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江戸繁昌記初篇 10 吉原 5

(散歩道のイヌマキの実)

今はまだ青いが、秋には赤く熟して食べられるようだ。

「江戸繁昌記初篇」の解読を続ける。

妓、従容として謂て曰う、君少く説話す、宜しく。即ち曰う、小子談話を解せず。妓曰う、また人欺むくのみ。君多く手叚有り。即ち笑いて曰う、脚を加えて纔かに四本。妓、星眼波を流して曰う、憎むべし。繊手他を一捻し去る時に、戸外を儕娼の過ぐる有り。曰う、今夕何の夕ぞ、この楽事を取る。妓、微笑しこれに応えて曰う、何等の言語か、かつて耳に入らずや。
※ 従容(しょうよう)- ゆったりと落ち着いている さま。危急の場合にも、慌てて騒いだり焦ったりしないさま。
※ 小子(しょうし)- 一人称の人代名詞。自分をへりくだっていう語。小生。
※ 手叚(しゅか)- 借りる手。
※ 星眼(せいがん)- 正視すること。
※ 繊手(せんしゅ)- かぼそい、しなやかな手。
※ 一捻(いちねん)-(原文に「つねる」とルビが振られている)
※ 儕娼(ほうばい)- 娼妓の仲間。(「朋輩」は同じ主人に仕えたり、同じ先生についたりしている仲間。)


を援(たすけ)を吹く。火光溌起、眼を偸(ぬす)んで、面目を火光中に熟視し、自家先ず餐了一番、遂に他をして餐一口せしむ。曰う、請う、且(しばら)く一睡せよ。自ら起きて、郎が上袍を褪(ぬが)し、を把(と)ってこれを被う。
※ 筒(つゝ)、烟(けむり)- 煙管(きせる)と煙草の烟。
※ 火光(かこう)- 灯火の光。
※ 溌起(はっき)- 勢いよく跳ね起きること。(原文に「はっとする」とルビが振られている)
※ 郎(ろう)- 女性から夫、または情夫をさしていう語。
※ 面目(めんもく)- 顔かたち。顔つき。
※ 自家(じか)- 自分。自分自身。
※ 餐了一番(さんりょういちばん)- 煙草を一服吸うこと。
※ 餐一口(さんひとくち)- 煙草を一服吸うこと。
※ 上袍(じょうほう)- 上着。上っ張り。
※ 衾(ふすま)- 布などで長方形に作り、寝るときにからだに掛ける夜具。綿を入れるのを普通とするが、袖や襟を加えたものもある。現在の掛け布団にあたる。


玉臂早く已に郎が角枕下に在り。曰う、想うに君が家、必ず當(まさ)佳偶の有るべし在る。曰う、良縁未だ遇(あ)わず。曰う、然れば、則ち何れの楼か知らず、暱人の親を約する有らん。曰う、家君厳なり。縦遊を得ず。如何(いか)んぞ、この事有らん。
※ 玉臂(ぎょくひ)- 美しいひじ。玉のように美しいうで。美人のひじの 形容として用いる。
※ 佳偶(かぐう)- よき連れ合い。
※ 暱人 -「暱」は「なじむ」。(原文に「なじみ」とルビが振られている)
※ 家君(かくん)- 自分の父親。親父。
※ 縦遊(しゅうゆう)- 気のむくままに遊ぶこと。

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江戸繁昌記初篇 9 吉原 4

(庭のサルスベリにコガネムシ)

庭のサルスベリにコガネムシがたくさん付いて、咲き遅れた蕾を食べている。これから卵を産み、幼虫は地中で二年過し、成虫となる。始めハナムグリの一種かと思った。コガネムシは黄金色をしていると思い込んでいた。

「江戸繁昌記初篇」の解読を続ける。

大凡(おおよそ)ここの境に遊ぶ者、愚かにして色に溺るゝ有り。にして情の喜ぶ有り。を使いて媚(こび)を取り、興を買いて痴を愛す。或は黠(わるがしこ)くにして数を挟み、他を賺(すか)して、物を掠め、これを以って自ら好(よ)くする者、これを賊と為す。萬金を車載し、興を人意の表に取りて、気をして一點脂粉に挫かれしめざる者、この如くは即ち豪なり。豪か賊、達や興なり。
※ 達(たつ)- 物事によく通じること。
※ 威(い)- おごそかで犯しがたい力のあること。
※ 人意(じんい)- 人の心。


道学(朱子学)の極みならずと雖ども、また吾が落魄生輩の得て知る所ならざるなり。凡そ、事その域を履(ふ)むにあらざるよりは、情至らず。如何んぞ、善くその光景を画かん。こはこれ、稈史本の翻訳。
※ 落魄(らくはく)- おちぶれること。零落。
※ 生輩(せいはい)- 自分のことをへりくだっていう。小生。
※ 稈史本(かんしほん)- 洒落本。江戸後期、主として江戸市民の間に行われた遊里文学。


人有り、曲を按(あん)じ、その声を聞いて、その面を見ず。詞に云う、雪楼に満ち、夜将に中ならんとす。氷の如く、寒威雄なり。夢裏覚めず。相抱き着す。膠の如く、漆の如くに弓を交ゆ。金屏障へ尽して寒を護ること密なり。なおこれ生憎す、戸隙の風、水調雅淡、真に人をして肉飛ばしむ。蘭房香気芬馥、燈影暗黯六曲の秋江図、屏裏鴛鴦一雙、相依りて三蒲団上に在り。
※ 衾(ふすま)- 寝具の一種。現在の掛けぶとんのようなもので、平安時代から宮中で用いられた。
※ 寒威(かんい)- 寒さの勢い。寒気の激しさ。
※ 夢裏(むり)- 夢の中。夢中。
※ 金屏障(きんへいしょう)- 金屏風。
※ 生憎(あいにく)- 期待や目的にそぐわないさま。都合の悪いさま。(原文に「にくらしい」とルビが振られている)
※ 水調(すいちょう)- 雅楽の調子の一。黄鐘調の枝調子。呂旋に属する。
※ 雅淡(がたん)- 飾らず上品な、優雅であっさりとした。
※ 蘭房(らんぼう)- 女性の美しい寝室。また、美人の閨房。
※ 芬馥(ふんぷく)- ぷんぷんとよいかおりがたちこめるさま。かおりが高いさま。
※ 暗黯(あんあん)- 暗い。光の乏しい。
※ 六曲(ろっきょく)- 屛風が六枚折りであること。
※ 屏裏(びょうり)- 屏風の裏面。
※ 鴛鴦(えんおう)- おしどり。
※ 一雙(いっそう)- 二つで一組になっているもの。一対。一つがい。
※ 三蒲団(みつぶとん)- 三枚重ねの敷布団。江戸時代、最高位の遊女の用いたもの。
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江戸繁昌記初篇 8 吉原 3

(庭のアキアカネ)

我が家の庭にアキアカネが何匹も飛んで来た。夏の内は山地で過ごしていたものが、秋の到来とともに低地に移って産卵するのである。当地にも秋の第一陣の到来である。

「江戸繁昌記初篇」の解読を続ける。

意指目撃、を品し、鳳評す。憚(はばか)りて、遠く望む者有り。押されて近く窺う者有り。䟽(とおり)を穿ち、臂(ひじ)を交え、喃々密語する者は、情郎の情を談ずるなり。
※ 意指(いし)- こころがけ。
※ 鸞(らん)- 中国の、想像上の美しい鳥。鶏に似て羽の色は赤色にいろいろな色が混じり、鳴き声は五種類あるという。鸞鳥。(「鸞」も「鳳」も遊女のこと。)
※ 喃々(なんなん)- 小声でつまらないことをいつまでもしゃべり続けるさま。
※ 情郎(じょうろう)- 恋愛中の男。


を授けて烟を吹かしめ、呶々艶話する者は痴妹の痴を弄するなり。酔歩浪々了鬟前を擁し幇間後を押し、譟(さわ)いで過ぐる者は大客の楼に上るなり。洛神水を出て、天女空より墜つ。姿儀整斉、厳として褻(な)れ近づくべからず。徐々蓮歩し来たる者は名妓の客を迎えるなり。
※ 管(かん)- 煙管(きせる)のこと。
※ 呶々(どど)- くどくど言うこと。
※ 痴妹(しんぞう)- 新造。遊里で姉女郎の後見つきで客をとり始めた若い遊女。
※ 浪々(ろうろう)- 所を定めず、さまよい歩くこと。
※ 了鬟(かむろ)- 江戸時代の遊郭に住む童女のこと。
※ 擁す(ようす)- 抱きかかえる。周囲から守り助ける。
※ 幇間(ほうかん)- たいこもち。宴席などで客の機嫌をとり、酒宴の興を助けるのを職業とする男。
※ 洛神(らくしん)- 洛嬪。古代中国の伝説に出てくる伏義氏の娘であり、水と川を司る洛水の女神。
※ 姿儀(しぎ)- 姿かたち。
※ 整斉(せいせい)- 整いそろっているさま。
※ 蓮歩(れんぽ)- 美人のあでやかな歩み。


放歌して去る者有り。歌いて曰う。「思うよ我れ、思わざるよ子、思わしめんと欲すは、我よ無理。」頸(くび)を交えて立談する者有り。一人曰う、我、二銀を懐にして、兄向(さ)きに言う、三銖有りと。弟が一銖を合わして、通計纔かに一方半金。金少くして人多し。顧(おも)うに、安んか急に弁ぜん。妨げず、明暁、吾れ宜しく遺遊すなり。衆議一決、相に携えて去る。
※ 銖(しゅ)- 江戸時代の貨幣んの単位。朱。(4朱で1歩、4歩で1両)
※ 通計(つうけい)- 総計。
※ 一方半金(ひとかたはんきん)- 3人兄弟で合せて4朱では、1人分の半金しか賄えない。
※ 安(いずく)んか - どこに。どこへ。(どこで急に調達できようか。)
※ 遺遊(いゆう)- 居残り。(金の調達が出来るまで居残る)
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江戸繁昌記初篇 7 吉原 2

(玄関外のアマガエル)

このアマガエルもどうやら我が家の住人のようだ。夜、玄関灯に寄る虫が餌になるのだろう。昼間は観葉植物に身を隠し、ひたすら夜を待つ。昨日の雨で少しは元気づいたであろうか。

「江戸繁昌記初篇」の解読を続ける。

友人学半、花を詠ずる一聯に云う。
※ 学半(がくはん)- 山本学半。江戸時代後期の儒者。山本素堂の兄。「戦国策説」「孟子得源」などをあらわした。江戸出身。
※ 一聯(いちれん)- 漢詩で、一対になった二句。


   梁閣筵酣密雪下    梁閣、筵酣にして密雪下り
   巫山夢暖濃雲凝    巫山、夢暖かに濃雲凝まる
※ 筵(えん)- 酒宴の席。
※ 酣(たけなわ)- 真っ盛り。真っ最中。
※ 密雪(みっせつ)- 細かにしげく降る雪。深い雪。
※ 巫山(ふざん)- 中国・重慶市巫山県と湖北省の境にある名山。楚の懐王がみた夢を題材にした宋玉の「高唐賦」に登場する。その内容は巫山の神女が懐王と夢の中で出会い、親しく交わるというものである。なかでも、朝には雲に、夕方には雨になって会いたいという神女の言葉が有名となり、巫山雲雨や朝雲暮雨など男女のかなり親密な様子を表す熟語が生まれた。


予が燈を賦(くば)るに云う。

   青烟却逐蘭盆節    青烟、却って蘭盆の節を逐(おう)て
   紅燭寫成元夕春    紅燭、写し成す、元夕の春。
※ 青烟(せいえん)- 青いけむり。
※ 蘭盆(らぼん)- 盂蘭盆。お盆。
※ 紅燭(こうしょく)- あかいともしび。
※ 元夕(げんせき)- 陰暦の正月十五日の夜。


その他、五度の佳節、直(ただ)観の美の為ならず。例して格式有りと云う。
※ 佳節(かせつ)- めでたい日。祝日。五度の佳節とは以下の通り。
    一月七日 人日(じんじつ)、七草。
    三月三日 上巳(じょうし / じょうみ)、桃の節句。
    五月五日 端午(たんご)、端午の節句。
    七月七日 七夕(しちせき / たなばた)。
    九月九日 重陽(ちょうよう)、菊の節句。


若しそれ暮靄、柳を抹し、黄昏(たそがれ)燈、火を上(のぼ)す。各楼銀燭、星の如し。絃声人を鼓す四角の雞卵、世、未だこれを見ず。この境、晦夜もまた、円月、天を開く。遊人魚貫、漸く格子外に蟻附す。
※ 暮靄(ぼあい)- 夕暮れにたちこめるもや。
※ 抹す(まっす)- 粉にひく。粉砕する。ここでは、靄(もや)が柳の姿を消す様子をいう。
※ 銀燭(ぎんしょく)- 美しく輝くともしび。
※ 絃声(げんせい)- 琴や三味線の音。
※ 鼓す(こす)- 奮い立たせる。
※ 四角の雞卵 - ことわざ「卵の四角と女郎の誠」。あるはずのないことのたとえ。
※ 晦夜(かいや)- つごもりの夜。(本来、月のない闇夜である。)
※ 遊人(ゆうじん)- 物見遊山に出る人。遊客。
※ 魚貫(ぎょかん)- 魚が串刺しに連なったように、たくさんの人々などが列をなして行くこと。
※ 蟻附(ぎふ)- 蟻のように群がり集まること。
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江戸繁昌記初篇 6 吉原 1

(増水した大代川)

未明からのまとまった雨で、涸れかけていた大代川も久し振りに増水した。

「江戸繁昌記初篇」の解読を続ける。

     吉原
慶長の初年(1596)、娼家僅かに三ヶ所、一は麹街に在り(京師六条より移るもの)。一は鎌倉岸に在り。一は大橋に在り(今、常盤橋これなり。駿府、弥勒坊より移るもの)。その他、伏見の夷街、奈良の木辻坊より、後れ来たるもの、各所に散居す。十七年(1612)庄司甚右衛門なる者、上書して散を合して一と為し、以って一大花街を開かんことを請う。
※ 庄司甚右衛門 - 江戸時代前期、遊郭の創設者。小田原北条氏の浪人。はじめ甚内と称し、江戸で遊女屋西田屋をいとなむ。幕府に願い出て、元和三年、吉原遊郭をつくり、惣名主となる。子孫は代々名主職をついだ。
※ 上書(じょうしょ)- 主君・貴人などに意見を述べた書状を差し出すこと。


元和三年(1617)、官始めてその乞いに准じ、一地方を今の葺屋坊の旁(かたわら)に賜う。開闢功成る。その蘆を鞭し簣を覆する。これ故を以って、名づけて芦原と曰う(後、吉原と改む)。而して、大橋より移り住する者、江都の繁華に係るの意を取り、改めて、江戸坊(江戸町一丁目)と曰う(初名、柳坊)。鎌倉岸より来たる者、その第二坊(江戸町二丁目)に住す。麹街よりする者、初め京師より至るに縁りて、京坊(京町一丁目)と曰う。その後れ来たる者、その第二坊(京町二丁目)に在り。或はこれを新坊と謂う。
※ 開闢(かいびゃく)- 荒れ地などが切り開かれること。
※ 蘆を鞭す(あしをべんす)- 葦を刈払う。
※ 簣を覆する(もっこをふくする)- もっこで運んだ土石を反す。


後、明暦三年(1657)八月、命に因りて今地に徙(うつ)る。角坊(角町)は、京橋外角坊の旧名にして、堺、伏見の二坊は、その地方より来たる者多きによるの名と云う。五街の楼館、互いに佳麗を競い、三千の娼妓、各々嬋妍を闘わす。一廓の繁華、日月盛昌、三月、花を栽(う)え、七月、燈を放ち、八月、舞を陳す。これを三大盛事と為す。
※ 五街(ごがい)- 新吉原遊郭は、江戸町一・二丁目、京町一・二丁目、角町の五町からなっているところから、五丁町或いは五街と呼ばれた。
※ 嬋妍(せんけん)- 容姿のあでやかで美しいさま。
※ 一廓(いっかく)- 一つの囲いの中の地域。
※ 盛昌(せいしょう)- 物事の勢いの盛んなこと。
※ 陳す(ちんす)- つらねる。ならべる。
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江戸繁昌記初篇 5 相撲 3

(散歩道のルドベキア)

「江戸繁昌記初篇」の解読を続ける。

明和の間、婦人相撲大いに行わる。趙宋の世、上元或はこの戯を設けしと、同一奇にして聞く。近日、両国の観物場(みせもの)瞽者と婦人、力を角すと謂いつべし。更に奇なりと。
※ 趙宋 - 中国の王朝の一つ。趙匡胤が五代最後の後周から禅譲を受けて建国した。国号は宋であるが、春秋時代の宋、南北朝時代の宋などと区別するため、帝室の姓から趙宋とも呼ばれる。
※ 上元(じょうげん)- 陰暦正月15日の称。
※ 瞽者(こしゃ)- 盲目の人。
※ 角す(かくす)- くらべる。きそう。


去年、予、某(なにがし)の家に於いて、相撲者流に擬する先儒の姓名編号(番付)を見る。登時、これを言って奇と為して、頃者は、またこれに擬する、今の儒の名字を見る。嗟夫(ああ)、愈々出でて、愈々奇なり。然れども未だ聞かざるか、今の儒中一人金剛力有る者を。
※ 先儒(せんじゅ)- 昔の儒者。前代の儒者。
※ 登時(とうじ)- すぐに。即座に。
※ 頃者(けいしゃ)- このごろ。近ごろ。
※ 金剛力(こんごうりき)- 金剛力士のように強い力。非常に強い力。


但し、その名を売り、利を射るの手に至りては、四十、八十に止まらずして、虎の威を仮りて、空力を張り、狸術を舞(ぶ)して、虚名を収め、鷹隼(ようじゅん)物を攫(つか)み、狻猊世に哮(ほ)ゆる。ただ死力を出して、以って世間喝采の声を求む。周旋米纒頭紛々、これに於いてや、抛(なげう)つ。
※ 空力を張る -虚勢を張る。自分の弱い所を隠して、外見だけは威勢の あるふりをする。
※ 狻猊(しゅんげい)- 獅子(しし)の別名。
※ 周旋米(しゅうせんまい)- 出入り扶持。
※ 纒頭(てんとう)- 祝儀。はな。心づけ。
※ 紛々(ふんぷん)- 入りまじって乱れるさま。


その下なる者に至りては、別に書画会の手段を出し、奔走、脚を使いて、左搏右搶、腰を屈め、を握り、頭を叩いて、血を流す。四方君子の多力に依って、纔かに土俵縁(ぎわ)の窘(くるし)みを救う。これ「これを荷褌(ふんどしかつぎ)儒と謂う」と云わん。
※ 左搏右搶(さはくうそう)- 左で打ち、右で突く。
※ 沙(さ)- 砂。
※ 多力(たりょく)- 力や権力の強いこと。


嗚呼、誰かよく卓然秀出、古豪傑の風有りて、外に、物に挫(くじ)かれず、内に、天に愧(はじ)ず、世教を維持する金剛力を出す者ぞ。蓋し、これ有らん、我れ未だこれを見ざるなり。
※ 卓然(たくぜん)- ひときわ抜きん出ている さま。きわだってすぐれているさま。
※ 秀出(しゅうしゅつ)- 他にぬきんでてすぐれていること。
※ 世教(せいきょう)- 世に行われている教え。
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江戸繁昌記初篇 4 相撲 2

(散歩道のセンニンソウ)

「江戸繁昌記初篇」の解読を続ける。

雷方二神の力を上世に角すと云うの者は邈(とおく)たり。その実、稽すべからず。垂仁帝七年、野見宿禰(のみのすくね)、當麻蹶速(たいまのけはや)、詔(みことのり)を蒙りて、力を試さん。蓋しこれを以って、これが祖として、聖武帝、部領使を遣して、広く天下の力士を徴す。かつ文徳帝名虎善雄の力を闘わして、以って儲嗣贏輸中に定むる如き、この伎(わざ)の盛んなる従って知るべし。
※ 雷方二神 - 大国主命国譲りの談合際、建御雷神と、大国主命の御子、建御名方神が、海辺で力競べの角力を取り、この難問を解決されたという古事。建御雷神の「雷」、建御名方神の「方」をとって、「雷方二神」と呼ぶ。
※ 角す(かくす)- くらべる。きそう。
※ 稽す(けいす)- かんがえる。
※ 部領使(ことりづかい)- 七月の相撲の節会に、力士を召し出すため、諸国に出された使者。
※ 徴す(ちょうす)- 呼び出す。召す。
※ 文徳帝(もんとくてい)- 文徳天皇。平安時代前期の第五十五代天皇。
※ 名虎善雄 -「名虎」は「紀名虎」。「善雄」は「伴善雄」。文徳天皇は、皇位継承権をめぐり、第一王子惟喬親王と第四皇子惟仁親王が争った時、相撲の勝負で決めた。すなわち、惟喬親王は紀名虎(きのなとら)を、惟仁親王は伴善雄(とものよしお)を代表として、勝負は善雄の勝ちで、惟仁親王が第五十五代清和天皇となった。但し、正史にはなく、矛盾もあり、作り話とされる。
※ 儲嗣(ちょし)- 天子または貴人の世継ぎ。皇太子。
※ 贏輸(えいしゅ)- 勝ち負け。勝負。


爾来(じらい)士人のこの伎に名ある者、世々絶えず。然れども、国家騒乱、何の暇がこれに及ばん。蓋し、また平世の余事に、河津祐泰俣野景久畠山重忠和田義秀などが、力較べする。並に、頼朝公治世の日においてである。織田、豊臣二公のこれを設けて、これを観るもまた、これ無きの時において見ゆ。
※ 河津祐泰(かわづすけやす)- 平安末期の武将。伊豆の人。伊東 祐親の子。曽我兄弟の父。大力で相撲の名手といわれた。
※ 俣野景久(またのかげひさ)- 平安時代の武士。相模国鎌倉郡俣野郷に住す。河津祐泰と相撲で対戦し、初めて「河津掛け」をされた人物。
※ 畠山重忠(はたけやましげただ)- 平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。大力で知られ、鵯越の逆落しで馬を背負って坂を駆け下った話は有名。
※ 和田義秀(わだよしひで)- 朝比奈義秀。鎌倉時代初期の武将。大力として知られた。


今の世に所謂(いわゆる)勧進相撲は、御光明帝、正保二年(1645)において、山州光福寺の僧、宮殿再建に縁(よ)って、この伎場を設くるに起きる。江戸は則ちこれより先、明石志賀之助なる者、命(めい)を乞い、始めてこれを四谷の盬街(塩町)に行う。実に寛永元年(1624)なり。後、寛文元年(1661)、創めて勧進相撲事建て、歳時、相続き繁昌今に臻(いた)ると云う。
※ 山州(さんしゅう)- 山城国の別名。
※ 明石志賀之助(あかししがのすけ)- 江戸初期の伝説的力士。朝廷より日下開山(ひのしたかいざん)を名乗ることを許され,後世初代横綱とされた。
※ 歳時(さいじ)- 年と月。時間。
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江戸繁昌記初篇 3 相撲 1

(猛暑の夕日)

焼け付くような猛暑の昼下がり、女房の在所のお墓参りに行く。羽音ときらりと光るものがあって、墓石にタマムシが止った。しかし、次の瞬間、手を出す前に飛び立った。猛暑も虫たちには天国で、何とも動きが早い。生きているタマムシを見るのは、数十年振りである。さすがに、夕刻のムサシの散歩の頃には風が出て、やや凌ぎやすくなる。予報士は秋が近いというが、なかなかそうはならないようだ。

「江戸繁昌記初篇」の解読を続ける。

     相撲
櫓鼓(やぐらだいこ)寅時(ばち)を揚げ、連撃(れん打ち)に達す。観る者、蓐食して往く。
※ 寅時(とらどき)- 早朝4時前後。
※ 辰時(たつどき)- 朝8時前後。
※ 蓐食(じょくしょく)- 朝早く外出するときなどに、寝床の中で食事をすること。


力士、対を取りて場に上る。東西各々その方よりす。皆、長身、大腹、筋骨鉄の如し。真にこれ、二王(仁王)屹立、目を努(は)り、を張り、土俵を中分し、各々一半を占めて蹲(うずく)まる。気を蓄うこと、これを久しうす。已に定るや、一喝(いっかつ)身を起し、鉄臂石拳手々相搏(う)つ。
※ 屹立(きつりつ)- じっと立っていること。高くそびえ立つこと。
※ 臂(ひ)- 肩から手首までの部分。腕。
※ 中分(ちゅうぶん)- 半分に分けること。
※ 精(せい)- 心身の力。元気。
※ 鉄臂石拳(てっぴせっけん)- 鉄のような腕と、石のようなこぶし。


雲を破りて電撃めき、風に砕(くだ)けて花飄(まいあが)る。虚を売りて気を奪い、気を搶(つ)いて、勝を取る。鐘馗鬼を捉(とらえ)るの怒、清正虎を搏(う)つの勢い。狻猊咆哮、鷹隼攫鷙、二虎肉を争い、双龍玉を弄(ろう)す。
※ 狻猊(しゅんげい)- 獅子(しし)の別名。
※ 攫鷙(かくし)- 他の鳥をつかみ殺す猛禽。


四臂扭結、奮って一塊と為る。投げ、繋(か)け、捻(ひね)り、吊り。ただ力を闘わすならず。知を闘わし、術を闘わす。四十の手、八十の伎(わざ)窮極せざるはなし。
※ 四臂扭結(しひじゅうけつ)- 四本の腕を捻りむすぶこと。相撲で四つに組むこと。(四つに組んで一塊となる)
※ 窮極(きゅうきょく)- 物事を最後まできわめること。


行司人、軍扇を秉(と)り、左周右旋贏輸を判じて、観る者の情、西を悦こび東を愛す。勝敗未だ分れざるの間、贔屓の為に憤り、徒(いたずら)に虚勢を張る。髪は頭上の手巾を衝き、手に両の熱汗を揑(にぎ)る。腕を扼し、歯を切(くいし)ばり、狂顛自ら覚えず。
※ 左周右旋(さしゅううせん)-(軍配を)左へ回したり右へまわしたり。次々と。
※ 贏輸(えいしゅ)- 勝ち負け。勝負。(「贏」が勝ち、「輸」が負け)
※ 手巾(しゅきん)- 手ぬぐい。手ふき。
※ 把(わ)- しっかりと手中に握る。
※ 扼す(やくす)- 強く押さえる。 締めつける。
※ 狂顛(きょうてん)- 狂人。


(軍扇)揚れり。一斉喝采の声、江海翻覆す。各々物を抛(なげう)って、纒頭と為す。自家の衣着浄々投げ尽くし、甚(はなはだ)しや、或は傍人の短掛(羽織)を褫(うば)うに至る。
※ 江海(こうかい)- 大河と海。
※ 翻覆(ほんぷく)- ひっくり返る。
※ 纒頭(てんとう)- 祝儀。はな。心づけ。
※ 浄々(じょうじょう)-残すところなく。未練なく。
※ 傍人(ぼうじん)- そばにいる人。また、そばにいるだけで、直接の関係がない人。
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江戸繁昌記初篇 2 序2

(「江戸繁昌記」本文)

「江戸繁昌記」にはアンチョコもないので、大変だが、「峡中紀行」解読の経験が大いに役立つと思う。

「江戸繁昌記初篇」の解読を続ける。

然れども、予、原(もと)意を彫蟲に属さず。かつ病中一時、作意の筆する所、安う能く細かに、その光景を写して、以って国家に盛を鳴らすに足らん。但し、事は鄙なりと雖(いえ)ども、偶々好事家の手に存して、江都百年、今に、三の繁華の一、二を、百年の後に証することを得れば、則ち足れり。若し、それ諸(もろもろ)を今日に取る所は、或は読者をして、また笑いて以って、その悶を無聊中に(や)らしめんのみ。
※ 彫蟲(ちょうちゅう)- こまかい細工。
※ 鄙なり(ひななり)- 俗っぽい。下品だ。
※ 好事家(こうずか)- 変わった物事に興味を抱く人。物好きな人。
※ 江都(こうと)- 江戸の異名。
※ 悶を遣る(もんをやる)- 気をはらす。
※ 無聊(ぶりょう)- 退屈なこと。心が楽しまないこと。気が晴れないこと。


嗟々(ああ)、この無用の人にして、この無用の事を録す。豈にまた太平の世、繁昌中の民ならずや。江都繁華中、太平を鳴らすの二時の相撲三場の演劇五街の妓楼に過ぐるは無し。
※ 具(ぐ)-(比喩的)道具。手段。手だて。
※ 二時の相撲 - 江戸相撲は春秋の年2場所であった。
※ 三場の演劇 - 江戸時代中期から後期にかけて、江戸町奉行所によって歌舞伎興行を許された芝居小屋は三座に限られていた。
※ 五街の妓楼 - 新吉原遊郭は、江戸町一・二丁目、京町一・二丁目、角町の五町からなっているところから、五丁町或いは五街と呼ばれた。


相撲は則ち戯(ざ)れに属すと雖(いえ)ども、蓋し古人武を尚(たっと)び、これによりて起る所、その来たること旧(ふる)し。乃(すなわ)ち今の士人のこれを喜ぶも、また仍(なお)(ゆみ)を彎(ひ)き、馬を躍らす。武を嗜む余意の在る所、則ちその実はかれこれ同日の論には非ざるなり。
※ 余意(よい)- 言外に含む意味。

然れども、その忠孝の情を摸(も)し、礼義の状を扮(ふん)し、観者をして感激奮って泣かしむるは、これ演戯本色。予嘗って謂う。忠臣庫第四回、塩冶氏の諸士、城に別るゝの条に泣かざる者は、また忠臣に非ざるなり。
※ 演戯(えんぎ)- 演劇。
※ 本色(ほんしょく)- 本来の性質。本領。
※ 忠臣庫(ぐら)第四回 - 忠臣蔵四段目。塩冶判官切腹から城明渡しの場。


妓楼の如きは、奸盗を陥(おとしい)るゝ大牢獄、憂悶を洗う一楽海、関所また大きなり。則ち武を外れて喜び、淫(みだら)にして感じ、楽しみて溺れるなり。その咎、何(いずれ)にか在る。かれの罪には非ざるなり。
※ 奸盗(かんとう)- たちの悪い盗賊。
※ 憂悶(ゆうもん)- 思い悩み、苦しむこと。
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江戸繁昌記初篇 1 序1

(庭のニチニチソウ)

午後、掛川古文書講座へ出席した。先月の続き、東山村の明細書である。来月には読み終るから、まとめてここへ取り上げようと思う。

今日は「江戸繁昌記初篇」の読み始めである。もっとも、既に少し読み進めているが、江戸の町の下世話な話題を、漢文で読むと不思議な味わいがある。その味わいを感じて貰うために、出来るだけ漢文の味を残しながら解読する。その分、理解してもらうために、たくさん「注」を、重複を厭わずに付けた。煩わしければ、とばして読んでもらってよい。

この本を書く経緯は初篇の序に書かれているから、改めて説明はしない。さあ、読み始めよう。

     江戸繁昌記 初篇     静軒居士著
天保二年(1831)五月、予、偶々微恙に嬰(かか)り、危坐して聖経を執ること能わず。稍々雑書を閑臥無聊中に繙(ひもと)いて、以って悶を遣るや。
※ 微恙(びよう)- ちょっとした病気。軽い病気。
※ 危坐(きざ)- かしこまって座ること。端座。正座。
※ 聖経(せいきょう)- 聖人の記した書物。また、聖人の言行を記録した書物。
※ 稍々(やゝ)- しだいに。ようやく。だんだんに。
※ 閑臥(かんが)- 静かに横になること。
※ 無聊(ぶりょう)- たいくつなこと。
※ 悶を遣る(もんをやる)- 気をはらす。


この如きこと、旬余一日は、慨然として巻を抛(なげう)ちて嘆いて曰く、近歳年少なく豊かならず。百文銭纔かに数合の米を貿(か)う。然るに、窮巷擁疴の浪人、なお餓えずして図書叢内臥遊することを獲(え)る。顧(おも)うに、太平の世、天の如き徳沢に浴する、この致す所に非ざることを得んや。
※ 旬余(じゅんよ)一日 - 十一日の間。
※ 慨然(がいぜん)- 憤り嘆くさま。憂い嘆くさま。
※ 近歳(きんさい)- 近年。
※ 窮巷(きゅうこう)- むさくるしげな場末のまち。
※ 擁疴(ようあ)- 病気を抱えること。
※ 叢内(そうない)- 群がり集まる中。多くのものの集まりの内。
※ 臥遊(がゆう)- 床にふしながら旅行記を読んだり、地図や風景画を眺めたりして自然の中に遊ぶこと。
※ 徳沢(とくたく)- 恵み。恩沢。おかげ。


因って、都下の繁昌光景を思い、眶(まぶた)を鎖してこれを憶えば、幼時の観る所、今日の聞く所、百の現(うつつ)、病牀上に萃(あつ)まる。随いて書し、随いて思い、更に、枕辺に有る所の雑書中、記するに堪ゆるの事を鈔し、また以って悶を遣る(気を晴らす)。漸く集めて巻を為(つく)る。乃(すなわ)ち題して、江戸繁昌記と曰(い)う。
※ 鈔す(しょうす)- 写しとる。
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