goo

花まつりの日、仙龍寺で甘茶のお接待

(仙龍寺)

昨日、15キロで我慢したのは、今日の歩きがあるからだった。三角寺を打って、奥の院の仙龍寺に行き、元の遍路道に戻って椿堂を打ち、民宿岡田へ入る、およそ31.4キロが本日歩く予定である。平地ではなく、三角寺への登りをはじめ、登りが何度かありそうで、土砂崩れの工事中の所もあり、未知の不安もあって慎重に時間を取った。

朝、大成荘の女将さんに朝食を早くしてもらい、6時過ぎに宿を出た。途中昨日延命寺で会った熟年女性は今日は仙龍寺へ向かうと聞いた。早く歩けないので、椿堂に宿泊を無理に頼んだという。その女性がすぐ前を歩いていたので、挨拶して抜く。石鎚くんはすでに戸川公園を出発したらしく、片付いていた。

今日のコースは孤独なコースになる覚悟はしていた。三角寺の納経所で道を聞くと、こだわりがなければ車の道を行ったほうが早く行けるという。昔の遍路道が通れないという話はなかった。自分はすでに車道を通ると決めていたので、何キロあるかと聞いた。8.2キロくらいで、2時間掛かるという。

車の道は山塊を避けて等高線に沿って右回りに回って、三角寺の反対側にある、別格13番の仙龍寺に至る。標高480メートルの堀切峠を越せば後は下りである。思ったより早く着いた。崖に沿って清水の舞台のような柱を組み上げて、その上に本堂が建っている。こんなところに寺院をよくも造ったものだと、昔の人の発想にはいつものことながら感心する。周りに村もなく、かつては峠越えの遍路道が唯一の道だった。大工は工具だけを背負ってやってきて、周囲に豊富にあった木を切って加工し、木組みを造って行ったのだと思う。

お寺が出来てからも、峠越えの遍路道が唯一の道で、参詣の人たちは峠を越えてやってきて、一晩泊めてもらい、翌日また同じ遍路道を帰っていくのがお参りのコースであった。これは境内の草取りをしていたおばさんの話である。

その峠のコースの様子がわかった。遭難騒ぎがあったりして、通らないように三角寺で止めていたが、お弁当を食べていたベンチの隣にいたおじさんは今通ってきたが、それほど荒れた様子は感じず、難しくなく通れたという。最近は携帯の発達で、SOSを発信すればすべてが遭難騒ぎになる。それで山道が次々と通行禁止になってゆくのは大変につらい。


(花まつり)

今日はお釈迦様の誕生日だから、甘茶を飲ましてもらえる。これも草取りのおばさんの話である。勤行は本堂に上がって行う。本尊は弘法大師である。納経所の若い坊さんは先に納経帳を寄こすように言う。納経帳に名前が書いてないけれど、というと、覚えて置くから良いという。他の札所の納経所では勤行してくる間に納経印をお願いしても、納経帳は預かれないと断っている場面も見ている。

勤行の後、小さなお釈迦様の誕生仏に甘茶をかけたあとで、ふくよかな娘さんに甘茶を頂いた。甘さの向こうに不思議な苦味がある。子供の頃に近所のお寺でも花まつりがあり、甘茶は飲んでいるはずだけれど、久しぶりで初めて口にする味に感じた。年一回の旧暦の4月8日、仙龍寺に来るまで、今日がその日であったことは全く気にもしていなかった。懐かしい経験であった。

戻りはダム湖に沿った道を歩き、少し登って長いトンネルを抜けて、半田休憩所のところで、通常の遍路道に戻った。午後は暑い日差しの中、きびしい歩きとなった。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )