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久し振りに木枯し紋次郎を観る

(今年も庭のユリオプス・デージー花盛り)

夜、木枯し紋次郎が久し振りに放映された。といっても江口洋介主演という新しいものである。興味を引かれて観た。

木枯し紋次郎がテレビに登場したのは1972年で、中村敦夫主演、長い楊枝をくわえた股旅姿で、上條恒彦の「だれかが風の中で」の歌とともに登場する。どんな非道を聞いても「あっしには関わりのないことで」と関わりを絶ちながら、結局は事態に巻き込まれ、悪と戦うことになる、その非条理さが新鮮であった。

多勢に対して一人立ち向かうが、剣術を修行したわけではない、必要に迫られて覚えた喧嘩殺法で、逃げ回りながら戦うさまは決してかっこう良くない。最後にヒューと吹き放った楊枝が刺さった先に、紋次郎の思いを残して、また旅立っていく。

最初に放映された1972年(昭和47年)と言えば、結婚したばかりの頃で、世の中では2月に連合赤軍による「あさま山荘事件」が起きて、安保闘争で始まった一連の左翼運動が終焉を迎えた。一方、ベトナム戦争は末期的状況となり、翌年アメリカ軍撤退、1975年のサイゴン陥落、南ベトナム崩壊へと続いていく。

そんな時代、若い人たちの風潮は、色々なことに関わりを持ちたくない、無関心世代が出来つつあり、木枯し紋次郎の言葉はそんな世の中の風潮を象徴していたような気がする。「あっしには関わりがねぇこって」が流行語となった。

そんな背景のもと、江口洋介主演の木枯し紋次郎を観た第一印象は、ハンサム過ぎると思った。木枯し紋次郎は旅から旅への流れ者で、破れ汚れて野良犬のような風体をかなりリアルに表現している。その点、ハンサムとはいえない中村敦夫は当たり役であった。その印象が残っているから、そんな風に思ったのかもしれない。

紋次郎が劇中で母親に、なぜ見ず知らずの自分たちを助けたのかと理由を聞かれて、間引かれかけたときに姉の機転で命を頂いたと、自分の身の上話をぺらぺら話す場面がある。話の筋から言えば納得しやすいけれども、本来の紋次郎は助けた理由を聞かれれば「ほんの気まぐれでござんす」と答えたのではなかったか。それでこそ、非条理紋次郎であろう。

立ち回りも何度もあったが、江口紋次郎は凄腕過ぎる。どこかで剣術修行をしたのではないかと思ってしまう。中村紋次郎はもっと走り回り身体ごとぶつかるような立ち回りだった。叩き切るような剣に冴えなどなかったと思う。

ところで、居酒屋のシーンで「紋次郎はお前らの手に負えない」と言った酔っ払いの爺さんを中村敦夫が演じていた。突っかかる男を一蹴するところは小気味良かった。中村敦夫だ気がつかなくて、後で配役の中に名前を見つけて、あの爺さん役かと納得した。昔のファンに対する製作側のサービスであろう。
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