のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

木の葉聖書/阪田寛夫

2011年05月17日 22時41分35秒 | 備忘録
「おなかのへるうた」や「さっちゃん」の童謡が有名な詩人、阪田寛夫さん。
彼のすべての詩が収録された詩集が刊行されたというニュースと共に
「木の葉聖書」という詩が今朝の新聞に掲載されていました。

あまりに素敵な詩だったので、自分用のメモとして記録。
詩集もぜひぜひ本棚に並べたい。

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神さん
なんでおれひとり
いじめられてばっかり
おらんならんのか
と、悲しむ者は
しあわせや
木の葉が一枚
おまえの肩にとまっても
泣くほどうれしく
なるやろが
ほんまにわしは
きみらに告げる
わし一枚が
風に吹かれて落ちるのも
じぶんかってに
ひらひらするのやないわいな
とこ
とんやれな

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読みながらまさしく聖書だな、と思いました。
言葉を大切にする詩人という生き方ってすごい。
こんなにも分かりやすい言葉で聖書の世界観を再構築できるなんて。

読み返すうちに、ドラマ「セクシーボイスアンドロボ」で
浅丘ルリ子さんが演じた謎の夫人の科白を思い出しました。

「そうよ。あなたのせいよ。
 だってあなた一人で生きているんじゃないもの。
 この世界にあなたは関わっているの。
 どうしようもなく関わっているのよ。」

時代の転換期の社会福祉(県立大福祉学会メモ)

2011年02月20日 23時18分56秒 | 備忘録
講演会聴講のため、久方ぶりに母校を訪れました。
実に10年ぶり。
10年の間に母校は学部が増え、生徒数も増え、
大学の建物も倍以上に増え、と取り巻く環境が大きく様変わりしており。
その一方で、大学周辺の地域は個人商店が次々と姿を消し
更地が増え、在学時より一層空の広い地域となっていました。
10年て本当に大きいんだな、ということを肌で実感できた一日。

そんな中、お世話になっていたパンやさんはまだ営業していて
私のこともすぐに分かってくださいました。
いろんなお店がなくなっていた商店街の中で
今も変わらず営業していたことも大きな喜びでしたが
お店の奥さんが私を「思い出してくれた」のではなく
「分かってくれた」っていうのが本当に本当にうれしかったなー。

以下、講演会を聞いて。
自分の頭を整理するためのメモです。

講演タイトル:今、ソーシャルワーカーに求められる使命
講演者:ルーテル学院大 西原教授

・ある児童養護施設のスーパーバイザをしていた際、
 施設内の雰囲気に問題があること、施設を「家庭」ではなく
 「軍隊」のような雰囲気にしている職員がいること、
 その職員は児童と適切に関われていないことを意見書にまとめて提出した。
・施設長は、意見書を確認後、自分でもそれらの事実を認めて
 職員の配置転換を実行した。
・配置転換をされた職員は「不当な配置転換」だとして裁判に。
・第一審は敗訴。
 敗訴理由は「児童養護施設の職員に対して、高度な理念や技能、役割を
 求めるような制度はどこにもない。現時点では、役割として求められている
 ことがきちんと明文化されていない。それなのに、求められている役割が
 果たせていない、という理由で配置転換を行うことは不当である。」
・上告。
 最高裁では逆転勝訴。
 勝訴理由は「書類や制度で定められていはいないが、世界の流れから
 見ても、児童に関わる者は専門的な役割を求められてしかるべきである。
 よって今回の配置転換は不当としない。」

・もし、上告していなかったらどうなっていたのか。
 何をするにしても、理念を持って、思いをもって行動する必要がある。
 自分たちが大切にするもの、「求めるもの」を明確にして行動するべき。

・グループケアホームや児童養護施設の職員は、仕事内容は「お母さん」
 とほぼ同じであり、現時点では専門性が認められないため、給料も非常に低い。
・しかし、児童や入所者を支配しようと思えばできる仕事である。
・だからこそ、専門性が求められる。はず。
・しかし、今はまだ専門性のないまま、仕事をしている人が多い。
・きちんとした制度が必要な分野である。
 特に人の配置に関しては根本的な制度が必要。

・ソーシャルワーカーに求められること
 ⇒1を聞いて10を知ることではない。
 ⇒当事者に10を話してもらうことである。
 ⇒当事者の話す量がワーカーより多くなくてはならない。

・利用者の一番身近にいる人(職員)がレベルアップしなければ、
 利用者に質の良い暮らしは提供できない。
 ⇒つまり、利用者の一番身近にいる人は、利用者の権利侵害を
 行う可能性は大きい。

・福祉は感情労働である。
・感情労働とは「人格的な関わりを持ちながら人を支援する労働。」
・勿論、人と関わるからこそ、失敗はつきものである。
・プロとは「失敗を失敗と認識できる人。失敗を認識した上で
 なぜ失敗が起きたのか、組織としてどう対応するのか」を
 データとしてストックできる人である。

・今、社会福祉の現場は転換期ゆえに混沌としている。
・福祉施設の経営も非常に難しく、求人をしても人が集まらない。
 「モノからヒトへ」という政治家の言葉は今こそ、実行されるべき。

・現在、生活保護は「削減対象」として話題に上ることが多い。
 しかし、生活保護は最も内需拡大に貢献している。
 「必ず地域経済に貢献されている」側面もあることを見てほしい。

念願叶った若冲展

2011年02月14日 00時08分17秒 | 備忘録
年末に企画展を知ってずっと行きたい!と願っていた若冲展。
行きたい!と願っていたわりに、うまくチケットを買えなかったり
寒くて外に出られなかったりで、心折れそうになっていたのですが
なんと教会友達からチケットを譲ってもらえ、最終日に滑り込みセーフで鑑賞。

ずっとずっと本物を見てみたい!と願っていた若冲の作品は
やはり生で見るからこその迫力に満ち溢れていて
その精密な筆遣いや鮮やかな色使いに息をのみました。
ただ、タイトルにしていた割に若冲本人の作品は少なくて
もっともっといろんな作品を見たいなー、また来ないかなー、
と心から思いました。もっといろんな作品をじっくり見てみたい!

もっともタイトルは「京都 細見美術館~琳派・若冲と雅の世界~」で
京都・平安神宮の近くにある細見美術館の作品を
「俵屋宗達、尾形光琳から酒井抱一、鈴木其一、神坂雪佳に至る
琳派三百年の流れを俯瞰できる『華麗なる琳派』」中心に
展示していたようです。
「琳派」についての知識がほとんどなかったので非常に勉強になりました。
神坂雪佳さんなんて、初めて知りましたが、
どの作品もモチーフの選び方や色使いが大好きだったなぁ。
その他の作品群もどれもこれも美しくて、見ていて単純に楽しい企画展でした。

見終わって、日本人の感性って独特だなぁ、と思いました。
そして、こういうふうに自然と向き合える日本人の美意識って素敵だな、
とも思いました。
秋の花や冬景色をあんなふうに美しく再現できるのは
日本人ならでは、じゃないかなぁ。

小さなもの、目立たないものを見過ごさない。
細かいところにまで目を配る。
万人が見て「かわいい」と思うものではない生き物にも
温かい目をむけ、その姿を愛でる。
きっぱりはっきりとしていて目に入りやすい、分かりやすい色ではなく
部屋や空間で主張しすぎない色、心に静かに入ってくる色を使う。
そういうところが本当に日本人ぽいなぁ、と思いました。

第27回朝日歌壇賞より

2011年02月01日 23時48分51秒 | 備忘録
昨年の入選作から選ばれた第27回朝日歌壇賞の1首が
1月31日の朝日新聞朝刊「天声人語」にて紹介されていました。

六二三 八六八九八一五 五三に繋げ 我ら今生く

天声人語はこの歌の後
「忘れ得ぬ日々。意味不明を言う若者の少なきを願いつつ。」
という言葉で締められていました。

6月23日。
8月6日。
8月9日。
8月15日。

忘れられない日。
忘れてはいけない日。

私は、平和教育に熱心な学校にあたってしまったため
とても丁寧に色々なことを教えていただいたものの
色々な資料を見せられすぎたがゆえに、
「戦争」だけでなく「平和教育」自体への苦手意識や嫌悪感も
非常に強く植え付けられました。
けれど、最近ようやくのことで
ずっとずっと嫌だと思っていた平和教育を
「ありがたい時間」だったのだと認識できるようになりました。

平和への思い。
未来への希望。
過去の反省。
これらをたった31文字でこんなにもスマートに
簡潔に伝えられる短歌ってすごい。言葉って美しい。
そう思いました。


胸に響く言葉

2011年01月15日 00時31分46秒 | 備忘録
仕事帰りに幼馴染と食事。
なんの気なしに頼んだコースが目を見張るほどの量で
かなり気合を入れて料理を頬張りながら、新年一発目の報告会をしました。
仕事に関して「よく思い切ったね!」と感心したり、
もうすぐ訪れる変化を心の底から羨ましがったり、
恋愛に関して「うわ!やっぱりオンナって怖いね・・・」
と身震いするような話を伺って思わず悲鳴をあげたり
料理を食べたり、話したり笑ったり悲鳴を挙げたり
思う存分、口を動かした夜となりました。

はー。おなかいっぱい。

帰宅後、新聞で今年の歌会始の歌を詠み、
あー。高校生の恋愛はいいなぁ。和むなぁ。と頬がゆるみました。
1時間前に恐ろしいコイバナ(しかも単に巻き込まれただけ)を
聴いてきただけに、余計心に染み入りました。

駐輪場 かごに紅葉をつけている きみの隣に 止める自転車

かわいい。あの頃はあの頃なりに一生懸命だったし、
色々悩んだりやきもきしたりして
「もう嫌だー!!」と地団太を踏みたくなったときもあったけれど
やっぱりこういう歌が詠めるのは
10代の感受性あってこそじゃないかなぁ、と思いました。

でもって、14歳のまっすぐな言葉が胸に突き刺さったのがこちらの歌。

「大丈夫」 この言葉だけ言ふ 君の不安を 最初に気づいてあげたい

本当に。
このシンプルさをいつも持ち続けられたらいいのに。
このシンプルさだけで生きられたらいいのに。
ついついその周辺にあるせちがらいことにも目を留めてしまうから
話がややこしくなってしまうんだよね。と反省。
「手を差し伸ばす」でもなく「親身になる」でも「助けてあげる」でもなく
ただシンプルに「気づきたい」と願うその気持ちが素敵だなー、と思いました。

そして、ものすごーくツボだったのがこの歌。

葉脈の しをり見つけし 古き本 思ひ出はめぐる 初等科時代に

「葉脈のしをり」と「古き本」。
この言葉の組み合わせがとってもとっても好きでした。
隙間風が入り込む木造校舎とか、卒業式前の静まり返った廊下とか
別棟に建っていた図書館とか、校庭に長い影を落としていた時計台とか
長期休暇前に持ち帰っていた引き出しや朝顔とか
そういった懐かしいものが一気に胸に蘇ってきました。