ブログ 「ごまめの歯軋り」

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「文語訳 旧訳聖書 Ⅳ 預言」

2020年08月03日 | 書評
睡 蓮

イスラエル民族の再興を願う3大預言書と12小預言書

3) 「文語訳 旧訳聖書 Ⅳ 預言」(岩波文庫2015年)   (その27)

3) エレミヤ哀歌

ギリシャ約では単に「哀歌」となっているが、「エレミヤ」を冠して「エレミヤ記」の次に配置される。しかしエレミヤの言葉ではなく、5章とも別々の作者によるものとされ、韻文としての技巧が凝らされている。アッスリアによるエルサレム占領以後の民の極度の窮状を余すところなくえがいた詩篇集である。
第1章: ああ哀しいかな、昔は人の満ち満ちたたりしこの都邑、いまは凄しき様にて坐し寡婦のごとくになりぬ。ああもろもろの民にて大なりし者、いまはかえって貢を入れる者となりぬ。彼夜もすがら痛く泣き悲しみて涙面に流る。シオンの道は節会に上りくる者無きがために哀しみ、その門は悉く荒れ、その祭司は嘆き、その処女は憂え、シオンもまた自ら苦しむ。その咎の多さによってエホバこれを悩ませるなり。エルサレムは甚だしく罪を起こしたれば穢れた者のごとくになれり。エホバよ我が艱難をかヘリみ給え、敵は勝ち誇れり。民は皆嘆きて食物を求め、その命を支えんがために財宝をを食に代えたり。エホバその烈しき怒りの日に我を悩まして降し給えるこの憂苦に等しき憂苦また世にあるべきや。我が咎の軛は主の御手により結ばれ我が首に乗れり、これは我が力を衰えしむ。主は勇士をことごとく除きわれを攻め、我が若き人を撃ち滅ぼし給えり。主酒桶を踏む如くユダの処女を踏みつけたり。シオンは手を伸べれども誰もこれを慰める者なし。エホバよ顧み給え、我は悩みており我が腸わきかえり我が心わが内にて顛倒す。我が敵は我が艱難を聞き及び、汝のこれをなし給いしを喜ぶ。エホバよ願わくば彼らも罰したまえ。
第2章: ああエホバよその怒りの日に己の足台を心に留め給わず、ヤコブの王家の住居を呑みつくして哀れまず、怒りによってユダの砦を毀しこれを地に倒し、その国と牧伯を辱め、四面を焼き尽くす燃える日のごとくコブを焼き、すべての貴人を滅ぼしシオン(女性名詞)の幕屋を火で焼き尽くされた。エホバ節会と安息日をシオンに忘れさせ、怒りによって王と祭司を賤しめ棄て給う。シオンの長老たちは地に座りて沈黙し、首に灰をかむり身に麻をまとう。わが目は涙のために潰れ、わが腸は沸き返り、わが肝は地にまみれる。シオンよ汝の破れは海のごとく大なり、ああ誰か能く汝を癒さん。汝の預言者は空しきことと愚かなる事を預言し、汝の不義を明らかにすることは無かった。エホバはその定めたることを行い、滅ぼして哀れまず、敵を高く持ち上げたり。婦人よ、飢えたる幼子の命のため主に向かいてもろ手をあげよ。
第3章: 我はエホバの怒りの鞭によりて艱難に遭えり。我が肉と肌を衰えしめわが骨を砕き、我に向かって患苦と艱難を築きこれをもって我を囲み、われをして長久に死者のごとく暗き処に住ましめ出でること能わず、我が鎖を重くしたまえり。矢筒の矢をもって我が腰を射抜きたまえり。我は我がすべての民の嘲りとなり、終日歌いそしられる。小石をもって我が歯を砕き、灰をもって我を覆いたまえり。我このことを心に思い起こせり、この故に望みを抱くなり。我のなお亡びざるはエホバの慈しみによりその憐れみの尽きざるによる。わが魂は言う、エホバは我が分なり、この故我彼を待ち望まん。エホバは己を待ち望む者と己を尋ね求める人に恵みを施し給う。エホバを望みて静かにこれを待つは善し。口を塵に付けよ、あるいは望みあらん。己を撃つ者には頬を向け、満ち足りるまで恥を受けよ。主は永久に棄てることを為し給わざるなり。いと高き者の面の前にて人の理を枉げ、人の訴えを屈むることは主は喜ばない。我天に居ます神に向かいて手とともに心をも挙げるべし、我らは罪を犯しわれらは叛きたり、汝之を赦したまわざり。神は艱難を与えまうといえどもその慈悲は大いなればまた憐れみを加えた給う。汝我が声を聴き給えり、我が哀嘆と祈りに耳を覆い給う勿れ。主よ汝は我が不義を見給えり、願わくは我に正しき審判を与え給え。
第4章: 山犬さえも乳房を垂れてその子に乳を飲ます、しかるに我が民の娘はむごい荒れ野の駝鳥の如くなれり。旨いものを食らいし者は零落れて巷に在り、紅の衣にて育てられし者も今は塵塚を抱く。我民の中の貴き人以前は清らかにその容貌の美しきこと藍玉のごとくなしが、今はその面黒きが上に黒く、巷にあるとも人に知られず、その皮は骨にひた着き、乾きて枯れ木のごとくなれり。剣にて死ぬ者は飢えて死ぬ者より幸いなり。子を殺して食らう婦女もあり。預言者の罪により祭司の咎により、彼らは盲人のように巷に彷徨い、正しき者の血をその邑の中に流したり。敵は我が足を狙えば我らは巷を歩くこともできず、我らの終わり近づけり、我らの日つきたり。エホバに膏注がれし高き者落し穴にて捕えられたり。シオンの娘よ汝が咎の罰は終われり、重ねて汝を捕え給わず。
第5章: エホバよ我らの恥辱を顧み給え、我々の産業と家は外国人に取られ、我らは孤児となり、寡婦となった。食物を得て飢えを凌ぐためエジプト人やアッスリア人の雇われ者になった。我らの父は罪を犯してすでに世にあらず、我らその罪を負うなり。荒野の剣の故に死を冒して食物を得、飢饉の激しき熱気のため皮膚は炉のごとく熱い。シオンにて婦女たちは犯され、ユダの町にて処女ら穢される。候伯たる者も敵の手により吊るされ、長老も尊ばれず、少年は石臼を担はされる、童子は薪を負うてよろめき、音楽も廃せられた。我らが心の楽しみはすでに罷み、我らの踊りかわりて悲しみになり、すべての冠は首より落ちたり、我罪を犯したれば禍なるかな。願わくはエホバよ我らをして汝に還らしめ給え。我ら還るべし。

(エレミア哀歌終わり)
(つづく)