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大井神社の「先賢碑」を読み解く その1

(島田市大井神社境内の「先賢碑」)

午前中、まーくんの家から取り入れて来た渋柿を干柿に加工した。全部で57個加工した。合計は387個となる。

島田市の大井神社に「先賢碑」と題された碑がある。碑面にも書かれているように、境内の東北隅に、折りからの、七五三の喧噪からは無縁に、ひっそりと建っていた。漢文碑の三基目に読むのは、この「先賢碑」である。ここで先賢とは、江戸時代の島田代官、長谷川藤兵衛長勝、その子長谷川藤兵衛長春、そして文人桑原黙斎の三人である。碑面に「三賢三碑」とあるから、この3人を3基の碑にする予定だったのかもしれない。ともあれ、先賢碑には江戸時代の、この三人の事績が記されているようだ。

先賢碑           内務大臣正四位勲一等、若槻礼次郎篆額
※ 若槻礼次郎(わかつきれいじろう)- 松江出身の大蔵官僚。政治家。この後、首相になる。
※ 篆額(てんがく)- 石碑などの上部に篆書で書かれた題字。


吾が島田の地たる、東海の衝擁に当り、大井川土壌沃饒、戸口繁殖、民その生を楽しみて、人文の盛ん、また一時流風において、冠たる遺沢、今に至り未だ沫(や)まず。、その所由、嗟(あゝ)誰の賜うなり。
※ 衝擁(しょうよう)- 重要な所。要衝。
※ 沃饒(よくじょう)- 地味が肥えていて作物がよくできること。
※ 流風(りゅうふう)- 後世に伝わり残る先人の教化。先人の残した美風。
※ 遺沢(いたく)- 後世に残る恵み。
※ 原(げん)- みなもと。もののはじめ。
※ 所由(しょゆう)- 基づくところ。物事のよってきたるところ。 ゆえん。


室町以前、詳かに(つまびら)かに得ずして、足利尊氏の時、今川氏駿河に封じ、吾が郷また属す。治民の続き、それ述べるを略すべし。徳川氏に至り、休養生息、業を治め、益(ますます)(たか)し。幾乎三百年、その間代官、則ち長谷川氏父子の若(ごと)く有り。治水を為し遺沢を計り、今尚存す。文学則ち桑原黙斉の若く有り。地志を著し、以って後世に益す。これ皆な郷賢の祀(まつ)るべきものなり。
※ 治民(ちみん)- 人民を治めること。
※ 生息(せいそく)- 生活すること。生存。
※ 幾乎(いくこ)- ほとんど。大方。
※ 遺沢(いたく)- 後世まで残る恩沢。
※ 地志(ちし)- 地誌。ある地域について自然・人文両方面から研究・記述した書物。郷土誌。
※ 郷賢(きょうけん)- 郷土の賢人、偉人。


長谷川氏、諱(いみな)長勝、藤兵衛と称す。置塩真為男、長谷川長親の養う所なり。長親の父長盛、徳川氏に仕え、功有り。東照公、金兜を以って賞し、後代官として駿遠諸邑を管(つかさど)る。初め大草に住み、野田に移り、また島田に転ず。これより子孫職を襲す。
※ 諸邑(しょゆう)- もろもろの村。

明日へ続く。
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