久しぶりに出社し、同期とお昼を楽しみました。
お盆の話を色々としていると、同期がのりぞうに尋ねました。
「のりぞう、宗教は何?」
うちは父方も母方も浄土真宗です。
「のりぞうは?」
のりぞうはクリスチャン志望です。
まだクリスチャンではありません。
もっとも九月にはとうとう洗礼を受ける予定。
「いいの?墓参りとか迎え盆とか送り盆とか。」
いいのです。確かにのりぞうはクリスチャン(志望)。
でも、のりぞうがお墓参りをしないことで
おじじ様やおばばさまや父上や母上を
悲しませてはいけないと思うのです。
たとえ宗教が違っても、ご先祖様を敬う気持ちは
のりぞうの中に確かにあります。
で、あれば、お墓参りをして
お墓を綺麗に掃除し、ご挨拶するのは当然のことです。
キリスト教を「信じる」気持ちと
ご先祖様を「敬う」気持ちは喧嘩することなく同居しており、
のりぞうの中に矛盾はありません。
そもそも、こういったことにこだわりを持ちすぎて
周囲の人と争ったり、周囲の人を悲しませたりすることのほうが
どこか間違っているような気がするのです。
もっとも、こういう考え方は「ずるい」のかもしれません。
節操がなさすぎるのかもしれません。
けれども宗教との関わり方は人それぞれ。
日本人として、日本の伝統も大切にしたい。
心の拠り所として、キリスト教も大切にしたい。
この先、少しずつ考えは変わって行くかもしれませんが
今はそう思っています。
お盆の話を色々としていると、同期がのりぞうに尋ねました。
「のりぞう、宗教は何?」
うちは父方も母方も浄土真宗です。
「のりぞうは?」
のりぞうはクリスチャン志望です。
まだクリスチャンではありません。
もっとも九月にはとうとう洗礼を受ける予定。
「いいの?墓参りとか迎え盆とか送り盆とか。」
いいのです。確かにのりぞうはクリスチャン(志望)。
でも、のりぞうがお墓参りをしないことで
おじじ様やおばばさまや父上や母上を
悲しませてはいけないと思うのです。
たとえ宗教が違っても、ご先祖様を敬う気持ちは
のりぞうの中に確かにあります。
で、あれば、お墓参りをして
お墓を綺麗に掃除し、ご挨拶するのは当然のことです。
キリスト教を「信じる」気持ちと
ご先祖様を「敬う」気持ちは喧嘩することなく同居しており、
のりぞうの中に矛盾はありません。
そもそも、こういったことにこだわりを持ちすぎて
周囲の人と争ったり、周囲の人を悲しませたりすることのほうが
どこか間違っているような気がするのです。
もっとも、こういう考え方は「ずるい」のかもしれません。
節操がなさすぎるのかもしれません。
けれども宗教との関わり方は人それぞれ。
日本人として、日本の伝統も大切にしたい。
心の拠り所として、キリスト教も大切にしたい。
この先、少しずつ考えは変わって行くかもしれませんが
今はそう思っています。