ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

環境書評  安田善憲著 「環境考古学のすすめ-文明の環境史観-」 丸善ライブラリー

2006年10月15日 | 書評
 安田教授は京都大学理学研究科、国際日本文化研究センター教授を兼任されている。20年前世界で初めて環境考古学を提唱され、10年前に水月湖で年縞を発見して10万年以上前の地球環境が年毎に精確に測定する手法を開発した。

 この書の内容は極めて過激である。その言わんとするところは「プロトインド・ヨーロッパ語族及び漢民族という麦作・牧畜の民が紀元前2000年前の気候の寒冷化によって西へ南へと怒涛の如くに移動し、インダス文明、長江文明、クレタ文明、ミケーネ文明を滅ぼし、西ではギリシャ文明を、東では周王朝を樹立した。この麦作・牧畜の民は森を徹底的に破壊した。メソポタミアから西へ向かったプロトインド・ヨーロッパ語族は地中海に入りヨーロッパからアメリカへ渡って近代ヨーロッパ文明を作った。大量生産・大量消費という考え方はわずか300年の間に北米の森を破壊し尽くした文明そのものである。また黄河文明を起こした漢民族もこの3000年に中国全土の森を丸裸にして、漢民族の行くところ草も生えないと言われた。21世紀は恐らくこのアングロサクソン民族と漢民族が世界を支配し地球を破壊し尽くすかもしれない。気候変動枠組条約から米国は脱退し、中国はこれかも地球を汚染する権利があると公言してはばからない。これに対し稲作と漁猟民族である日本はそのルーツを長江文明に発し、豊かな森と水田に恵まれた農業と漁業中心の生活スタイル(循環と再生の生活様式)の文明を作った。日本の森林面積は国土の65~70%を占め、森の国と言われるフィンランド、スウェーデン、ブラジルと肩を並べる。ちなみにアメリカは29%にすぎない。21世紀を救えるのは稲作・漁業を特徴とする森の民である日本しかあり得ない。森を破壊し尽くした近代文明に代わるものは森の文明を持つ稲作文明である」と要約できる。

  この論理は一つの学問分野からの成果だけでは結論できないはずであるが、著者は多くの学際分野との共同研究でこのような結論になったのか、それとも著者自身の見解なのかは明確ではない。日本が次世代を担う主役的思想の持ち主であったとはすこし単純にすぎるではないか。しかし森の循環と再生の生活様式に学ぶ必要があることは確かである。


書評  養老孟司著 「脳の見方」  ちくま学芸文庫

2006年10月15日 | 書評
                       「脳の見方」

 本書は六章からなり、第一章「神経」にいわば「唯脳論」の萌芽が見られる。第二章「解剖」では解剖学の開祖と解剖学の特徴を素描し、第三章「時間」はゲーテ、モンテーニュ-など文学的随筆からなり、第四章「博物」では生物学雑学を披露し、第五章「綺想」では自分がいかに変人だったかと言う回想録、第六章「発生」では発生と進化論の関係(系統発生学)、視覚/聴覚と咀嚼器官の進化の関係を述べている。脳機能を扱う第一章のみを紹介したい。

 第一章で「ヒトの脳の拡大は末梢神経系と不釣合いなほど脳が増大することを意味する。それが思考という余分な機能を生むことになる」という。これは脳の「剰余価値」(動物の生存にとって最低限必要な反応という機能以上の、考えるという機能を生み出す)のことを言っているようだ。脳は自分で自分を機能させることが出来るために「アナロジー機能」で抽象的概念の世界(文明、科学、芸術)の構築が可能となった。眼の哲学者フーコから養老氏は多大な影響を受けているようである。言語発生でいつも話題になる視覚言語(文字)と聴覚言語(音声)の関係について、フーコの言葉から引用して「アルファベット文字を持つ場合人間の歴史は一変する。音節と語を形成する少数の決まった記号を創り出したのだ。象形文字が表象それ自体を空間化しようとして相似関係の法則に従い思考の諸形式から離れていくのに対して、アルファベット文字は表象の相似関係を断念することによって理性そのものにとって有効な規則を音の分析に導入した。書かれたものを含む言語全体を分析の一般的領域に置いて文字表記の進歩と思考の進歩を並行させることができるのである。」
 このフーコの言語発生の考えは養老氏の言語論の全ての基礎である。養老氏が言う脳の視覚言語中枢と聴覚言語中枢の交差によって運動性言語中枢が働いて言葉が発音されると言う仮説はそうだとしても、なぜ言語機能が出来たのかというところは説明できているとは思えない。近いから神経細胞が接触するというならわかるが、全ては神秘の闇に包まれている。ここに科学のメスが入るのはもっと先の天才的思考に期待するしかないか。抗体の遺伝子研究でノーベル賞を受けたMITの利根川進氏は目ざとくも遺伝学の次は脳科学だとして早くも脳研究に移行している。


小林秀雄全集第3巻 「Xへの手紙」より 「Xへの手紙」

2006年10月15日 | 書評
                       「Xへの手紙」
 
 Xとは大正終わりから昭和の初めにかけて小林氏の友人であった河上徹太郎氏のことである。当時小林氏、中原中也氏、小林氏が中原氏から奪った女、長谷川泰子、そして河上徹太郎氏の四人はいつも河上氏の書斎でたむろしていたようだ。河上氏はそれ以来の小林氏の友人だそうだ。小林氏は河上氏のそばにいると極めて頭脳の回転が早くなるようで「君は私の煙突だ」と嘯いた。この「Xへの手紙」という文章は、「この世の真実を陥穽を構えて捕らえようとする習慣が身についてこの方、この世はしみったれた歌しか歌わなかった」という名文で始まる、自業自得の泣きの入った弁明書である。そして無二の旧友である君には私をわかって欲しいという虫のいいお手紙だ。人の揚げ足を取って生活の資とするやくざな評論家家業につくづく嫌気がさしたようだが、またどっこいい居直って自己釈明に努めるという恐ろしく自己中の人物の泣き言と理解したい。これだけ他人に悪態をつけば、世間も反撃をする。その反撃に傷つけられて落ち込むという構図は最初から自明ではないか。かってのプロレス中継アナウンサーであった古館一郎氏(今はテレ朝のキャスター)の十八番であった無内容な名文句「言葉の錬金術師」とか、「饒舌家」、「逆説家」、「皮肉屋」、「警句家」とか言う非難が小林氏に浴びせられたそうだ。氏はそういう生き方を選択したのだから、意見をして直るわけでもなく、そういう男だと理解して付き合わないほうが得策かな。


東京都美術館散歩  「弥生美術館」

2006年10月15日 | 書評
                弥生美術館(美術館名をクリックすると周辺地図がでます)

 地下鉄千代田線「根津駅」を上に出て、言問い通りの坂を本郷通りのほうへ下る。1分ぐらいで弥生式土器発見地の案内版がありそこを左に曲がると東大にはさまれた住宅街を緩やかに下って左側に2つの美術館がならんで存在する。2つの美術館は弁護士鹿野琢見氏が建立された。そのひとつの弥生美術館は主として絵本や挿絵画家の作品収集で知られる。セピア色の昔懐かしい絵本の展示がある。小さな美術館である。一度しか行っていない。