があり、上限額以上の医療費は保険が支払ってくれる。国民がかかった医療費は保険料から50%、税金負担が38%、患者個人負担が12%である。負担関係は複雑で、若い人が多くて財政的余裕のある組合健保、協会健保、共済組合から後期高齢者支援金が拠出される政策(年間保険料の約40%拠出)のため、黒字組合などは少なくなってきた。保険料金を収められない人の割合は国民健保で11%であるという。それぞれの平均保険料率は2013年現在で、組合健保が収入の5%、、協会健保で7.2%、国民健保で9.7%、共済組合で4.9%である。高齢者の多い市町村の国民健保の保険料が一番高い。2001年に始まった小泉内閣の国民医療費抑制政策は、毎年2200億円削減するという自然増抑制政策がとられた。また2002年より医療費の本体部分(医療技術料)の切り下げにより、医療費総額は2.7%切り下げられた。こうして2008年まで2年毎の切り下げにより病院医療は崩壊の時代となった。病院は急性期医療に集中し、平均在院日数の削減などの医療費抑制策を講じ乍ら、診療報酬の削減されるなかで医療の質を上げる努力も必要であった。イギリスのサッチャー首相によるNHS改革、小泉首相による医療費削減政策は著しく医療の荒廃を招いたが、ブレア―首相が医療費の増額を図り、日本では民主党政権でのわずかながら医療報酬の切り上げが行われた。米国の医療レベル(質)が世界最高であることは間違いないとしても、大きな医療格差(医療費、アクセス可能性)という問題を抱えている。これを市場主義医療のパラドックスと呼ぶ。アメリカでは医療費を削減するため様々な方策が考えられている。「オレゴンプラン」では医療行為の効果(死亡は0、完治は1として0-1の値をつける)と費用を勘案し、順序をつけてある番号より下は保険給付(もちろん民間医療保険のことだが)の対象外とする。コストが高くて効果が少ない治療法は社会的損失なので保険の対象外となる。金持ちは一縷の望みをかけて自費で治療する。さてこういった割り切り方が日本で通用するだろうか。医療費抑制の一番有効な方法は特許が切れたジェネリック医薬品を選択することである。さらに保険の免責という方法もある。一定額を保険から免責し、患者が自己負担する方法である。患者の受診を抑制する方法だが保険会社優遇策のようで患者には納得できないだろう。また診療費が一定額以上を超えたら、超えた部分を自己負担とする方法もある。これは混合診療の変種かもしれないが、日本の高額療養制度の逆を行く制度であるが到底日本では理解されないだろう。アメリカ式医療の現状は憂鬱な選択になるだろう。今ある皆保険制度を全部廃止するのではなく、基本部分は守り、それを超える部分は患者の自由な判断に任せるという混合診療の全面解禁案もある。この混合診療は1976年の中医協で禁止通達が出された経緯をふまえ医師会を始め医師の団体は強く反対しているが、経済界は全面解禁を強く主張している。早川幸子氏の「混合診療にまつわる3つの誤解を解く」という記事が2013年7月6日の朝日新聞に掲載された。
① 確実な治療法に対しては先進医療の保険外併用療法があり、日本の医療制度が硬直的だという批判は当たらない 
② 混合診療を無制限に認めると根拠のない危険な医療がまかり通り、自由診療の方がよい治療を受けられるという期待は誤解である。
③ 保険適用外の薬は高めに設定され、医療費は高騰することは容易に推察できる。混合診療の方が国民負担は軽くなるという説は誤解である。

(つづく)
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