四 ライバルのビーチボーイ、ロッキーの述懐
十五歳のフランス少女、ソフィの溺死体がゴアのアンジュナビーチから上がった三日後、通称ビーチボーイといわれる欧米人客相手の売春夫、ロッキーは首都のパナジ署にいやおうなくしょっぴいていかれた。
いかつい刑事に訊問された二時間の間、必死になって被害者と関係はなかったと主張し続けたが、まったく信用してもらえなかった。いずれ、DNA鑑定があがれば疑いは晴れるはずだとのかすかな希望がよぎる一方で、公明正大とは言いがたいこの国の捜査経過を考えると、この先どうなるかわからないとの不安が募った。このままム所暮らしを強いられたら、自分の稼ぎに頼っている家族が路頭に迷ってしまうのだ、何とかせねばと焦る思いだった。とにかく身の潔白を一刻も早く証明し、娑婆に戻ることだと、不安を抑えて幾度となく自分に言い聞かせた。
事情聴取後、鉄格子の小窓ひとつきりの、小便の匂いが立ち込める石床のひび割れた留置場にぶち込まれた。先陣としてすでにアンリが入っていた。アンリは同業の商売敵だった。横合いから「売春王」の座を奪取された恨みもあって、犬猿の仲だったが、こうなった以上は一致団結するしかなさそうだった。
最初はさすがにきまり悪くて、互いにそっぽを向き合っていたが、年長の自分のほうから折れて口をきいた。
「ソフィの死体解剖で精液が検出されたことは聞いたろう。お前さんも知っての通り、俺は彼女とは肉体関係はなかったんだぜ」
まずわが身の潔白を証明した後で、
「シーメンはおまえのもんか」
と単刀直入に訊いた。アンリは蒼白な面持ちになって必死に否定した後、
「ソフィとはキスまでしかいってなかったよ」
としょんぼりと答えた。客争奪戦に明け暮れたライバルとはいえ、アンリがまれに見る実直な性格であることは知っていたので、ロッキーは、
「だとすると、ソフィと交わったやつはいったい、どこのどいつなんだろう」
と思わずうなった。無理強いではなく、合意の上だった可能性もありうる。アンリにとんと心当たりはないようだった。
ロッキーはソフィを狙っていた不良少年どもを一人一人思い浮かべていって、はっと思い当たり、
「ジョーンだろうか」
とつぶやいていた。土地の有力者のにやけた面構えが脳裏に蘇った。
だいぶ前、ジョーンがソフィを高級車でドライブに連れ出す現場を目撃したことがあったのだ。少女の行きつけだったレストラン「デアデヴィル」にも気が向くと、ふらりと顔を出しては、ヘロインとスコッチのちゃんぽんでラリっていた。金があるだけにレイバンのサングラスと、リーボックのジーンズでいつもめかしこみ、気障なプレーボーイだった。
「カトリーヌは黙って、見過ごしていたのか」
過保護の母親を思い浮かべたものか、アンリが意外そうに問い質した。
「知らぬが仏とはおまえのことだな、カトリーヌはドラッグ売買に手を染めていたんだぜ。ジョーンは高値で買ってくれる上客ゆえ、おもねっていたのさ」
ああ、そういうことかと、アンリは納得いったような顔をして言った。
「これで謎が解けたよ。どうも、ソフィの母親には、正体不明のいかがわしさが匂うと思っていたが、払いがいいため、客のプライバシーには深入りしなかったんだ」
カトリーヌが以前、アンリを買ったことをロッキーは知っていた。そう、おそらく精液はジョーンのものだろう。が、自分たちビーチボーイ、貧乏漁師のかーちゃんどもが外人旅行者に体を売ってできた卑しい子らと違って、州政府要人の息子なのだ。法の網が及ぶことはないだろうと思うと、しみじみ出生が疎まれた。
アンリがスウェーデン人との混血であることは知っていたし、自分はイタリアとの合いの子だった。
「天真爛漫と思い込んでいた十五歳のフレンチガールにまで両天秤かけられていたとは、情けないよ。五百人斬りのビーチボーイキングの名声も泣くというもんだ」
ロッキーは振り払っても振り払っても、女は蛾のように寄り集まってくるとうそぶいていたプライドが泥靴で踏みにじられたような顔をしていた。
「一番の役者は死んでしまった、ソフィだったかもしれんな」
ぽつりとアンリが洩らした。
ロッキーはあの夜のことを今一度、反芻してみた。久々の「フルムーンパーティー」というので、自分は無論、仲間はみな興奮していた。お目当ての外人女性をものにできる絶好のチャンス到来なのだ。
ゴアのフルムーンパーティーは悪名高く、ドラッグ、アルコール、セックス三昧の無礼講で、とくに離れ小島でのそれは解放感も大きく、相手構わずの乱交パーティーだった。日ごろから目をつけていたソフィをこの機会になんとかものにしてやろうと、燃えたことはいうまでもなかった、そのため、仲間を張らせ、少女の動向に常に気を配っていた。
アンリが少女を船に乗せて島に逢引に繰り出したとの情報を嗅ぎつけたときは、迅速に動いてモーターボートで後を追った。すぐに外洋に乗り出した帆掛け舟に追いついて、敵の船内に乗り込んだ。
海上での激しい乱闘となったが、あえなくこてんぱんに打ちのめされた。船底に伸びていると、アンリに首根っこを摑まれ、ソフィの行方を厳しい口調で詰問された。そのときになって初めて、少女の姿が跡形もなく消え失せていることを知った。どうやら、取っ組み合いにぐらぐら揺れる船の中で重心を失って海に転げ落ちてしまったものらしかった。
ほどなく、仲間が自分を抱え起こして、モーターボートへと移らせた。アンリが海に潜って、必死で捜索し始めるのが、紫に腫れ上がった目の縁をかすったが、手助けすることなく、一目散に海上を走り去った。
翌朝、少女の溺死体が渚に打ちあがったときはさすがに、良心の呵責を覚えた。遺体を目の当たりにしたときの、卒倒しそうな衝撃をなんと表現したものか。沖に出たばかりで水深はさほど深くなかったし、きっと大丈夫、首尾よくアンリが見つけているはずだと、楽観していたのだ。本当に大変なことになってしまったと、膝ががくがくし、目の前が真っ暗になる心地だった。
三日三晩一睡もできずびくびくおびえ続けていたが、案の定、容疑者の一人としてサツにしょっぴいていかれた。ソフィの体内から精液が検出されたことを知らされたときは、てっきりアンリのものと思い込んだが、奴とはいわば秘密を共有する共謀者でもあり、サツにばらすわけにはいかなかった。
はっとわれに返ると、アンリが咎めるような口調で責め立てた。
「そもそもは、おまえがいけなかったんだぞ」
さすがに罪の意識を覚え、蒼ざめた面持ちで沈鬱げに黙り込んでいると、
「まぁ、起こってしまったことをいまさらとやかく言っても始まらんがな、互いに罪をなすり付け合ってもしょうがないよ、一致団結せんとな」
それから、アンリは周囲を用心深く眺め回し、看守が居眠りしているのを確かめて、急に秘密めかした小声になって、
「おまえ、まさか、洩らしてねえだろうな」
と確認した。ロッキーは滅相もないという顔で否定した。アンリはほっとした面持ちになって、
「いいか、どんなこっぴどい拷問を受けても、絶対口を割るんじゃねえぞ」
としつこいくらいに念を押してきた。それにしても、ロッキーは少女の遺体が全裸で上がったことが今ひとつ納得がいかなかった。ヒモで結ぶスタイルの水着だったと記憶しているから、流されるうち、ほどけたということだろうか、きっとそうにちがいない。
それから、またしても深い悔恨に捉われ、自分を責めた。花も実もあるあたら十五歳の乙女の命を無惨に摘み取ってしまったと思うと、不慮の事故とはいえ、そもそも未成年者を手ごめにしようとした自分の悪い了見が祟ったのだと思った。生前のソフィのあどけなさを思い出すと、まぶたに熱いものが噴き上げてきた。俺の責任だ、アンリがまたしても黙りこくってしまった自分を気遣うように、
「心配するなよ、DNAの鑑定結果さえ出れば、二人とも強姦の疑いは晴れるはずだから」
と慰めた。
が、アンリの考えは甘かった。翌日から食事時間を除いての朝から晩までぶっ通しで、厳しい取調べが始まったからだ。
「おい、何隠しごとしてんだ、あの晩何があったのか、洗いざらい白状しちまえ」と刑事に突っ込まれたときは、牢屋に盗聴器が仕掛けられていたのかもしれないと疑った。容疑者同士を一緒にして、口裏を合わせたりしないか、泳がせたにちがいない。幸いにも、決め手となることは何もしゃべっておらず、黙秘権を行使することで乗り切った。
業を煮やした刑事は、口に言えないような性的拷問にかけはじめた。アンリは自分と違って、女客しかとらなかったのに、ホモの刑事に容赦なくおカマを掘られてしまったのである。
チャーリーとかいう刑事は好き物で、アンリにぞっこんのようだった。そのせいで、滅多打ちにされ、体中赤黒く腫れ上がらせている自分と違って、アンリは殴られたり、吊るされたりの拷問は軽くてすんだようだが、ホモっ気のないアンリにとっては、チャーリーの太い一物が尻に突っ込まれることは、どんな拷問よりつらそうだった。
毎日のご奉仕で、アンリの肛門は切れて血が流れ出した。両刀使いだったロッキーはこれにはいっこうにこたえず、刑事の汚らしいペニスまで頬張ってよっぽど噛み切ってしまいたくなる誘惑をこらえながら奉仕してやったが、精液まで余さず吸い込まされたときはさすがに吐き気を催しそうになった。盗聴器が仕掛けられているようだとの疑いを持ってから、互いの意思疎通にも慎重になり、うっかり不用意なことはしゃべれなくなっていた。
悪夢のような毎日で、ある日、サドっ気を持つ刑事に、キンタマをかみそりで切り刻まれたときは最悪だった。このまま拷問死してしまうのではないかとの恐怖におびえ、衝撃は測り知れなかった。死を逃れても、不能になったら一巻の終わりで、もうこの実入りのいい商売はできなくなるのだ。
が、まもなく、アンリは釈放された。当日夜、相手をした英国女性客が、一晩中自分といたとアリバイ証言してくれたからだ。独り取り残された自分は、とっさの機転で嘘の証言をし助けてくれる者などおらず、残忍な拷問に耐え切れず、ついに陥落してしまい、凶悪犯ばかりが収容されている悪名高い刑務所に護送された。
観念してあの夜の顛末などつぶさに吐いちまったが、口からでまかせと信用してもらえなかった。何せ、乱闘相手にはれっきとしたアリバイがあったのだから。DNA鑑定などいくらも偽証できたろう。あたら二十一歳の若さで、最悪のケースは死刑、極刑は免れたとしても、この先一生監獄から出れないと思うと、暗たんたる絶望に見舞われた。
スケープゴートにされた自分の後ろで、真犯人がのうのうとしていると思うと、悔しかった。その反面、アンリにけんかを吹っかけたことで、ソフィを事故死させてしまったとの自責の念もあり、己も加害者の一人であることには変わりないと思うと、複雑な心境だった。
ジョーンのようにパワーを持った父親でもいれば、過失致死罪も帳消しにされるのだろうが、卑しい身分の漁夫が父親ではどうしようもなかった。結局のところ、いけにえにされるのはいつも、自分たち最底辺層なのである。しかし、体を売る商売についている弱者の自分にはどうすることもできなかった。
後日、面会に来た仲間の一人から、アンリがゴアを去り、南に下ったケララ州のコヴァラムビーチを根城に、ルイスと源氏名を変えてまた体を売っていると聞いた。そこでも売春王にのし上がっているそうで、一生牢獄暮らしで美貌を費消し、無残に老いていく自分と比べて羨ましかった。
美貌が唯一最大の武器で、若い華のあるうちにせっせと稼いで、金がたまったら、レストランをオープンしようと思っていた夢が木端微塵に打ち砕かれてしまったわけで、このとき自分は心底元商売敵のアンリを恨めしく思わずにはいられなかった。
(
5につづく)