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磨墨伝説の福養の滝を見る

(福養の滝、上の段)

(昨日のつづき)
「縁側カフェ」の砂さんに、元大学教授の御宅のツリーハウスカフェを教えてもらい、茶畑の斜面を横切る道を少し登って立寄った。階段を昇ったツリーハウスに、砂さんの縁側でも顔を合わせた、掛川から来た女性二人が先客でいた。コーヒーはセルフサービスと書かれている。


(ツリーハウスカフェからの景色)

声を聞きつけて、御亭主の小桜元教授が昇ってきた。三年前の静大の講座でお話を聞いて一度来たいと思っていたと話しかけると、皆んな年寄りだから年々少なくなって、今はここを含めて5軒になってしまった。しかも、その内1軒はおばあちゃんが弱くなって休んでいると話す。コーヒーは暖めてあるから、ケーキも今朝自分で焼いたものだから、自由に取って食べるように話して、そそくさと降りて行ってしまった。山村生活のお話でも少し聞けるかと思ったが、残念であった。

帰りに、大間の集落のすぐ上にある「福養の滝」に寄った。県道を3分ほど登ると、閉鎖されている「駿墨庵」の建物の横に、福養の滝の駐車場があり、それより200メートルほど遊歩道を歩いた先に「福養の滝」はあった。


(福養の滝、下の段)

遊歩道の入口に「熊出没注意!」の看板があり、瞬間緊張する。遊歩道の最後で、沢のレベルまで下ったところが滝見の場所であった。高さ100メートルの上から急斜面の岩を這うように水が落ちてくる。良く見ると滝は二段または三段になっているようで、すべてを同時に視界に入れることは出来ないようだ。紅葉にはもうしばらく掛かると思うが、周囲の緑の具合では、紅葉の景色も見てみたいと思った。

案内板によると、昔、この滝に毎年5月5日の午後10時頃、一頭の馬が滝つぼにつかり毛並みを整えていた。この馬は後に米沢家で飼われ、宇治川の先陣を争った駿馬「磨墨(するすみ)」となった。その謂れからこの滝は「お馬が滝」と呼ばれていたが、明治43年、当時の安倍郡長、田沢義輔が郡内踏査に来た折り、岐阜県の養老の滝に似ていることから「福養の滝」と名付けたという。

「宇治川の先陣争い」とは、寿永3年(1184)、木曽義仲と源義経が宇治川で相対したとき、義経方の佐々木高綱と梶原景季が、源頼朝から与えられた名馬、いけずき(池月)対、するすみ(磨墨)で、先陣を争った故事である。

帰りの車で、女房が思い出して笑う。砂さんでツリーハウスカフェではコーヒーとマドレーヌが出ると聞いて、皆んなが聞いているところで「マドレーヌとは何だ」と自分が尋ねたことが滑稽だという。お菓子の名前だとは思ったが、そんなカタカナを言われても解らない。だから聞いたのだが、黙っていれば恥を掻かなくてすむのに、大恥を掻いたのだそうだ。今もって何が大恥だったのか、解らない。

女房は購入したラッキョウ漬と梅干漬がそれぞれ150円だったことにえらく感激していた。自分は、何につけても、浮世離れした雰囲気が心地よかったので、縁側カフェにはもう一度来ても良いかなと思った。帰りに湯ノ島の玄国茶屋でお蕎麦を食べて家路に着いた。
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