goo

「竹下村誌稿」を読む 232 駅路 3

(昨日の静岡城北公園の緑陰)

昨日から急に涼しくなって、おなじみの静岡城北公園の緑陰が、何とも心地良げに見えた。(右の建物が、静岡市中央図書館)

午後、金谷宿大学「古文書に親しむ(経験者)」の講座があった。2時間の講義を終えると、やはり疲れて、ぐったりする。

********************

「竹下村誌稿」の解読を続ける。

而して、榛原郡に於ける駅路は、時代によりて一定ならず。延喜式に諸国駅馬、伝馬の数を定む。遠江国五駅あり。駅馬各十疋即ち、猪鼻、栗口、口摩、横尾、初倉の五駅なり。伝馬各郡五疋、浜名、敷地、磐田、佐野、蓁原の五郡なり。この口摩は即ち今の見附なり。横尾は松尾の誤字にして掛川なるべし。

されば、各駅間、今の四里余にして、即ち古えの三十里の行程なるべし。また厩牧令に「駅馬を置く、中路十疋。伝馬各郡各五疋。」とありて、諸道の駅馬を置くことを規定し、山陽道を大路(駅馬廿匹)とし、東海、東山の両道を中路となせり。されば、東海道はなお十分開けざりしことを知るべし。

この駅馬は官使の諸国へ向う時、駅鈴を給わり、その鈴を振り鳴らして、駅馬を徴発する証左となせしものなり。堀川院百首に、
※ 駅鈴(えきれい)- 律令制で,駅使や公用の使者に対し下付された鈴。駅馬使用の許可証にあたり、振り鳴らして駅子・駅馬を徴発した。
※ 徴発(ちょうはつ)- 強制的に物を取り立てること。
※ 証左(しょうさ)- 事実を明らかにするよりどころとなるもの。証拠。


  相坂の 関の関守 出でゝ見よ むまやつたいに 鈴(駅鈴)聞こゆなり
※ むまやづたい(駅伝) - 律令制における駅制と伝馬(てんま)の制。

と大江匡房の詠まれたるにても知らる。而して、伝馬は伝符によりて、出せるものと見えたり。この駅馬伝馬を取り扱う家を駅家(うまや)と云う。駅毎に駅長あり。これを長者と云う。また田令に、「凡そ、駅伝、皆な近く随(よ)り給す。中路三町」とあり。その収穫を以って、駅馬の用に充てられしものにして、これを駅稲とも云う。
※ 伝符(でんぷ) -律令制で、官人が伝馬を使って旅行することを許可する証書。

大同・弘仁(806~824)以降、貞観(859~877)の頃までは、駅法も大いに備わりしが、藤原氏、権を専らにするに及び、地方の政務挙らず、駅政も廃絶に帰したるもの、大凡(おおよそ)百五十年、旅行の極めて困難なりしことは、当時の詩歌などにも、旅行を以って、憂苦の第一として、謡えるものあるにて知らる。伊勢物語の作者、在五中将は、駿河の宇津山に於いて、その寂寞たるに驚き、夢にも人の会わぬなりけりと詠じ、常陸介菅原孝標女の更科日記(治安元年九月)を繙(ひもと)けば、
※ 憂苦(ゆうく)- 憂え苦しむこと。心配して気にやむこと。
※ 在五中将(ざいごちゅうじょう)- 在原業平の通称。
※ 夢にも人の会わぬなりけり - 伊勢物語や新古今和歌集に載る、
   駿河なる 宇津の山べの うつつにも 夢にも人に 逢はぬなりけり
の歌をさす。


田籠(子)の浦は波高くて、船にて漕ぐめり。沼尻と云う所もすが/\過ぎて、大井川と云う渡しあり。水の色、世の常ならず、すりこなど濃くて流したらんように、白き水早く流れたり。いみじく患らい出て、遠江にかゝる。小夜の中山など、越えけんほども覚えず。いみじく、苦しければ、天竜という川のつら(面)に、仮家作り設けたりければ、そこにて日ごろ、過ぐるほどにぞ、よう/\おこたる。冬深くなりたれば、川風はげしく吹き上げて、堪え難く覚えけり。
※ すりこ(磨り粉)- 米をすり鉢ですり砕いて粉にしたもの。湯でといて母乳の代わりとした。

※ おこたる(怠る)- 病気の勢いが弱まる。良くなる。


とあり。当時旅行の困難は、実にかくの如くなりき。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )