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家田荘子さんのつなぎ遍路

(岩屋寺に至る快適な尾根道)

家田荘子著「四国八十八カ所つなぎ遍路」の本を、20日ほど前に購入し、少しだけ紹介した。昨日ようやく読み終えた。読みながら感じていたことは、お遍路の廻り方、感じ方が自分とは全く違うと言うことである。

その違いを書く前に、彼女の誤解に言及しておきたい。彼女の本に出てくる「オヤジ歩き遍路」は、おおむね、群れてお喋りでガヤガヤと楽しみながら回っているというイメージで描かれている。しかし、我々オヤジも歩き遍路では9割以上一人歩きのお遍路である。お寺で群れて見えるのは、一人歩きのお遍路同士がたまたま出会って情報交換をしていると言うのが正しいと思う。著者はオヤジ歩き遍路との接触をその猥雑さゆえに避けていて、その辺りの状況に誤解があるのではないかと思った。

遊び半分ではとても歩き遍路は出来ない。リラックスしているようでも、その中にまなじりを決している部分があることを、オヤジ歩き遍路のために弁護しておきたい。地元ではエロオヤジでも四国まで来てエロさを引きずっているオヤジ歩き遍路はいない。

さて、彼女のお遍路が自分とは全く違っていると思ったのは、まず、その足の早さであろう。時速5kmで歩いて8時間で40km歩いてしまう。自分の場合は平均時速はせいぜい4kmである。8時間で32km、この違いは大きい。毎月3日歩いて12ヶ月つないで1年で結願してしまう。つまり36日で1番霊山寺から高野山まで終えてしまうのだから、そのスピードには脱帽である。

次に旧遍路道の山道を過度に恐れて、余程でないと歩かない点である。何キロ余分に歩くことになろうとも、舗装道路を歩く。山道にはけものや蛇などいないわけではないが、遭遇することはめったにない。著者はまるで魑魅魍魎でもいるように恐れている。山道を選んで歩いていた自分とは真逆である。彼女には山歩きの楽しさは理解できないようだ。

三番目に、大変感受性が強いというか、鈍感な我々オヤジ歩き遍路と違って、いたるところから霊気を感じてしまう。さぞや賑やかなことだろうと同情するが、自分にその気持は全く理解できない。

四番目に寺々にある仁王像や大師像などに、まるで生きた男性を見るような目を向けている。これもオヤジ歩き遍路には理解到底不能である。

五番目に月初めの3日のお遍路に、まったくよく雨に降られて、大変なお遍路になっている。天候の過酷さをわざわざ求めてお遍路をしているように見える。自分は春と秋、天候の安定しているときに歩いたから、雨に降られた日は数日しかなかった。

違いはあるけれども、四国の皆さんのお遍路さんに対する優しいまなざしは、著者同様、自分も十分に感じてきた。
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