ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート マックス・ウエーバー著 「職業としての政治」 岩波文庫

2013年02月28日 | 書評
ドイツの若者に、権力の行為者である政治家の職業倫理を説く 第3回 最終回

 仕事としての政治のエートス(倫理)は厄介な問題である。目的は別にしても支配には権力手段を用いるために、共産主義政権も軍国主義独裁者や秘密警察国家となるのであるとウエーバーは冷静に評価している。ここにキリスト教の絶対倫理との相克が比喩的に述べられている。キリスト教の屈辱的倫理、絶対服従を強いる支配倫理、人間の原罪を問う義務の倫理などである。キリスト教の倫理と生活の整合性は西欧人が永久に問い返す問題であるが、日本人の我々にはその煩悶はなかなか分からない。政治家の本質は悪であるが、志は聖人でならなければならないと矛盾したことをウエーバーはいうが、これは「心情倫理」と「責任倫理」の相克となる。善い目的を達成するには大抵道徳的にいかがわしい手段をとる。政治にとって決定的な手段は暴力である。倫理的に見て手段と目的の間には緊張関係を孕んでいる。目的による手段の正当化に至っては心情倫理は破綻を免れない。地上のどの宗教も言っていることと真実は逆である。救いようのない非合理な世界を作った神の欠陥は疑うべくもない。だからこそ宗教が存在するといえる。この矛盾した倫理の前には、マキャベリーの「君主論」はかわいいものである。プロテスタントは最初から暴力装置を持つ権威主義国家を神の作った国家として無条件に正当化した。イスラム教は最初から戦争は必須であった。すると政治が正当な暴力行使という手段を持つのは特殊な倫理問題である。トルストイの人類愛は政治を必要とはしない。政治はそもそも「魂の救済」を問題とはしないのだ。こうした絶対矛盾にたって、ウエーバーは次のように居直るのである。「結果に対する責任を痛切に感じ責任倫理に従って行動する成熟した人間が、私はこうするよりほかは無いというとき政治家が生まれる。現実の世の中がどんなに愚鈍であり卑俗であっても、断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても、それにもかかわらずと言い切る自信がある人間、そういう人間だけが政治家への天職を持つ。
(完)
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読書ノート アダム・スミス著 「国富論」 中公文庫(1-3冊)

2013年02月28日 | 書評
古典経済学が説く社会的生産力の構造と近代自由主義 第40回

第4篇 経済学の諸体系(重商主義)
第7章 植民地について (2)


 国土が全くの無人であるか、原住民が抵抗もなくあっさり侵入者に土地を譲り渡すことによって(抵抗はあっても鉄砲の前には全くの無力であるか、組織立った反攻を行なうほど社会の文明段階に達していなかったか)、ヨーロッパ人の占有した植民地は現地人とは比較ならないほど急速な富強に向かった。北アメリカ大陸の入植者は豊富な土地と母国からの政治的自由によって繁栄への道に踏み出した。植民地時代の北アメリカは13州に過ぎなかったが、上層階級はただのような土地を獲得し開拓を進め、人的資源不足か下層の労働者を高給で雇い入れた。こうして豊富な土地の生産力に支えられ人口の増殖と土地の改良が進んだ。こうして国は富強となった。15,16世紀はスペインとポルトガルは世界の二大海軍国であったが、ヨーロッパ各国はアメリカに進出した。16世紀末イギリスはスペインの無敵艦隊を撃滅しアメリカ大陸はヨーロッパ諸国の草刈場と化した。イングランド、フランス、オランダ、デンマーク、スウェーデン人らはこの新世界に植民地を建設した。北アメリカ大陸におけるイングランド植民地の進歩が急速であったのは、豊富な土地と自由な行政、適正な租税らの結果であり、かつ長子相続制がなく名門家(貴族)が育たなかったからである。自分の問題は自分らで解決することの自由、これがすべての植民地繁栄の原因のひとつである。つまりイングランドの植民地法が、低廉な価格で手に入れた土地所有者は一定期間内に土地を開拓する義務を負うこと、長子相続制がないので、自由永代借地権は誰にでも譲渡可能であったことで他のどの国よりも土地利用の有利であった。そして国防や植民地保護に関する費用はすべて母国の負担ということで、植民地自身の文治行政費用がきわめて微少であった事も大きい。また聖職者という扶養階層も少なく、教会の支配も他国ほどには負担にはならなかったし、他国のような教会が徴集する10分の1税もなかった。
(つづく)
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文芸散歩  金田鬼一訳 「グリム童話集」 岩波文庫(1-5冊)

2013年02月28日 | 書評
ドイツ民俗研究の宝庫「児童と家庭向けのおとぎばなし」 第61回

* KHM 96  三羽の小鳥
 百姓の娘三人が狩をする王様一族に出会いました。長女は亜麻色の髪の乙女で王様と結婚し、二女と三女は大臣二人と結婚しました。お妃となった長女が妊娠し、王様は旅に出かけるので妹二人に来てもらいました。男の子が生まれたのですが妹二人は男の子を川に投げ捨てました。すると1羽の鳥が空高く舞い上がり、子どもの無事を告げる歌を歌いました。子どもは下流の漁師が網で救い上げ育てたのです。妹二人は帰ってきた王様にお妃は犬の子を生んだといいました。1年経ってお妃は妊娠し王様は旅に出ました。生まれた子は男子でしたが妹二人はまた男の子を河に捨てました。1羽の鳥が子どもの無事を告げます。同じことが3度めに女の子が生まれましたが、また捨てられ犬の子を生んだと王様に告げました。さすが王様も3度犬の子を生んだというおきさきを牢屋へ放り込みました。三人とも同じ漁師の家で育てられましたが、子どもが大きくなって一番上の兄がお父さんを探しに漁師の家を出ましたが、なかなか戻ってきません。2番目の兄も出かけましたが戻ってきません。末娘も兄たちを探しに出かけ、大きな河の側でおばあさんから鞭を貰いました。お婆さん(実は魔法をかけられた人)は娘に、御殿にゆきその鞭を敷居においては入り、井戸にかかった籠から鳥を持ち、井戸から水を汲んでくるようにいいました。帰りに兄さん二人に出会い、黒い犬を鞭で打つと王子様に変身しました。そしておばあさんも魔法が解けました。こうして5人は漁師の家に帰りました。王様が狩に出て河の側の漁師の家に行くと壁にかけた鳥が真実を歌いました。「この子らは王様の子、悪い妹らが子どもの命を狙い河へ捨てた。それを漁師が拾った」といいました。王様は驚いて牢屋を開け、お妃に井戸の水を飲ませると元気になり、末のお姫さんは王子様と結婚し幸せに暮らしました。妹二人はお仕置きになりました。
(つづく)
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読書ノート マックス・ウエーバー著 「職業としての政治」 岩波文庫

2013年02月27日 | 書評
ドイツの若者に、権力の行為者である政治家の職業倫理を説く 第2回

 本書の初めの2/3ほどは中世から20世紀の現代に至るヨーロッパの政治体制・政治組織・政党と政治家の歴史を述べたものである。特に政治先進国であるイギリス・フランス、徹底した民主政治のアメリカ、そして一番遅れて20世紀に民主化したドイツの政治史はそれとして興味深いが割愛し、本書の本題である「政治と倫理」については、最後の1/3(本書岩波文庫でいえば77ページから106ページ)に述べられているので、この部分だけを味わってゆこう。政治的支配には3つの正当化があるという。①王権などの伝統的支配、②民主制に特有なデマゴーグによるカリスマ支配、③合法制による支配の3種であるという。現在は③を前面において、実質②の政治指導者個人の資質にたよった支配が行なわれているようだ。政治組織(政党)は政治マシーン(集金・集票をおこなう)を伴う指導者民主制か、カリスマ性をもたない「職業政治家」の指導者無き民主制に分かれる。現在の複雑な技術社会でははもはや個人的能力は期待し得ない(景気回復で政治家の能力を期待するひとはいない)ので、後者の指導者なき民主制つまり「派閥政治」(多数派の数がすべて)であろうか。首相が毎年替わる日本では特にそうである。職業政治家の内的な動機付けの第1は権力感情である。権力とは「他人にいう事を聞かせる」ことに快感を覚える人々の集まりである。権力に周りには無数の服従者が必要であり、マスメディアがその有力な手法を提供している。政治家の資質には①情熱、②責任感、③判断力が必要だとウエーバーはいう。情熱とは「事柄」(仕事)への情熱的献身をいう。「情熱はそれが仕事への奉仕として責任性と結びつき、この仕事に対する責任性が行為の決定的な基準となったとき、はじめて政治家が出来る。判断力とは精神を集中して冷静さを失わず、現実を距離を置いて見ることが必要である」とまとめている。政治家が気をつけなければ成らないのが「虚栄心」である。「権力」が自己目的化して「権力政治家」を生む心理的基盤である。
(つづく)
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読書ノート アダム・スミス著 「国富論」 中公文庫(1-3冊)

2013年02月27日 | 書評
古典経済学が説く社会的生産力の構造と近代自由主義 第39回

第4篇 経済学の諸体系(重商主義)
第7章 植民地について (1)


 この第7章「植民地」は第4篇の最大のボリュームを占めている。(文庫本で150ページ、それだけで1冊の本となる) ヨーロッパ諸国による植民地建設の歴史を総括した。それがいいか悪いかという審判は別として、歴史的に大きな意味を持つ最大の経験であったことは確かである。古代ギリシャ・ローマにおける植民は古代都市の人口過剰か、貧困な自由民に土地を割り当てるためであった。古代ギリシャの都市国家はいずれも小さな領土しか持たなかったので、住民の数が増えるて扶養できなくなると、新しい居住地を探すために遠くの土地へ送り出された。近隣地域は好戦的な都市国家がひしめいていたため領土を広げることは出来なかったためである。だから最初から植民地は1独立国家であり本国の承認は一切必要なかった。ローマ時代には農地法に基づいて建国されていたので一定の比率で市民に土地を分配しようとした。ローマでは市民を遠方へ追いやることはせず、征服地(イタリア・ガリア・ゲルマンなど)をあてがった。いかなる場合にも母国の都市国家の監督と司法・立法のもとにあり、植民地はせいぜい地方の自治体とみなされた。そして本国は植民地に守備隊を置いた。13-15世紀からの近世植民地ならびに植民地政策をスミスは「新植民地」と呼んだ。アメリカ大陸や西インド諸島におけるヨーロッパの植民地建設は、取り立てて本国の必要性にもとづいて行なわれたものではない。15世紀ヴェニスは東インド産の香辛料をエジプトで買い付け、それをヨーロッパに売り込んで巨利を博した。ヴェニスの巨利に目をつけたポルトガル人はアフリカ沿岸伝いに喜望峰の航路を開発した。ヴァスコ・ダ・ガマは1497年喜望峰経由でインドに到着した。このインド東航路は遠いと考え、西航路が近いと盲信したコロンブスは1492年にスペインのカステリア王国の援助を得て西インド諸島を発見した。コロンブスの発見した西インド諸島には、植物・動物・鉱物とも価値ある物はなかったにもかかわらず、コロンブスは金の豊富な島と嘘をつき続けて王国から航海費用を出させた。スペイン王国は西インド諸島のキリスト教化という敬虔な目的をでっち上げ征服・植民地化を目指した。最初にスペイン人らによって発見された国々には採掘に価するほどの金山や銀山はまったくなかった。メキシコやペルーの征服には原住民の略奪と壊滅的殺略を行い、僅かな金銀を手に入れた。
(つづく)

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