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ドールハウスと小川国夫-藤枝市郷土博物館・文学館

(ドールハウスと小川国夫展看板)

午後、女房の友達が来ると言うので、積る話もあるだろうと、邪魔にならないように家を空けることにした。先日、女房が、小学校の恩師を混じえて、蓮華寺池公園のそばの藤枝市郷土博物館及び文学館に行って、恩師も懐かしがって喜んでくれたと話した。現在、郷土博物館では企画展「ドールハウスでみる懐かしの風景」と、文学館ではこれも企画展で「小川国夫の書斎-作家のしごと」を催していることは知っていた。26日までの期間中に、見て置きたいと思っていた。強烈な暑さの中であったが、一人で車で出かけた。

「ドールハウス‥‥」は一昔前、自分たちが子供だった頃の建物や町や村をミニチュアに作り上げたジオラマであった。細部にまでこだわって作りこんだ昭和の町には見飽きないものがあった。商店には商品が店いっぱいに並んでいる。パチンコ屋の天井には蛍光灯が灯っている。こういう専門の小道具があるのだろうか。銭湯のテレビの小さな画面は時々変わり、みつわ石鹸のコマーシャルなど、昔のテレビの音声が小さく流れている。

我々の世代は、昭和の建物や内装、調度品などを見て懐かしいと感じるが、平成の子供たちは50年後に、彼らが育った現代の町並みを懐かしいと思えるのであろうか。そう思わせるほどに、未来の町並みは変わってしまうのであろうか。考えてもせん無きことながら、ついつい考えてしまう。

「小川国夫‥‥」実は小川国夫の本は一冊も読んでいない。故郷が生んだ作家だとは昔から知っており、図書館から何度か借りた記憶はあるが、結局一冊も読まなかった。なぜかと聞かれれば、縁が無かったとぐらいしか言えない。

展示の原稿を見ると、何度も何度も推敲し、書き直し、苦労して書いた作家で、決して天賦の才があるわけではなく、日々の努力を続けてなった作家だと思った。書斎が再現された区画の中でビデオを見た。小川国夫の文学散歩というような名前の、20分ほどのビデオであった。最晩年の小川国夫が、藤枝市内を散歩する姿が映っていた。蓮華寺池公園、長楽寺などを散歩しながら、自分の人生、文学などについて話していた。

作家は自分の目や耳で見聞きした時代しか書けないし、またその時代を書くことが作家の責任でもある。自分の場合は祖母から聞いてきた江戸時代の終わり頃から、自分が死ぬまでの百数十年がその時代に当たる。自分は藤枝の長楽寺で生まれて、今また長楽寺に戻って来て作家生活を送っている。こんな作家は珍しいのではないだろうか。そんな言葉が印象に残った。(続く)
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