平安貴族文化の没落の歴史 第5回
2.世の乱るる瑞相とか
大空襲の様子は内田百聞「東京焼尽」、早乙女勝元「東京大空襲」などに詳しい。著者は3月10日朝目黒から新橋汐留まで歩いて友人の店舗だけがぽつんと焼失を免れていたのも見て妙な気分に襲われたと書いている。そして「戦争の最高責任者としての天皇をはじめ機関が全部焼けて、天皇を含めて全部が難民になれば、それで終わりで、そして始まり」と爽快な気分となった。この章は昭和の天皇制と、安元3年の天皇宮廷制の全的崩壊を述べるものである。平安末期の貴族藤原兼実の「玉葉日記」、藤原定家「明月記」に貴族の目を通じて安徳天皇即位について書かれている。もちろん長明は安徳天皇即位については何も記していない。治承4年4月に起きた「辻風」については「玉葉日記」、「明月記」の記述はあるが、実にあっさり書いて、貴族の屋敷の損傷だけを記しているに過ぎない。長明はこの辻風が収まってから京の町の様子を見に行ったように具体的な壊れ方を細かに観察している。この人は何かがあると自分の目で見ないとすまない性格である。家がぺちゃんこになり、屋根が飛んで柱だけが残り、門も垣根も飛んで平たくなったと書いている。災害や戦乱で、人間の建造物が壊れて、焼失して風景が平たくなるということを繰り返して人々は生きてきたが、平安末期から室町にいたるまで打ち続いて、精根尽き果てたつまりが応仁の乱である。強い者が「自由狼藉世界」に生きる様は、まさの現在のアメリカのネオリベラリズムの破壊ビジネスにも共通するものがある。平安後期から始まった院政(白河法皇、鳥羽上皇、後白河法皇、後鳥羽上皇)ほど訳のわからない政体はない。二重、三重の宮廷政権に武家(平家、源氏)の実質政権がからんで、まさに魑魅魍魎の跋扈する世界であった。支配階級は時代を問わず馬鹿馬鹿しいほど性格は変わっていない。国民への目線がまったく存在せず、国民は自分達支配階級をどう見ているかという疑心暗鬼が支配している。その典型は、日中戦争を遂行した近衛文麿首相(藤原摂関家の末裔)の天皇への上奏文が、自分達貴族と天皇家と資本家以外は皆敵だというセンスで書かれていることに唖然とする。国体というのも要するに天皇家と摂関家のことに他ならない。
(つづく)
2.世の乱るる瑞相とか
大空襲の様子は内田百聞「東京焼尽」、早乙女勝元「東京大空襲」などに詳しい。著者は3月10日朝目黒から新橋汐留まで歩いて友人の店舗だけがぽつんと焼失を免れていたのも見て妙な気分に襲われたと書いている。そして「戦争の最高責任者としての天皇をはじめ機関が全部焼けて、天皇を含めて全部が難民になれば、それで終わりで、そして始まり」と爽快な気分となった。この章は昭和の天皇制と、安元3年の天皇宮廷制の全的崩壊を述べるものである。平安末期の貴族藤原兼実の「玉葉日記」、藤原定家「明月記」に貴族の目を通じて安徳天皇即位について書かれている。もちろん長明は安徳天皇即位については何も記していない。治承4年4月に起きた「辻風」については「玉葉日記」、「明月記」の記述はあるが、実にあっさり書いて、貴族の屋敷の損傷だけを記しているに過ぎない。長明はこの辻風が収まってから京の町の様子を見に行ったように具体的な壊れ方を細かに観察している。この人は何かがあると自分の目で見ないとすまない性格である。家がぺちゃんこになり、屋根が飛んで柱だけが残り、門も垣根も飛んで平たくなったと書いている。災害や戦乱で、人間の建造物が壊れて、焼失して風景が平たくなるということを繰り返して人々は生きてきたが、平安末期から室町にいたるまで打ち続いて、精根尽き果てたつまりが応仁の乱である。強い者が「自由狼藉世界」に生きる様は、まさの現在のアメリカのネオリベラリズムの破壊ビジネスにも共通するものがある。平安後期から始まった院政(白河法皇、鳥羽上皇、後白河法皇、後鳥羽上皇)ほど訳のわからない政体はない。二重、三重の宮廷政権に武家(平家、源氏)の実質政権がからんで、まさに魑魅魍魎の跋扈する世界であった。支配階級は時代を問わず馬鹿馬鹿しいほど性格は変わっていない。国民への目線がまったく存在せず、国民は自分達支配階級をどう見ているかという疑心暗鬼が支配している。その典型は、日中戦争を遂行した近衛文麿首相(藤原摂関家の末裔)の天皇への上奏文が、自分達貴族と天皇家と資本家以外は皆敵だというセンスで書かれていることに唖然とする。国体というのも要するに天皇家と摂関家のことに他ならない。
(つづく)