プログラム後半はドイツリートからスタートです。まずシューベルトの「君はわが憩い Du bist die Ruh」。シューベルトらしい静謐さと清澄さに満ちた長い曲です。
Du bist die Ruh,der Friede mild, 君はわが憩い、穏やかな安息
die Sehnsucht du,und was sie stillt. 君は憧れ、そして憧れを鎮めるもの。
Ich weihe dir voll Lust und Schmerz 僕は喜びと痛みに満ちて
zur Wohnung hier mein Aug und Herz. この目と心を住処として君に捧げよう。
Kehr ein bei mir,und schließe du 僕のもとにおいで、
still hinter dir die Pforten zu. 後ろの扉を静に閉めて。
Treib andern Schmerz aus dieser Brust. よけいな痛みをこの胸から追い払い、
Voll sei dies Herz von deiner Lust. この心を君の喜びで満たしておくれ。
Dies Augenzelt,von deinem Glanz この瞳は、君の輝きだけで照らされている、
allein erhellt,o füll es ganz. おお、その光をいっぱいに満たしておくれ。
リュッケルトの詩をテキストにしています。今回、図らずもシューベルトの歌曲は2曲ともリュッケルトの詩のものを選んでいて、後で気が付いてちょっと不思議な気持ちになりました。
この詩はヤンブスと呼ばれる韻律で書かれています。朗読すると弱・強・弱・強のパターンです。脚韻は平行韻、つまり2行一組で押韻していますね。よく見ると、各行に4音節目で軽い区切れがありますが、その4音節目も2行一組で押韻しています。典型的な民謡詩節です。愛する人のことを「憩い」「安息」「憧れ」「憧れを鎮めるもの」と呼んでいますが、憧れというのはロマン派文学では特別な概念で、シュレーゲルが「到達し得ぬものへの無限の接近」と定義しています。つまり、どうしても手に入れたいのだけれど、決して手に入れることのできないものに対する渇望なんですね。とても切実な、穏やかならざる感情なわけで、「憩い」や「安息」とはほど遠いはずなんです。然るにリュッケルトは相手のことを、どんなに望んでも決して合一できない存在でありつつ、同時にその渇望を鎮めてくれる存在でもある、と言っています。このアンビヴァレントな感情を「喜びと痛みに満ちて」と表現しているのですね。そして、自分の目と心には君しか入らない、だから僕の心の中に住んでほしい、君の喜び、君の輝きでこの心と目を満たしてほしいと懇願します。ここは比喩的な表現で、わざわざ「来ておくれ」なんて言わなくても、この人の心は既に彼女のことでいっぱいだし、目に入るものすべてに彼女の面影を見ているのでしょうが、そう呼びかけずにはいられないほど、彼女との合一への欲求が極まっているのでしょう。合一と言っても、この場合は精神的というか、霊的な合一ですね。肉体の次元を超えている感じがします。この不器用さ、純粋さ。私はこれが大好きなんです(笑)。
さて、シューベルトの付曲がまた世にも美しく、神聖な感じさえ漂わせています。伴奏部も歌唱部も非常にシンプルで淡々としているのですが、最終連に至って秘めた情熱が極まるところは圧巻です。しかし、これを歌うのはきわめて難しい。この静謐さをこわさないように、クライマックスまで持ちこたえないといけないし、最高潮に達しても絶叫して破綻しては台無しですから、あくまで抑制的に歌わないといけなません。ひとつ間違うととっても退屈な歌になってしまう、恐ろしい曲でもあります。体力も相当要ります。だから休憩の後の最初に歌うことにしました(笑)。この曲の魅力が伝わればと願っています。
Du bist die Ruh,der Friede mild, 君はわが憩い、穏やかな安息
die Sehnsucht du,und was sie stillt. 君は憧れ、そして憧れを鎮めるもの。
Ich weihe dir voll Lust und Schmerz 僕は喜びと痛みに満ちて
zur Wohnung hier mein Aug und Herz. この目と心を住処として君に捧げよう。
Kehr ein bei mir,und schließe du 僕のもとにおいで、
still hinter dir die Pforten zu. 後ろの扉を静に閉めて。
Treib andern Schmerz aus dieser Brust. よけいな痛みをこの胸から追い払い、
Voll sei dies Herz von deiner Lust. この心を君の喜びで満たしておくれ。
Dies Augenzelt,von deinem Glanz この瞳は、君の輝きだけで照らされている、
allein erhellt,o füll es ganz. おお、その光をいっぱいに満たしておくれ。
リュッケルトの詩をテキストにしています。今回、図らずもシューベルトの歌曲は2曲ともリュッケルトの詩のものを選んでいて、後で気が付いてちょっと不思議な気持ちになりました。
この詩はヤンブスと呼ばれる韻律で書かれています。朗読すると弱・強・弱・強のパターンです。脚韻は平行韻、つまり2行一組で押韻していますね。よく見ると、各行に4音節目で軽い区切れがありますが、その4音節目も2行一組で押韻しています。典型的な民謡詩節です。愛する人のことを「憩い」「安息」「憧れ」「憧れを鎮めるもの」と呼んでいますが、憧れというのはロマン派文学では特別な概念で、シュレーゲルが「到達し得ぬものへの無限の接近」と定義しています。つまり、どうしても手に入れたいのだけれど、決して手に入れることのできないものに対する渇望なんですね。とても切実な、穏やかならざる感情なわけで、「憩い」や「安息」とはほど遠いはずなんです。然るにリュッケルトは相手のことを、どんなに望んでも決して合一できない存在でありつつ、同時にその渇望を鎮めてくれる存在でもある、と言っています。このアンビヴァレントな感情を「喜びと痛みに満ちて」と表現しているのですね。そして、自分の目と心には君しか入らない、だから僕の心の中に住んでほしい、君の喜び、君の輝きでこの心と目を満たしてほしいと懇願します。ここは比喩的な表現で、わざわざ「来ておくれ」なんて言わなくても、この人の心は既に彼女のことでいっぱいだし、目に入るものすべてに彼女の面影を見ているのでしょうが、そう呼びかけずにはいられないほど、彼女との合一への欲求が極まっているのでしょう。合一と言っても、この場合は精神的というか、霊的な合一ですね。肉体の次元を超えている感じがします。この不器用さ、純粋さ。私はこれが大好きなんです(笑)。
さて、シューベルトの付曲がまた世にも美しく、神聖な感じさえ漂わせています。伴奏部も歌唱部も非常にシンプルで淡々としているのですが、最終連に至って秘めた情熱が極まるところは圧巻です。しかし、これを歌うのはきわめて難しい。この静謐さをこわさないように、クライマックスまで持ちこたえないといけないし、最高潮に達しても絶叫して破綻しては台無しですから、あくまで抑制的に歌わないといけなません。ひとつ間違うととっても退屈な歌になってしまう、恐ろしい曲でもあります。体力も相当要ります。だから休憩の後の最初に歌うことにしました(笑)。この曲の魅力が伝わればと願っています。
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