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健脚なヒゲと峠小屋ノート

(白髪混じりのヒゲさんと)

中山道歩きの1日目、薮原宿で予約した勇屋旅館に入る。部屋に案内する途中に、「ここがお風呂です」と案内されたところから、白髪混じりのヒゲが顔を出した。一風呂浴びた浴衣姿である。このヒゲさんがこの宿に同宿の唯一の客だった。多分、我々が予約した後電話をして、ついでだからと一人でも受け入れてもらえたのだろう。ヒゲさんの予約が先だったら、我々の予約電話にもっとスムースな返事があっただろうから。

翌朝、ヒゲさんは我々よりも早く宿を発って行った。女房が洗面所で得た情報では、我々の倍以上のスピードで中山道を歩いているようだ。塩尻から歩いて奈良井宿の手前、無人駅だと言ったから、多分贄川駅まで歩いて、宿を薮原に予約し、ここまで電車で来た。今朝は贄川駅まで戻って続きを歩くのだという。奥さんは、いいとこ取りで、時々同行するらしい。もっとも一緒に来ても、この健脚にはなかなか付いて行けないであろう。

鳥居峠を登って、峠の小屋でヒゲさんにばったり会った。女房が声を掛けると間違いなかった。少し早く出たとはいえ、贄川宿、木曽平沢、奈良井宿を通り鳥居峠まで、10kmはあろうか。山の登りを考えると大変な健脚であった。同じ中山道を反対に歩いているから、出会っても不思議はないが、ちょっと道草でもしていれば、すれ違う可能性も高かった。女房と写真に入っていただいた。このあと、薮原宿、宮ノ越宿、福島宿と進め、上松宿まで歩くと話して峠を下って行った。上松宿までなら峠から26kmある。

見送ったあと、手洗いを済ませる女房を待つ間、峠の小屋具え付けのノートを手に取った。もしかして勅使河原さんが書いていないかと微かな期待もあった。ぱっと開いたところに「兵庫県豊岡市」の文字があった。故郷の住所にびっくりして中を読んだ。

去年7月、57歳の男性、「早水好春」氏が一人で奈良井宿から薮原宿に峠越えしている。32年前、友と歩いた思い出に、もう一度行こうと約束していた。その友が一年前に亡くなった。若い頃の思い出を懐かしみ、友を偲びつつ、一歩一歩踏みしめながら歩いていると書かれていた。

名前を見ると坊さんのような名前で、おそらく長年、坊主と先生を兼務して来た人なのだろう。先生を退職して歩きに出てきた。そんな勝手なプロファイリングをしてみた。故郷のお盆は8月である。自分より二つ下くらいなら、故郷のどこかで接近していたかもしれない。
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