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上越秋山紀行 下 23 六日目 前倉村 2

(龍華院の紅葉)

「上越秋山紀行 下」の解読を続ける。

傍らに桶屋が云う。ここを去る事、数十丁登りて、大赤沢川の村上、苗場の山の下流の出合、この中津川と一ツに纏(まとま)りたる処に、凡そ二丈ばかりの滝あり。これは大赤沢の対図に当り、矢矧の橋の少し川上にて、底は千尋とも云う。中津川のその両岸の勝景を見るには、その行路難渋、時刻移りなば、今昔、上結東村の泊り、思いもよらずと云うに、見残しぬ。
※ 対図(ついず)- 二つが一組とされる図。
※ 今昔(こんじゃく)- 今と昔。今も昔も。


抑々(そもそも)この橋前後半道ばかりの処は、深渕限りなき水底数々故、鱒、岩魚の類いの栖(すみか)にて、かの秋山を住居とす秋田猟師は、この水底へ潜り、鍵にて取る事妙手を得たりとなん。また東の岸の巌に洞穴あり。その深き事、量り知るべからず。また小赤沢村下りの岸にも大きな洞穴ありて、遥か下の川岸の岩に抜穴ありと、種々の噺もこの地に馴れて見聞したる桶屋故、さこそと思い、元(もと)来し梯にすがり辛くして、高き皐(さわ)の細道をたどり/\、前倉と云う九軒の村あり。

桶屋が知己の平左衛門と云う家を尋ねて、腰うち懸けるに、主と見えて、何処から来たと云うに、あい、桶屋で御座りますと答うに、女房らしきが、手さしの白木の盆を出し(これを秋山にては、つもの盆と申すとかや)、もの摘(つま)みなされとさし出すに、我等は頓(やが)て大なる炉端へ、草鞋のまゝに這いより、焼飯を焙(あぶ)る間に、妻らしきが、湯瓶の欠けを茶煎にして、貯え見ゆる美濃茶らしきを、空腹にうまく味わう時、婦の挨拶には、こんな茶碗で恥しう御座ると、茶台は一方欠けたる木曽重箱の模様あるを、縁(ふち)無き方を持てさし出す。
※ 湯瓶(とうびん)- 湯沸かし。鉄瓶・やかんの類。

また亭主の挨拶には、上結東まで遠くござる。昼飯を沢山喰うて行くがよいと申すに、予、暫く休(いこ)う内に、茶代の替りに短冊五六枚認(したた)め、さし出す。

  秋山に 短冊配る もみぢ時
    こゝも戸札と 問わる義三寺
(牧之俗名、義三治ゆえ)
※ 戸札(へふだ)- へのふだ。古代の良民の戸籍。律令時代には六年ごとに全国的に調査作成された。(役人の戸籍調査と間違えられる。)

(やが)て、この村端を出れば、小高き岡に老樹茂りたる中に小社あり。その傍に五、六抱えも有りぬべきと思う大樫の、少し控(うろ)になりしを、山師が六尺玉に伐りて挽きあり。能く見れば鱗皮のうえまで見え、最上の木にして、数百歳の星霜を歴(へ)る神木も、一度山師の手にかゝれは、里人の知らぬが仏で、買い調うこと是非もなし。
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