ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

文藝散歩 堀田善衛著 「方丈記私記」  筑摩書房

2010年08月31日 | 書評
平安貴族文化の没落の歴史 第5回

2.世の乱るる瑞相とか

 大空襲の様子は内田百聞「東京焼尽」、早乙女勝元「東京大空襲」などに詳しい。著者は3月10日朝目黒から新橋汐留まで歩いて友人の店舗だけがぽつんと焼失を免れていたのも見て妙な気分に襲われたと書いている。そして「戦争の最高責任者としての天皇をはじめ機関が全部焼けて、天皇を含めて全部が難民になれば、それで終わりで、そして始まり」と爽快な気分となった。この章は昭和の天皇制と、安元3年の天皇宮廷制の全的崩壊を述べるものである。平安末期の貴族藤原兼実の「玉葉日記」、藤原定家「明月記」に貴族の目を通じて安徳天皇即位について書かれている。もちろん長明は安徳天皇即位については何も記していない。治承4年4月に起きた「辻風」については「玉葉日記」、「明月記」の記述はあるが、実にあっさり書いて、貴族の屋敷の損傷だけを記しているに過ぎない。長明はこの辻風が収まってから京の町の様子を見に行ったように具体的な壊れ方を細かに観察している。この人は何かがあると自分の目で見ないとすまない性格である。家がぺちゃんこになり、屋根が飛んで柱だけが残り、門も垣根も飛んで平たくなったと書いている。災害や戦乱で、人間の建造物が壊れて、焼失して風景が平たくなるということを繰り返して人々は生きてきたが、平安末期から室町にいたるまで打ち続いて、精根尽き果てたつまりが応仁の乱である。強い者が「自由狼藉世界」に生きる様は、まさの現在のアメリカのネオリベラリズムの破壊ビジネスにも共通するものがある。平安後期から始まった院政(白河法皇、鳥羽上皇、後白河法皇、後鳥羽上皇)ほど訳のわからない政体はない。二重、三重の宮廷政権に武家(平家、源氏)の実質政権がからんで、まさに魑魅魍魎の跋扈する世界であった。支配階級は時代を問わず馬鹿馬鹿しいほど性格は変わっていない。国民への目線がまったく存在せず、国民は自分達支配階級をどう見ているかという疑心暗鬼が支配している。その典型は、日中戦争を遂行した近衛文麿首相(藤原摂関家の末裔)の天皇への上奏文が、自分達貴族と天皇家と資本家以外は皆敵だというセンスで書かれていることに唖然とする。国体というのも要するに天皇家と摂関家のことに他ならない。
(つづく)

読書ノート 上原 和著 「法隆寺を歩く」 岩波新書

2010年08月31日 | 書評
聖徳太子の遺徳をしのぶ旅 第10回

4)東伽藍に佇む(夢殿・大宝蔵院) 救世観音

 法隆寺のパンフレットにある伽藍配置と道路を見れば直ぐに分ることですが、東大門の東にある律学院伽藍や道路が東大門を軸点として20度ほど曲がっていることである。これが昔の若草伽藍(鵤寺)の軸と今の法隆寺の軸と異なっており、法隆寺再建論説を裏付けると著者はいう。蘇我入鹿の軍勢によって焼き打ちされた鵤寺は聖徳太子一族の自決と共に打ち捨てられていたが、西伽藍の金堂は天武朝により679年に建立され、五重塔と中門は藤原不比等によって711年に建立された。東伽藍の夢殿は天平9年(737年)大僧正行信によって建立された。「法隆寺東院資材帳」(761年)によると、光明皇后の持物が奉納され、八角仏殿(夢殿)の落慶供養が行われた。

 救世観音菩薩像はいつもは漆塗りの大きな厨子に納められいる。春4月と秋10月に各1ヶ月間厨子の扉が開いて公開される。平安時代後期には救世観音菩薩像には宝帳が張られて拝見することは出来ない状態であったと、大江親通が「七大寺巡礼私記」に書いている。そして鎌倉時代には秘仏として厨子内に封じ込められたようだ。それを再度開いたのが明治のお雇い教師フェノロサと文部省係りの岡倉天心であった。法隆寺調査のこなわれた1886年5月のことであった。フェノロサは日本仏教美術を朝鮮美術の流れで捉えており、比較文化財としての調査であった。救世観音像は完全に左右対称に作られており、裳裾の流れるような線が印象的な流麗な像であるが、顔がなんとも複雑である。分厚い唇、変な笑い顔のアーケイックスマイル、やたらでかい鼻、しかめた眉、やはりこの像は仏像の形をしているが太子の実像を模したのではないかといわれている。梅原猛の「封じ込められた法隆寺論」でも、太子の霊をまつる寺として、滅ぼされた太子一族の怨霊を静める梅原氏得意の怨霊の歴史で有名である。この像の左右対称性を破るのは胸に置かれた摩尼宝珠を支える両手の形である。摩尼(マニ)とは水晶系の宝石で、珠とは真珠のことである。摩尼(マニ)は敦煌莫高窟の絵にも多く見られる。インドから中央アジアの宝である。
(つづく)

読書ノート 管直人著 「大臣」増補版 岩波新書 

2010年08月31日 | 書評
官僚内閣制から国会内閣制へ、民主党政権が目指すもの 第12回

第1部 大臣とは何か (旧自民党政権における考察)

4)大臣の仕事 (1)

 管氏は在任中の厚生大臣の仕事の権限の幾つかの問題を述べる。政務次官が出席する省議を含めた全庁的な会議が年に4回以上ある省庁は全体の半分くらいで、厚生省では局長と官房長、事務次官と大臣が出席するような会議は一つも無かった。大臣に出席を求める会議がないのである。ここでも大臣は情報ツンボ桟敷に置かれている。大臣が分刻みに忙しいスケジュールになっているのはセレモニーで埋め尽くされているからだ。大臣に仕事を邪魔されないための官僚の差し回しかもしれない。判断を求めるような決済文書はなく、既決事項ですといってサインだけを求めてくる。大臣の印を押すことも一度も無かったそうだ。では大臣にはどんな仕事があるのだろうか。制度的には大臣には人事権があり、予算の執行権もあるはずだが、その権力は殆ど行使されたことは無い。大臣は実質的権限はないのに責任だけが追求されるため、謝罪するための大臣が存在するようになっている。大臣が仕事をするためには、高級官僚を政治任用するアメリカのようなシステムが必要である。最終的な政策判断は全て大臣と副大臣、政務官チームが行うイギリスのようなシステムが日本に向いているようだ。国会において官僚達が政府委員として出席し大臣に代わって答弁する、日本の政府印制度は廃止し、国会では与野党の政治家が政策論争をする場に変えてゆかなければならないよいう。
(つづく)

筑波子 月次絶句 「夏日渓居」

2010年08月31日 | 漢詩・自由詩
渓路泉聲緑樹森     渓路泉聲 緑樹の森

浮空山繞白雲心     空に浮びて山繞る 白雲の心

雨痕滌暑先秋冷     雨痕暑を滌い 秋冷に先ち
     
簾外松風当昼陰     簾外松風 昼陰に当る

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(韻:十二侵 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)

CD 今日の一枚 ロドリーゴ 「アランフェス協奏曲」ほか

2010年08月31日 | 音楽
①ロドリーゴ 「アランフェス協奏曲」 ②ロドリーゴ 「ある貴紳のための幻想曲」 ③ジュリアーニ 「ギター協奏曲」
ギター:エドアルド・フェルナンデス 
ゴメス・マルティネス指揮 イギリス室内管弦楽団
DDD 1986 LONDON

ロドリーゴは1902年スペイン生まれ、アランフェス協奏曲は1940年ギタリスト、ラ・マーサのために作曲した。美しい旋律第二楽章アダージョで一躍人気曲となった。「ある貴紳のための幻想曲」は1954年、ギタリスト セゴビアのために作曲した。これは協奏曲ではなく組曲というべき。ジュリアーニ(1781-1829)は古典時代の作曲家でこの協奏曲は1808年の作曲。