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10佐渡地蔵堂、9小野寺、8明光寺 - 駿河百地蔵巡り 6回目

(第10番佐渡地蔵堂)

第12番滝ノ口地蔵の後、本日の地蔵巡りで、唯一、地図上で場所が特定できていない、第11番の細工所地蔵堂に向かう。唯一の手掛かりは、国道上にある「細工所入口」というバス停であった。かつてもの作りをしていた人達が集って、「細工所」と名前が付いた集落があったのだろう。「細工所入口」のバス停は細工所にほど遠くない場所のはずだと思った。

「細工所入口」のバス停は、「金属工業団地入口」に名前が変わっていた。国道から北側一帯が金属工業団地になったのは、もう40年も前の話である。もの作りという意味では、細工所は現代の金属工業団地なのかもしれない。この「金属工業団地入口」のバス停をスタートに、まずは南の丸子の町へ出て、お店の人と目線が合った洋品店に入り、「細工所」という地名があるかどうか聞いてみた。熟年女性の女店主は昔から住んでいるが、そんな地名は聞いたことがないという。

今度は国道より北へ歩き、金属工業団地の先の山の麓の集落まで行き、路傍のおじいさんに聞いてみた。「手児の呼坂」はこの近くだが、と近辺の旧跡や寺社の説明をしてくれたが、肝心の「細工所」は知らないという。辺りを歩き回ったが、諦めて、次の第10番佐渡地蔵堂に向かった。

府中宿から来て、国道から丸子の旧道に入ってすぐの、佐渡公民館の向かいに佐渡地蔵堂があることは知っていたから、迷わずに着いた。お堂脇の日陰で作業員のおじさんが寝ていた。ちょうど昼休みに入ったところのようだ。自分も、向いの公民館のベンチを借りて昼食のむすびを食べた。


(佐渡子授地蔵と無数の小地蔵)

佐渡地蔵堂には「駿河一国百地蔵尊第十番」の板は見当たらなかった。堂内には一体のお地蔵さんを真ん中に、無数の小さなお地蔵さんが並んでいた。案内板によると、佐渡のお地蔵さんは子授地蔵といわれ、子供に恵まれない夫婦が、小さいお地蔵さんを一体借りて帰ってお祀りすれば、子供が授かるという。子供を授かった人は、借りたお地蔵さんを返すとともに、新しい地蔵さんを造ってお礼参りをするという。小さいお地蔵さんの数は、子宝に恵まれた人の数ということである。運悪く子宝に恵まれなかった場合、借りて帰ったお地蔵さんはどうなるのか。案内板は語ってくれない。


(小野寺登山口の身代地蔵菩薩)

第9番小野寺へは、丸子路を外れて南に下り、丸子川を渡り、井尻公民館前を通って、朝鮮岩から満観峰へ登る登山道に入る。登り始めてすぐのところに、番外のお地蔵さんの祠があった。身代地蔵菩薩と染め抜かれた赤い幟が立っている。身代地蔵は人の身代わりになって、様々な禍いを受けてくださるお地蔵さんである。


(小野寺)

小野寺はかなり登ったところにあった。無住のお寺で、境内は雑草で覆われていた。本堂に「駿河一国百地蔵尊第九番」の板が張られていたけれども、本堂の中の様子は判らない。本尊は薬師如来だけれども、地蔵尊も祀られているのであろうか。余り長居したくない雰囲気に、早々に下った。


(明光寺、虫除地蔵堂)

丸子川の土手をしばらく歩き、JR安倍川駅へ向かう途中に、第8番の明光寺がある。境内の左側に赤い屋根の地蔵堂があった。「駿河一国百地蔵尊第八番」の板が地蔵堂に張られている。ここのお地蔵さんは虫除地蔵と呼ばれるが、「虫」は、子供の「疳の虫」である。また子授けにも御利益があるとされ、別名子授地蔵とも言われる。

以上で、本日の予定したコースを終え、安倍川駅から電車に乗った。宿題に残した、第11番細工所地蔵堂は、帰宅後ネットの地図で調べ直していたところ、丸子路の途中にある長田西小学校のすぐ西にあっけなく見つけた。次回の最初に寄ろうと思う。本日の歩数32,587歩、歩行距離は20キロほどで、百地蔵8ヶ所及び番外3ヶ所をめぐった。
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