インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

香林坊の裏のせせらぎ通り(写真)

2015-08-15 17:08:32 | 
北陸新幹線が開通して、駅周辺が再開発、活気にぎわしいが、元々の繁華街は、駅から少し離れた内部にあった。
香林坊がその代表的なもの(町名の由来は、比叡山の僧であった香林坊が還俗して、この地の町人向田家の跡取り向田香林坊となり、以来目薬の製造販売に成功して「香林坊家」として繁栄したという説が有力)、さらに片町と続き、通りの両側にデパート、ショッピングセンター、ブティック、レストラン・喫茶、酒場などの飲食店が立ち並ぶ。

香林坊の109の巨大ショッピングビルの脇を入って裏路地に逸れると、鞍月用水の流れるせせらぎ通りに出る。
小さな太鼓橋がかかり、用水沿いに洒落たお店が並ぶ、瀟洒な一角だ。
思いがけず、ここでインド料理レストランも見つけた



せせらぎ通りに沿って歩いていると、インド・ネパール料理
専門店の看板が


橋を渡った向こうに、カラフルな小旗のかかるお店アシルワード
(恵み)があった


ご存じ焼き鳥の名門、秋吉、赤提灯と疎水が風流
ウイキによると、福井県を中心に展開する焼き鳥チェーンの大手店。
株式会社秋吉グループ本部(所在地:福井県福井市下河北町5-30)
が運営。2014年時点の店舗数は112。看板などに「やきとりの名門」
と銘打っている。1959年6月、福井市呉服町(現在の福井市順化2丁目)
に、わずか四坪の「やきとりの名門・秋吉(旧本店)」を、島川丈男
がたった一人で開店させる。

わが郷里福井ゆかりの成功店なのだ。焼き鳥、評判にたがわずうまい!


表通りの香林坊に出ると、角に巨大な
円筒形ビルが。北國新聞ビルであった
(石川県内の朝刊普及率で約7割を誇る。
35万1000部(朝刊)、6万3000部(夕刊)
2013年9月現在)。1991年に、香林坊
(現在地、2008年に旧町名復活で「南町」
に町名変更)に地上21階・地下3階建ての
新社屋を完成させた


21階の中に入っている企業看板、関連法人が多い


敷地にグリーンガーデンコーナーが。憩いの空間


神木の両側に狛犬が鎮座ましましていた

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アドレナリン発見の科学者・高峰譲吉邸(写真)

2015-08-15 16:28:57 | 私の作品(掌短編・エッセイ・俳句)
引き続き、金沢の写真をどうぞ。
ゲストハウス白のすぐ近くにあった、観光スポットのひとつになっている高峰譲吉邸(タカジアスターゼとアドレナリンの発見で世界的に有名な、高峰譲吉の生家の一部を旧江戸村に移築し、さらに平成13年、元々建物のあった旧梅本町に近いこの敷地に再移築したもの)。
以下、高峰譲吉についてウイキから一部引用。

高峰 譲吉(たかみね じょうきち、嘉永7年9月13日(1854年11月3日) - 大正11年(1922年)7月22日)は、日本の科学者、実業家。工学博士・薬学博士。富山県高岡市生まれ。現在の東京大学工学部の前身の一つである工部大学校卒。理化学研究所の設立者の一人。1912年帝国学士院賞受賞、1913年帝国学士院会員。
1854年に越中国高岡(現・富山県高岡市)御馬出町(おんまだしまち)の漢方医高峰精一の長男として生まれる。翌年、父の学問所「壮猶館」の勤務のため加賀国金沢城下の梅本町(現・石川県金沢市梅本町)へ移住。幼い頃から外国語と科学への才能を見せ、加賀藩の御典医であった父からも西洋科学への探求を薦められた。
1865年(慶応元年)、12歳で加賀藩から選ばれて長崎に留学し海外の科学に触れたのを最初に、1868年(明治元年)、京都の兵学塾、大阪の緒方塾(適塾)に入学、翌年16歳のとき大阪医学校、大阪舎密(せいみ)学校に学ぶ。工部大学校(後の東京大学工学部)応用化学科を首席で卒業。

1880年から英国グラスゴー大学への3年間の留学を経て、農商務省に入省。1884年にアメリカニューオリンズで開かれた万国工業博覧会に事務官として派遣され、そこで出会ったキャロライン・ヒッチと婚約。博覧会取材のラフカディオ・ハーン に会う。帰国後の1886年、専売特許局局長代理となり、欧米視察中の局長高橋是清の留守を預かって特許制度の整備に尽力。1887年に結婚、1890年に渡米しアメリカへ永住することになる。
1894年、デンプンを分解する酵素、いわゆるアミラーゼの一種であるジアスターゼを植物から抽出し「タカジアスターゼ」を発明する。タカジアスターゼは消化薬として非常に有名となった。
譲吉が最初に居住したシカゴは当時アメリカでも有数の肉製品の産地で多数の食肉処理場が存在していた。この時廃棄される家畜の内臓物を用いてアドレナリンの抽出研究をはじめ、1900年に結晶抽出に成功。世界ではじめてホルモンを抽出した例となった。アドレナリンは止血剤としてあらゆる手術に用いられ、医学の発展に大きく貢献した。














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