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地区の神社の拝賀式

(庭の初雪)

新年明けて、朝7時15分、起きると外は雪が芝生の上にうっすらと積もり、雪が舞っていた。元旦の雪など何年ぶりであろう。息子が写真を取らなくていいのかと気にする。第二東名ランプウェイの北側、地区の神社に8時集合で、息子に車で送ってもらった。外気温は車の表示で0℃、フロントガラスの雪が風で吹き飛ぶほどの冷え込みだった。


(雪の中、焚き火を囲う)

宮当番の我が隣保班の人たちはすでに準備を始めていたが、準備と言ってもほとんど何もすることが無い。雪の舞い落ちる吹きさらしの境内で9時の拝賀式開始まで待たねばならなかった。風が避けられるだけ良いからと、火の気の無い帳屋の中に入ってみたり、暮の掃除に残して置いた木の枝をドラム缶で燃やしている所へ行ってみたり、どこへ行っても寒いことに変わりが無い。

いつの間にか100人近い人が集まって、9時より自分の司会で拝賀式が始まった。やしろ前で、宮総代の先導で二礼二拍手一礼で拝礼し、宮総代の挨拶があった。その頃が最も雪の降り方が厳しく、礼儀として帽子と外套を取った自分にはひとしお寒くて、そのあとの司会の言葉も凍るような気がした。

15分ほどの拝賀式も終わり、お祝いのお酒が振舞われた。ようやく、ドラム缶の焚き火が安定して、輻射熱が暖かくなっていた。雪混じりの北風の中でも、焚き火のそばは温かい。日本モンキーセンターで台湾猿の猿山で冬に焚き火をしたところ、火を恐れるはずの台湾猿が集まってきて、暖を取るようになった。その後、焚き火が真冬の恒例行事になった。猿は焚き火の後の焼き芋も楽しみに待っているという。そんなテレビ報道を暮れに見たのを思い出す。皆んなで焚き火は暖かくて良いと言い合ったが、ほどなく水をかけて解散しなければならなかった。

元旦から、女房とかなくんのママの女衆が体調をくずし休んでいたので、昼は天ぷらうどんを作り、夕方には寒風の中、ムサシの散歩に付き合った。犬は寒さに強いはずが、過保護のムサシは寒風に負けるようで、最初こそ元気がよかったけれども、寒風が向い風になると、歩きが鈍り立ち止まってしまった。何とか自宅へ誘導してやると、どんどん家に向かって帰り始めた。最後の50メートルはムサシのダッシュに引きずられるように走った。

年賀状が86通来た。その内、お遍路関係では、富津市のTさん御夫妻と、久万高原の遍路宿桃李庵の庵主 久万五郎さんの2通来ていた。Tさんの写真に写っている猫背の姿は、もしかして自分かと思った。お遍路をしている自分の姿を取った写真は全く無いから妙な感じである。桃李庵の主人は「久万五郎」ということを初めて知った。実名なら出来過ぎの感があり、ひょっとして芸名?なのだろうか。
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