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菅政権、“死に体” で延命

(雨に濡れるビオラ)

午後、菅内閣の不信任案が衆議院で裁決されると聞いて、テレビの前で釘付けになった。

過去、内閣不信任案が可決された例は、平成4年まで遡ることになる。宮沢内閣で、自民党内に造反議員が出て、可決された。宮沢首相はテレビで今国会中に選挙制度改革を行うことを言明しながら、党内がまとめられずに実施できなかった。それを咎めて、野党から出された内閣不信任案であった。その後の解散を、マスコミは「うそつき解散」と呼んだ。造反したのは、当時、自民党の第5派閥であった羽田派で、小澤一郎氏は羽田派の有力者であった。総選挙になって、造反した羽田派は自民党を離党して新生党を結成することになる。小澤一郎氏が自民党と決別したのはこの時であった。

今回も、小澤一郎氏の動向が内閣不信任案可否の最重要ポイントだと思った。昨日までの様子では、造反、離党、新党結成と、歴史が繰り返されるのかもしれないと、興味津々であった。

風向きが変わったと思ったのは、本会議前に開かれた民主党の代議士会であった。菅総理が、震災対策に目処が付いたところで、政権を若い人たちに譲るとの意向を明らかにした。菅総理の話している画像にテロップが流れて、「菅総理が辞任の意向」と出た。そのテロップと菅総理の話に少しギャップがあると思った。菅総理は慎重に言葉を選びながら、どこにも辞任という言葉を使っていない。ところが、その後に内閣不信任案に賛成票を投じると言明していた、鳩山由紀夫氏をはじめとする有力議員が、前言を翻し、反対票を投じると話し、党を分裂させて自民党政権に戻してはならないと発言した。これは何なのだと思った。

どうやら、鳩山氏が菅総理と話し、本人から辞任の意向を聞き、矛を収めるように各派に根回しをしたのだろうと思った。内閣不信任案の可決は何とか回避出来たようだと思った。

本会議上で、内閣不信任案の趣旨説明、賛成演説が続いたが、よくもこれだけ自国の総理を悪しざまに言えるものだと思うほどの内容で、聞いているだけでも辛くなる。しかし、それらが事実らしいからもっと辛い。反対演説の民主党議員もこの時期に政治の停滞を起してはならないの一点張りであった。

裁決になって。久し振りに堂々巡りを見た。一人ずつ白票(賛成)、青票(反対)の木札を渡して行く。投票に応じて票数がテレビ画面にカウントされて、青票が225票を越えたところで、内閣不信任案否決のテロップが流れた。

カメラが内閣不信任案に賛成を言明していた民主党議員を追う。ほとんどが青票を入れる中で、離党を言明している横粂議員と、小澤一郎の側近といわれる松木議員だけが白票を投じた。特に松木議員の席には、同僚議員が次々に来て説得している様子をカメラが捕えていた。しかし、松木議員は筋を通した。

民主党の茶番といわれるドタバタ劇の中で、二階に上げられ、梯子を外されたにも関わらず、自らの信念を貫いた松木議員だけが、一人光って見えた。

堂々巡りの中で、渋滞を引き起こしながら、同僚議員に両腕を抱えられて行く羽田孜氏の姿を久し振りに見た。20年前に宮沢内閣不信任案に造反して賛成し、その後離党、翌年には短期間であったが総理大臣にもなった。既に次の選挙では不出馬を言明して、引退が決まっている。

この茶番には、どうやら第二幕があるようだ。
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