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駿府のお堀に焼津八丁櫓

(お堀に浮かぶ焼津八丁櫓「たちばな」)

静岡の駿府公園で大御所四百年祭のイベントがあると聞いて、静岡に出かけた。どんなイベントかも知らずに、新聞に載っていたお堀に浮かぶ焼津八丁櫓にひかれて出て来たのである。静岡のエキパやバルシェの駐車場は満車であった。多分どこも混んでいるだろう。女房の発案でグランシップに駐車し、東静岡駅から電車で戻ってくることにした。グランシップでは大きなイベントも無く、駐車場はガラ空きで大正解だった。

八丁櫓は巽櫓(たつみやぐら)直下の堀に一艘、船名が「たける」、東御門の向うの堀にもう一艘、船名が「たちばな」の都合二艘が繋留されていた。おそらくお堀に浮かべるまでに相当な重機の力が要ったと思う。

案内板によれば、江戸時代、鷹狩が好きだった駿府城の徳川家康公は、鷹狩に出かけるため、久能海岸から焼津の城之腰海岸まで船で渡る折りに、焼津の漁船をかり出し警備に付けていた。当時は漁船の櫓は7本までとされ、8本の櫓は軍船に転用を恐れて禁止されていた。家康公の乗った軍船に、櫓の少ない警備の漁船が追いつかないため、以降、焼津の漁船に限り八丁の櫓が許される事になった。これが焼津の八丁櫓の由来である。現在、文化の継承のために、現存する設計図と縮尺模型を元に焼津八丁櫓が二艘復原され、NPO法人「焼津八丁櫓まちづくりの会」の手で八丁櫓を使った研修や様々なイベントへの参加などの活動がなされているという。


(焼津八丁櫓「たける」)

「お堀に浮かんだ八丁櫓」、これは江戸時代でも絶対ありえなかった風景である。大小3本の帆を張り、漁船らしく大漁旗を掲げ、左右に4本づつ櫓をつける柱が出ている。竣工1998年6月、総トン数4.7トン、全長12.95メートル、全幅2.53メートル、喫水船首0.45メートル、船尾0.15メートル。

この話で気付いたことがある。家康はよく藤枝や焼津に出かけている。その最期も、田中城で出された鯛の天麩羅に当たったとか、最近テレビで見たのは焼津で鉄砲に撃たれて落馬したとか、諸説ある。何となくその度に駕籠で宇津谷峠を越えたように思っていたが、考えてみれば峠越えは厳しいし剣呑である。久能から焼津に船で行ったと考えれば、度々出かけても可能だと思った。自分の発想の中では盲点だった。
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