ブログ 「ごまめの歯軋り」

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「文語訳 旧訳聖書 Ⅱ 歴史」 岩波文庫

2020年04月30日 | 書評
鉄線

イスラエル民族はカナンの地でダビデ・ソロモンのもと統一国家を形成し、後南北王国に分裂しアッシリアに滅ぼされバビロンの幽囚となる時代の歴史12書

2) 「文語訳旧約聖書 Ⅱ 歴史」(岩波文庫2015年)(その41)

2-9) 歴代志略 下 (その1)

列王記略下は全36章(岩波文庫で75頁)である。「歴代志略 下」にはソロモン王の事績から南のユダ王国の歴史、バビロンの幽囚までを描く。北のイスラエル王国と南のユダ王国の分裂時代では、エルサレム宮殿のあるユダ王国の歴史に詳しく、イスラエル民族の浮沈はすべてエホバへの信仰かバール神など異教への信仰かによって左右されるという歴史観でまとめられている。最後はアッスリアのネプカデネザル王によるエルサレムの陥落(紀元前586年)とバビロンの捕囚となり、最終的にはペルシャ王クロスによる解放(紀元前538年)で終わる。(「志」について記す。「志」とは通用「誌」のこと、歴史書のことになる。記紀体の歴史書中、「本紀」・「列伝」とは別に、地理、天文、経済、礼楽の事項を記す。古事記が本紀・列伝とすれば、風土記は志である。従って、旧約聖書の歴史書で列王記が列伝だとすれば、「歴代志」は本来の志ではなく、列伝の補完的な存在である))
第1章: ソロモン王、イスラエルの全会衆をギベオンの丘に(モーセが作った神の幕屋のあるところ)に集めて丘の上の銅製の壇の前で燔祭を執り行った。しかし神の契約の櫃はダビデがすでにキリアテヤムからエルサレムの幕屋に移設してあった。その夜エホバがソロモンに顕われ汝に何を与えるべきか申せといった。ソロモンは今我に知恵と知識を与え給え、これだけ多くの民の裁きを行う智慧が必要だからといった。富と財宝、尊い地位よりも知恵と知識を求めるのは殊勝なことだ、すでに汝には授けたとエホバの言葉があった。ソロモン戦車1400輌騎兵12000人を持って要所に配置してある。戦車・馬はエジプトから金を持って贖ったものである。 
第2章: ソロモンはエホバのための家(神殿)と己の国のための家(宮殿)の建築計画を告げた。賦役の15万人(運搬7万人+石・木の切り出し8万人+監督者3600人)にイスラエルに住む異邦人15万人を動員することとした。そしてダビデの香柏の家の建設のときと同じようにツロの王ヒラムを召して協力を依頼し、同時に建設技術者一人の派遣を依頼した。ツロの王ヒラムはエホバとソロモンを讃えて要請に応えることになった。またツロの王ヒラムには木の切り出しの作業者の食料をソロモンが負担すること、ヨッパ港で材木の荷を下ろしてからの運搬はソロモンが負担することなどを決めた。「列王記略 上」の第5章にこの記事が記載されている。 
第3章: ソロモン、エルサレムのモリア山にエホバの家を造ることを始めた。ダビデがエブス人オルナンの脱穀場にエホバの幕を張ったところである。建築物の寸法、構造、材料などについては「列王記略 上」第6章に記載されている。イスラエルの子孫がエジプトを出て480年後ソロモン王第4年2月に、ソロモンはエホバの家(神殿)を建てることを始めた。神の家(拝殿と神殿)の大きさは長さ28m、幅10.5m、高さ13mである。(Ⅰキュビト=0.44m ローマ時代として計算)また家の周囲には連結屋を建て、らせん階段で結ばれ下層の連結屋は幅2.2m、中層の幅は2.6m、第三層の幅は3.1mである。家の外に階段をつけ周囲にめぐらす。基礎は、石切り場で整えた石を積み上げる。その壁を香柏の垂木と板を持って家を作った。家の壁の内側を香柏で張り、床は松の木を張った。基礎構造物の石は見えないようにしてある。家の奥は8.8mの室を壁から床まで香柏でつくり至聖所すなわち神殿を造った。拝殿は17.6mである。
第4章: この章には「列王記略 上」第6章に記載されていない事項がある。銅製の壇(8.8m×8.8m×4.4m)と壇の周りに縁まで4.4mの円形プール(海)を造る。そのプールは12頭の牛が支える形である。洗盥10個を造り右に5個、左に5個をおき祭司が身を洗うところである。また金の灯台10個、机10個を拝殿の中に置く。金の鉢、庭の戸は銅製である。鍋、肉刺し、これらの器具はすべて銅製である。神の家に入れる器皿、机、燈火台・皿、ハサミ、鉢、匙、火皿、はすべて純金である。戸及び拝殿の取っ手も金である。

(つづく)


「文語訳 旧訳聖書 Ⅱ 歴史」 岩波文庫

2020年04月29日 | 書評
藤棚

イスラエル民族はカナンの地でダビデ・ソロモンのもと統一国家を形成し、後南北王国に分裂しアッシリアに滅ぼされバビロンの幽囚となる時代の歴史12書

2) 「文語訳旧約聖書 Ⅱ 歴史」(岩波文庫2015年)(その40)

2-8) 歴代志略 上  (その7)

第27章: 宗家の長、千人の長、百人の長および有司らは毎月交代で班を組んでダビデ王に仕えた。その担当と数を記載する。(今でいう公務員の数であろう。紀元前11世紀末のころのデーターで本当かどうは別問題ですが、8世紀の日本の奈良時代の朝廷の仕丁員数でさえよくわからないのに、よく記録している。日本ならさしずめ延喜式に書いてあるのだろうか)班の員数は基本的にどの班でも2万4000人である。以下にその班を卒する宰の名を記載する。1月:ザブデエルの子ヨシヤベアム  正月の軍団の長にしてベレズの子孫 2月:アホア人ドダイ その班の引率する宰はミクロテ 2万4000人 3月:祭司エホダヤの子ベナヤ このベナヤは30人中の勇士 その子アミザバデはその班にいた 4月:ヨアブの弟アサヘル その子ゼバデヤは次長である 2万4000人 5月:イズラヒ人シヤンモテ 2万4000人 6月:テコア人イツケシの子イラ 2万4000人 7月:エフライムの子孫ペロニ人ヘレズ 8月:ゼラの子孫ホシヤ人シカベイ 9月:ベニヤミンの子孫アナトテ人アビエゼル  10月:ゼラの子孫ネトパ人マハライ  11月:エフライムの子孫ピラトン人ペナヤ  12月:オテニエルの子孫ネトパ人ヘルダイ イスラエルの支派を治める者は以下である。ルベン人の牧伯はチクリの子エリエゼル、シメオンの牧伯はマカサの子シバテヤ、レビ人の牧伯はケムエルの子ハシヤビヤ、アロン人の牧伯はザドク、ユダの牧伯はダビデの兄弟エリウ、イッサカルの牧伯はミカエルの子オムリ、ゼブルンの牧伯はオバデヤの子イシマヤ、ナフタリの牧伯はアズリエルの子エレモテ、ギレアデのマナセの半支派の牧伯はゼカリヤの子イド、マナセの半支派の牧伯はベダヤの子ヨエル、ベニヤミンの牧伯はアブネルの子ヤシエル、ダンの牧伯はエロハムの子アザリエルデアル。アズマウテは王の府庫を掌り、ヨナタンは地方に置いた府庫を掌り、エズリは地を耕す農業を掌り、シメイは葡萄園を掌り、ザブデは葡萄酒の蔵を掌り、ヨアシは油の蔵を掌り、シテライはシャロンの牛の群れを掌り、シャパテは谷の牛の群れを掌り、オビルはラクダを掌り、エデヤはラバを掌り、ヤジスは羊の群れを掌った。これらは皆ダビデの家の所有に関する仕事である。ダビデの伯父ヨタナン、アヒベルトは議官、ハクモニは王の子どもの教育にあたった。ホシヤイは王の補佐官、軍旅の長はヨアブであった。 
第28章: ダビデはイスラエルの民をことごとく集め次のように宣言した。エホバの家を造る準備は終了したが、エホバはダビデにエホバの家の建造を許さなかった。ダビデは軍人で戦争で多くの血を流したからであるという。神はダビデをユダの首からイスラエルの王にした。エホバはダビデの後継者をソロモンと定め給う。エホバの戒めと律法を固く守り行えばイスラエルの将来はいやさかに栄えるだろう。ソロモンが聖所とすべき家を建てるべきであると言った。こうしてダビデは神殿の式様(模型)をソロモンに授け、また事細かに神器の金銀銅の重量まで指示した。ダビデ、ソロモンに命じて一切のことを固く行えと宣言した。
第29章: ダビデ王は全会衆に向かってさらに演説をつづけた。ダビデはエホバの神殿づくりの材料で必要なものは集め置いたが、ソロモンはまだ若くこの大工事は大変荷が重い。自分の所有物である金銀をエホバにの家に捧げるつもりであると。そこで宗家の長、牧伯たち、王の工事を掌る人々はこぞって捧げものをした。献上物は金5000タラント(150トン)、銀1万タラント(300トン)、銅1万8000タラント(540トン)、鉄10万タラント(3000トン)などである。(1タラント=30Kg イスラエル時代) ダビデ王は全会衆の前でエホバを讃え、ソロモンを王に指名しエホバの前で膏を灌いで主君となし、またザトクを祭司とした。ダビデは全イスラエルを治めた期間は40年であった。ダビデ王の事績はサムエル書、預言者ナタンの書、ガドの書にも記されている。(ただしナタンの書、ガドの書は存在しない)

(つづく)

「文語訳 旧訳聖書 Ⅱ 歴史」 岩波文庫

2020年04月28日 | 書評
牡丹(ピンク)

イスラエル民族はカナンの地でダビデ・ソロモンのもと統一国家を形成し、後南北王国に分裂しアッシリアに滅ぼされバビロンの幽囚となる時代の歴史12書

2) 「文語訳旧約聖書 Ⅱ 歴史」(岩波文庫2015年)(その39)

2-8) 歴代志略 上  (その6)

第24章: アロンの子孫の班組は以下の通り。アロンの子らはナダブ、アビウ、エレアザル、イタマルである。ナダブ、アビウは神の怒りに触れて死んだので、エレアザル、イタマルが祭司となった。ダビデはエレアザルの子孫ザドク、イタマルの子孫アヒメレクを分かちて職と務めに任じた。エレアザルの子孫である宗家の長は16、イタマルの子孫である宗家の長は8あった。彼らは籤によって聖所の管理、神の管理に平等に配された。レビ人ネタネルの子シマヤという書記がダビデ、牧伯ら、祭司ザトク、アヒメレクの承認のもとで班の順序を書き記した。第1から第24の職務の順序と担当者の名前が記載されるが、これは煩雑なので割愛する。その他のレビの子孫は次のようである。アムラムの子ら:シュバエル→エデヤ。レハビヤの子ら:イッシャ。シュロミテの子ら:ヤハテ。ヘブロンの子ら:エリア、アマリア、ヤハジェル、エカメアム。ウジェルの子ら:ミカ→シャミル。イッシャの子ら:ゼカリア。メラリの子ら:マヘリ、ムシ。ヤジヤの子ら:ベノ、ショハム、ザックル、イブリ。ムシの子ら:マヘリ、エデル、エリモテ。 
第25章: アサフ、ヘマン、エドソンの子らを選んで、琴と瑟、鏡鉢を取って預言する(エホバの言葉を謳う)職である伶人(音楽を奏する人)とした。アサフの子ら:ザックル、ヨセフら。エドソンの子ら:ゲダリア、ゼリら。ヘマンの子ら:ブツキヤ、マツタニヤら。ヘマンの子らはエホバの家に就き、アサフ、エドソンの子らははダビデの家に就いた。その数288人。担当の順番は籤によって決め、24の班で構成する。
第26章: 門を守る者の班組を記載する。コラ人アサフの子コレの子ら:メシレミヤ、メシレミヤの子ら:ゼカリア、ゼパデア、ヤテニエル、エラム、ヨナハン、エリヨナイ。オベデエドムの子ら:シマヤ、ヨザバテ、ヨア、サカル、ネタネル、アシミエル、イッサカル、ピウレタイ。シマヤの子ら:オテニ、レパエル、オベデ、エリザバテ。彼らは皆力あるものであった。メシレミヤの子ら兄弟18人。メラリの子孫ホサの子ら:シムリ、ヒルキヤ、テバリヤ、セカリヤ、ホサの兄弟13人。籤によって、東の門を守るのはシレミヤ、北の門を守るのはゼカリヤ、南の門はオベデエドム、西の門を守るのはシュパムおよびホサになった。東の大路の警備はレビ人6人、北の大路の警備は4人、南の大路にも4人、西の大路にも4人であった。彼らはコラの子孫とメラリの子孫である。神の庫および聖物の庫を掌るレビ人は、ラダンの子孫エヒエリ、エヒエリの子孫と兄弟である。モーセの子ゲルショイの子であるシブエルが庫の宰である。聖物の庫を掌るのはシロミテとその兄弟である。外事および裁き人の宰はイズハリ人ケナニヤとその子等である。ヘブロン人ハシヤビアとその兄弟1700人がヨルダンの西のイスラエル人の監督者(行政の長)となった。ヘブロン人エリアはダビデの治世40年間軍人(大勇士)の家であり、その勇士2700人であった。

(つづく)

「文語訳 旧訳聖書 Ⅱ 歴史」 岩波文庫

2020年04月27日 | 書評
牡丹

イスラエル民族はカナンの地でダビデ・ソロモンのもと統一国家を形成し、後南北王国に分裂しアッシリアに滅ぼされバビロンの幽囚となる時代の歴史12書

2) 「文語訳旧約聖書 Ⅱ 歴史」(岩波文庫2015年)(その38)

2-8) 歴代志略 上  (その5)

第19章: 「サムエル書 後書」第10章に相当する。ほとんど内容も同じなのだが要点のみを記述する。アンモン人の子孫ハヌンが王になり、ダビデはこれを祝しようと使者を送った。しかしアンモン人の伯らは王ハヌンに、ダビデはアンモン人の邑を掠めるために探りを入れに来たに違いないといい、使者を辱めて返した。アンモン人は援軍としてベテホブのスリア人、ゾバのスリア人2万人とマアカ王より1千人、トブの人1万2000人を雇った。ダビデはヨアブをスリア人に対し、その兄弟アビシャイをアンモン人の子孫に対して備えた。ショバクを軍長とするアンモン人の子孫はヘラムに集結し、ダビデの軍を見て逃げ出し、それを見たスリア人軍も逃げ出した。ダビデは全イスラエル軍をヘラムに集結してスリア軍の人騎兵4万人、車の人700人を殺した。そしてショバクも撃った。これによってスリア人はアンモン人の子孫を助けることはしなくなった。
第20章: 「サムエル書 後書」第12章に相当する。本章はダビデの野蛮さ・貪欲さ(悪行)を記述しエホバが顔をしかめる伏線としている。前の第19章でアンモン人を打ち破り、その上ダビデ軍旅の長ヨアブは徹底した焦土作戦を行った。ラバを攻略しこれを滅ぼした。邑の中から財宝を奪ってダビデの冠にした。又村の民を鋸と斧で切り殺すなど残虐な行為があった、この後ペリシテ人と戦争になり、イベカイ巨人族の子孫であるシバイを殺した。ヤイルの子エルナンはガテのゴリアテの兄弟ラミを殺した。さらにダビデの兄弟シメアの子ヨタナンは巨人族を滅ぼした。
第21章: この章は「サムエル書 後書」第24章に相当しエホバはイスラエルに禍をもたらした。エホバ、イスラエルに向かって怒りをなし、ダビデに対しイスラエルとユダの民を数えよと命じた。ダビデはヨアブおよび軍長を集めて命を伝えた。ヨアブ等はその意味が分からなかったが、ダビデの意思が強かったのでイスラエルの民を調べた。9か月かかって調べた結果はイスラエルの軍士は110万人(サムエル書後書では80万人)、ユダの軍士は47万人(サムエル書後書では50万人)であると王に報告した。(ただしレビ人とベニヤミンは含まれない) このことの愚かさを悟ったダビデはエホバに真意を問うた。エホバの言葉は預言者ガデに臨み、三択より一つ選べという。①3年の飢饉がいたらん、②敵に追われて3か月前に逃げるか、③3日の疫病あらんかという問題であった。悩んだ末ダビデは人の手に陥いるよりは、エホバの手に陥いる方を選ぶといい。③を選んだ。疫病で死ぬ人7万人、天使はイスラエルを滅ぼすつもりであったが、エホバはこれを押しとめた。ダビデは民を殺すよりは禍は我が家と父の家に向かえと懇願した。預言者ガデはダビデにエブス人アラウナの穀物場に祭壇を設けよといった。アラウナはダビデの申し出に驚いたが、これに応じて壇を設ける土地、材料の提供を申し出た。ダビデは金を払って穀物場と牛を買い取り、ここにエホバへの壇を築き、燔祭と酬恩祭を行った。エホバはダビデの祈祷を聞き給い、災は止んだ。(しかし前半の兵士の数を数えることと後半のイスラエルの疫病の禍のつながりが理解できない)
第22章: ダビデは晩年神の家を建てる準備に取り掛かった。異邦人を雇い、香柏、石工、鉄の建築材料また銅を夥しく蓄積した。特にシドン人およびツロの者夥しい香柏を運び込んだ。ダビデはその子ソロモンを呼んでイスラエルのために神エホバの家を造ることを命令した。ただダビデ自身は征服戦争に明け暮れ多くの血を流したので家をたえることをエホバは喜ばない。エホバはソロモン(平安)の時代にイスラエルに平和をもたらすであろう。エホバは汝に知恵と悟りを賜い、汝をイスラエルの上に立てるだろう。エホバの家のために金10万タラント、銀100万タラントを備蓄し、銅と鉄も準備した。ダビデはイスラエルの一切の部族の長老(牧伯)らにソロモンを助けるよう次のように命じた。エホバ神の聖所を建てエホバの契約の書の櫃と神の聖器を携えて入るべしと。
第23章: ダビデ老いてその子ソロモンをイスラエルの王とした。そしてイスラエルの全支派の牧伯(長老)とレビ人と祭司を集めた。レビ人の30歳以上なる者の数は3万8000人、うちエホバの家のことに仕える者2万4000人、事務及び裁判人は6000人、門を守るもの4000人、楽器を奏する者4000人である。ダビデはレビの子孫を3つの班に分けた。ゲルション、コハテ、メラリである。その子孫の系図は以下の通り。
ゲルションの子孫: ラダン、シメイ。ラダンの子らはエヒメル、ゼダム、ヨエル。シメイの子らはシロミテ、ハジェル、ハラン。エリエゼルの子らはレハビア。
コハテの子孫: アムラム、イズハル、ヘブロン、ウジェル。アムラムの子らはアロンとモーセ。ヘブロンの子らはエリヤ、アマリヤ、ヤハジェル、エカミアム。ウジェルの子はミカ、エシア。 
メラリの子孫: マヘリ、ムシ。マヘリの子らはレアザル、キシ。ムシの子らはマヘリ、エデル、エレモテ。 レビの彼らの職はアロンの子孫に属して神の家の役事をなし、諸々の室の用をなし、聖物を浄めることなどすべて神の家の役事である。又供えるパン、菓子を作るものを掌る。毎朝夕の祈りを掌り、安息日と朔日と節会において燔祭を捧げ、幕屋の職守と聖所の職守である。

(つづく)
 

「文語訳 旧訳聖書 Ⅱ 歴史」 岩波文庫

2020年04月26日 | 書評
石楠花

イスラエル民族はカナンの地でダビデ・ソロモンのもと統一国家を形成し、後南北王国に分裂しアッシリアに滅ぼされバビロンの幽囚となる時代の歴史12書

2) 「文語訳旧約聖書 Ⅱ 歴史」(岩波文庫2015年)(その37)

2-8) 歴代志略 上  (その4)
第14章: ツロの王ヒラムが普請奉行を務めてレバノンの森の材木を切り出してダビデの家を建てた。ダビデがエルサレで作った子の名前は、サムエル書後書第5章に書いてあるので省略する。ダビデが統一イスラム国の王になったことを聞いたペリシテ人がレバイムの谷を侵した。ダビデがペリシテ人を撃ったことはサムエル書後書第8章にも書かれている。 
第15章: ダビデが神の契約の櫃を運ぶことはサムエル書後書第6章に書かれている。神の契約の櫃を担ぐ(ただし櫃に手を掛けてはいけない)ことができるのはレビ人のみである。ダビデはアロンの子孫レビ人を集めた。コハテの子孫からウリエルを長として120人、メラリの子孫の中よりアサヤを長として220人、ゲルションの子孫の中よりヨエンを長として130人、エリザパンの子孫の中よりシマヤを長として200人、ヘブロンの子孫の中よりエリエルを長として80人、ウジエルの子孫の中よりアミナダブを長として120人。計870人が担ぎ手として選ばれた。ここにダビデは祭司ザドク、アビヤタル、ウリエル、アサヤ、ヨナル、シマヤ、エリアル、アミナダブの7名の宗家の長を召して激励した。彼ら以外の者が櫃に近づくとエホバは怒り禍を及ぼす。モーセの言葉に従って紙の契約の櫃を貫通する棹によって肩に負った。ダビデはその兄弟の中より謳歌者(管弦付き合唱団)を選び、琴瑟と打楽器を持って打ちはやして歓喜の声をあげて行進するように指示した。レビ人より謳歌者にヘマン、アサフ、エタン(同時に打楽器奏者)、琴奏者にゼカリア他8人、瑟奏者にマツタヤテほか6人、担ぎ者の長にはケナニヤ、行進の前でラッパを吹く者には祭司シバニヤ、ヨシヤパテほか5人、櫃の護衛者はオベデエドム、エヒアであった。一切の指揮者はケナニヤであった。ダビデは細布の衣をまとった。 
第16章: 神の契約の櫃を担ぎ入れて、ダビデは幕屋の中に据え付け、燔祭と酬恩祭を神にささげた。その後民を祝福してパン1個・肉1切れ・葡萄1房を民に分配した。櫃の前において雅樂の長アサフ、ゼカリア、エイエルらにより楽が奏でられた。その日初めてダビデはアサフに命じてエホバを讃える言葉を奉った。「・・・アブラハムと結びし契約、イサクに与えし誓いなり、これを固くしてヤコブのために律法となしイスラエルのためにとこしえの契約となし・・・全地よエホバにむかいて謳え日毎にその救いを述べ伝えよ・・・エホバに感謝せよその恩は深くその憐れみは限りなし・・・エホバは窮みなこまでほむべきかな、すべての民はアメンと唱えてエホバを褒め称えた」 ダビデはアサフとその兄弟を契約の櫃の前に留め置き、日々の祭りの執行と櫃の守りとし、オベドエムとその兄弟68人を門の司となした。祭司ザトクおよびその兄弟である祭司はギベオンの丘でエホバの天幕の前の守りとした。燔祭の壇に上にて朝夕の燔祭を行わしめた。ヘマン、エドトンらは楽器奏者であった。 
第17章: ダビデが預言者ナタンを呼び、自分が香柏の家に住むようになったのに、幕の下にある契約の櫃をいかがしたらいいかと問うた。その夜エホバの言葉がナタンに降った。「神エホバのために我の住む家を建てることはない。イスラエルとエジプトから導き出して以来幕屋から幕屋へ移動してきた。私は汝ダビデと共に居て諸々の敵を打ち破り、汝を名だたるものにした。また民の住む場所を定め植民してきた、だからエホバの住む家は不必要だ。」 ナタンからこのエホバの言葉を聞いたダビデは「この大いなる事業を達成してきたエホバのほかに神は無し。願わくば僕ダビデの家は神エホバの前に堅く立つ、神はダビデのための家を建てた。僕の家を祝福みて、神の前に永く存在するようにありたいものです。」つまり王の家の前に神の家が存在し、いつでも神の家(本殿)を拝む王の家(拝殿)という位置づけを固定したかったようである。
第18章: この章の内容は「サムエル書 後書」第8章に相当する。ダビデはペリシテ人を撃ち降伏させてガテ邑を奪った。またモアブ人を撃ちこれを臣従させた。モアブ人は貢を入れた。またハマテのほとりでゾバの王ハダレゼルを撃ち、車千両、騎兵7000、歩兵2万を奪った。この時王ハダレゼルの援軍に来たダマスコのスリア人2万2000人を殺し、ダマスコに鎮台を置いた。スリア人はダビデに臣従した。ゾバの王ハダレゼルと敵対関係にあったハマテの王トイの子ハドラムがダビデの戦勝の祝にきてダビデニ金銀銅の器を贈った。こうしてダビデの快進撃が続き、ゼルヤの子アビシャイはエドム人1万8000人を殺し、エドムに鎮台を置いた。ダビデはイスラエルの全地を治めて、民に公平と正義の体制を敷いた。軍旅の長にゼルヤの子ヨアブ、史官にヨシヤバテ、祭司にザトク、アビメレク、書記官にはシャウシヤ、ケレテ人ペテレ人の長にはベナヤ、大臣にはダビデの子らを任命した。

(つづく)