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事実証談 巻之三 異霊部6 麻蒔地蔵と土三郎観音





(第17話に出る、森町の天宮神社と大洞院/6月8日取材)

「事実証談 巻之三 異霊部」の解読を続ける。

第17話
周智郡天宮郷天宮社領は、往昔一村なりしが、乱世の比(頃)より減じ、今、他領となれるところに、麻蒔(あさまき)地蔵、土三郎観音とて、石仏安置せる堂あり。十一月十五日、地主神祭の日、もとより社領方にて祭れるを、享保年中に地境争論のことありて、社領方利なく、村方付属の地となりしとき、かの二仏、論所に有りけるゆえ、その由緒を糺(ただ)しけるに、

麻蒔地蔵というは、四百年余以前、禅曹洞宗の始まりの比、同郡橘村、大洞院開山、恕中天和尚、隣郷蓮花寺村、蓮花寺(天台宗)に客居したりし時、天宮神主、中村大膳、蓮花寺にてかの和尚に対面せしに、和尚言いけるは、曹洞一宗弘むべき寺院となるべき地あらば指揮し給えかし、と乞いけるにより、上郷と天宮郷との境、橘村に伴い来て、橘村の谷間に九尺四方の庵を結ばしめたりとぞ。(今大工方に、九尺四方に造立せる書付有りと聞けり)
※ 客居(かっきょ)- 旅ずまい。客として、仮ずまいすること。

かゝる深き故由あれば、中村大膳死(うせ)ぬる後、かの和尚恩義を報ぜんとて、先翁導橘と法号を諡(おく)りて回向したりとなむ。この故を以て、かの寺にては導翁と称せりとかや。

さて、かの寺の本尊と称するは、則ち天宮村に有りし地蔵を移して本尊とせるよし。今その旧跡とて、境内の坂下に石地蔵の堂有りて、麻蒔地蔵と称(い)う。さて、かの和尚の弟子十四人有りける中に、六人は一宗を弘めて、今は国々にこの宗の寺多く、大洞院は輪番の寺となりて、六ヶ寺を始め、末寺々々より出でて、年毎に勤むる。大地(代地?)とは、なれゝども、麻蒔地蔵を本尊と移せし故にや、かの寺にては、旧跡の石地蔵は堂の修理するのみにて、祭る事なし。(寛政年中にて、天宮村忠兵衛という者、一子不幸により、回向料を寄付して、年々七月、かの堂にて施餓鬼を勤むる事とはなれり)

また、土三郎という処に石観音有り。こは往昔、土三郎、土四郎と云いし人の籠居せし所なりと云い伝えけるが、その故、詳(つまびらか)ならず。こは、かの人どもの墓所なりとも言えり。
※ 籠居(ろうきょ)-家に閉じこもって外に出ないこと。また、謹慎して自宅に閉じこもること。

さて、かの二仏を年毎に祭り来しかど、本尊とせる寺にてだにも祭らざるを、外にて祭る由なしと、一年その祭を怠りしかば、その霊、老婆に着いて云いけらく、往昔より絶えず祭り来しを、今、社領にあらざる故に、祭らざるも理(ことわり)なれど、外に祭らん人しなければ、往昔より祭り来しまゝに、祭りてたべ(給え)と歎けるにより、また古例の如く、他領なる二仏に赤小豆(あずき)飯、白粉餅、折掛の竹に酒を入れて、社領方より祭るはこの由なりと、老人の物語なり。
※ 白粉餅(しろこもち)-生米を水に浸し 柔らかくして搗きくだきかためたもの。
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