鉄線
イスラエル民族はカナンの地でダビデ・ソロモンのもと統一国家を形成し、後南北王国に分裂しアッシリアに滅ぼされバビロンの幽囚となる時代の歴史12書
2) 「文語訳旧約聖書 Ⅱ 歴史」(岩波文庫2015年)(その41)
2-9) 歴代志略 下 (その1)
列王記略下は全36章(岩波文庫で75頁)である。「歴代志略 下」にはソロモン王の事績から南のユダ王国の歴史、バビロンの幽囚までを描く。北のイスラエル王国と南のユダ王国の分裂時代では、エルサレム宮殿のあるユダ王国の歴史に詳しく、イスラエル民族の浮沈はすべてエホバへの信仰かバール神など異教への信仰かによって左右されるという歴史観でまとめられている。最後はアッスリアのネプカデネザル王によるエルサレムの陥落(紀元前586年)とバビロンの捕囚となり、最終的にはペルシャ王クロスによる解放(紀元前538年)で終わる。(「志」について記す。「志」とは通用「誌」のこと、歴史書のことになる。記紀体の歴史書中、「本紀」・「列伝」とは別に、地理、天文、経済、礼楽の事項を記す。古事記が本紀・列伝とすれば、風土記は志である。従って、旧約聖書の歴史書で列王記が列伝だとすれば、「歴代志」は本来の志ではなく、列伝の補完的な存在である))
第1章: ソロモン王、イスラエルの全会衆をギベオンの丘に(モーセが作った神の幕屋のあるところ)に集めて丘の上の銅製の壇の前で燔祭を執り行った。しかし神の契約の櫃はダビデがすでにキリアテヤムからエルサレムの幕屋に移設してあった。その夜エホバがソロモンに顕われ汝に何を与えるべきか申せといった。ソロモンは今我に知恵と知識を与え給え、これだけ多くの民の裁きを行う智慧が必要だからといった。富と財宝、尊い地位よりも知恵と知識を求めるのは殊勝なことだ、すでに汝には授けたとエホバの言葉があった。ソロモン戦車1400輌騎兵12000人を持って要所に配置してある。戦車・馬はエジプトから金を持って贖ったものである。
第2章: ソロモンはエホバのための家(神殿)と己の国のための家(宮殿)の建築計画を告げた。賦役の15万人(運搬7万人+石・木の切り出し8万人+監督者3600人)にイスラエルに住む異邦人15万人を動員することとした。そしてダビデの香柏の家の建設のときと同じようにツロの王ヒラムを召して協力を依頼し、同時に建設技術者一人の派遣を依頼した。ツロの王ヒラムはエホバとソロモンを讃えて要請に応えることになった。またツロの王ヒラムには木の切り出しの作業者の食料をソロモンが負担すること、ヨッパ港で材木の荷を下ろしてからの運搬はソロモンが負担することなどを決めた。「列王記略 上」の第5章にこの記事が記載されている。
第3章: ソロモン、エルサレムのモリア山にエホバの家を造ることを始めた。ダビデがエブス人オルナンの脱穀場にエホバの幕を張ったところである。建築物の寸法、構造、材料などについては「列王記略 上」第6章に記載されている。イスラエルの子孫がエジプトを出て480年後ソロモン王第4年2月に、ソロモンはエホバの家(神殿)を建てることを始めた。神の家(拝殿と神殿)の大きさは長さ28m、幅10.5m、高さ13mである。(Ⅰキュビト=0.44m ローマ時代として計算)また家の周囲には連結屋を建て、らせん階段で結ばれ下層の連結屋は幅2.2m、中層の幅は2.6m、第三層の幅は3.1mである。家の外に階段をつけ周囲にめぐらす。基礎は、石切り場で整えた石を積み上げる。その壁を香柏の垂木と板を持って家を作った。家の壁の内側を香柏で張り、床は松の木を張った。基礎構造物の石は見えないようにしてある。家の奥は8.8mの室を壁から床まで香柏でつくり至聖所すなわち神殿を造った。拝殿は17.6mである。
第4章: この章には「列王記略 上」第6章に記載されていない事項がある。銅製の壇(8.8m×8.8m×4.4m)と壇の周りに縁まで4.4mの円形プール(海)を造る。そのプールは12頭の牛が支える形である。洗盥10個を造り右に5個、左に5個をおき祭司が身を洗うところである。また金の灯台10個、机10個を拝殿の中に置く。金の鉢、庭の戸は銅製である。鍋、肉刺し、これらの器具はすべて銅製である。神の家に入れる器皿、机、燈火台・皿、ハサミ、鉢、匙、火皿、はすべて純金である。戸及び拝殿の取っ手も金である。
(つづく)