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石鎚くんは漫画家だった

(五葉松食堂のシンボルツリーの五葉松)

今日は伊予三島の旅館大成荘まで16、7キロ歩くだけで、ゆっくり4時間で着いてしまう。だから五葉松の女将さんには朝食は8時で良いと話した。日曜日だから遅いほうがうれしいとの返事だった。それでも、身体が早起きに慣れて6時半には起きだした。荷物の整理をして、7時半には食堂へ下りた。朝食はすぐに準備してくれた。

食事をしながら女将さんと話す。部屋は三つ、自分が面倒見れるだけの限度である。ほとんどが歩き遍路で、一日20キロほどで刻んでいる方がほとんどで、たくさん歩ける人は素通りしていく。お遍路以外で車でくる客には、こんな家庭料理しか出せない宿ではなくて、立派な宿を紹介して、そちらへ行くように紹介している。ご亭主が勤めて稼いでくれているので、そんなに頑張らなくて良い。

色々な話についつい時間がたち、9時前になってようやく話を終えて出発した。はたして今日はこんな時間に出て、ブログに書くような出会いがあるのだろうか。しばらく国道を歩き、遍路道と交差するところで遍路道に入った。前方を行く青年の後姿に、一昨々日、コンビニの前で石鎚へ登るといっていた青年ではないかと思った。気になっていて、横峰寺の納経所でもそんな青年がいなかったかどうか、聞いてみたりした。あだ名はストレートに「石鎚くん」と決めていたが、再会でもしない限り、あだ名が生きることはないと思っていた。


(石鎚くんと話した延命寺境内)

金剛杖とストックを両手に持ち、ノルディックスタイルで歩いている。これがけっこう早くてなかなか追いつけない。別格第12番延命寺の少し手前で追い付いた。やはり、石鎚くんだった。次の延命寺に立ち寄るというので話しながら歩いた。

石鎚くんはやはり横峰寺で石鎚への登山を止められ、その足で下山した。翌日は雨で下のお寺を打ちながら西条へ向かった。西条の駅前で危ぶみながら野営していたら、案の定、お巡りさんに不審者と思われ職務質問を受けた。事情を話すと気をつけるように言われ、認めてもらえた。翌日は天気が回復し、バスでロープウェイ駅まで行き、ロープウェイに乗って、山頂まで登った。天気が良くて、2000メートルにも満たない山でこんなすばらしい山があるとは知らなかった。一部に雲海が見えてそれも良かった。生まれは鳥取で、高校では山岳部で、大山には何度も登ったのだが。

延命寺で休憩しながら、話は続いた。野宿は話す相手が居ないから、饒舌になるらしい。お近づきになれたからと、特製名刺を渡した。石鎚くんも名刺をくれて、売れない漫画家ですという。名刺にはペンネームで「つか ねじろう」とあった。時々商業誌に出るくらいで、漫画では食っていけないので、映像関係の仕事を手伝っている。

元々家は神道で、お遍路には縁がなかった。ある時、ゴルゴ13の「さいとうたかお」は仕事の前に筆で棒一を書き、精神統一をはかると聞いて、自分は手元に般若心経の本があったので、写経をすることにした。また、仕事が不安定な自分のことを一番心配してくれた伯母さんが最近倒れて、意識のない状態が続いており、おばさんはお遍路に何度も行き、道具などもあったので、病気平癒を祈ってお遍路へ出ることにしたのである。

仕事の電話がそろそろ入るようになってきたので、この後は大特急で結願して、高野山に行き、鳥取まで帰って伯母さんを見舞い、東京に戻らねばならない。

期待して注目しているから頑張るように言い、石鎚くんとはそこで別れたが、今夜は三角寺登り口の戸川公園の休憩所で野営すると言っていたから、明日早ければ三角寺の近辺で会えるかも知れない。
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