夢七雑録

散歩、旅、紀行文、歴史 雑文 その他

辰年・1952年

2024-06-02 07:52:05 | 随想ほか雑記

本箱を整理していたら辰の木版画が出てきた。1952(昭和27年)の年賀状に使う積りだったようだが、途中で彫るのを止めている。何故そうしたのかは覚えていない。ところで、木版画の裏には「ジャングル大帝」の図の写しのようなものが描かれている。当時、近所の少年から「漫画少年」という雑誌を見せてもらったことがあったが、「ジャングル大帝」もこの雑誌に掲載されていたのである。1952年は私が中学を卒業した年に当たる。当時は進学しない人も少なからずおり、進学した人も高校は別々であったので、卒業とともに同級生はばらばらになってしまった。そして、「漫画少年」を読むことも3月で終わりという事になった。

 

1952年は吉田内閣の時代で、戦後の復興がほぼ終わった年でもあり、3月には米国との平和条約が批准され、4月には日本が主権を回復している。ただ、5月にはメーデーで死傷者が出るなど各地でデモ隊と警官隊との乱闘が生じた年でもあった。スポーツの面では、5月に白井義男が世界チャンピオンになり、7月には日本もヘルシンキ・オリンピックに戦後初めて参加している。

 

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下落合から東中野まで桜散歩

2024-04-13 10:21:05 | 散歩道あれこれ

今年の桜の開花は遅かったが、すでに満開を過ぎて花は散りかけている。桜を見るのは今のうちである。下落合付近の桜を見て回り、せせらぎの里公苑の桜を見ながら一休み。それから せせらぎ橋を渡って、神田川を上流に向かって桜の続く川沿いの道を歩き始める。久保前橋を過ぎ、そして小滝橋まで桜は続いている。

小滝橋の交差点を渡り、その先で神田川沿いの神田上水公園を歩く。桜の続く公園内を先に進み、亀齢橋、南小滝橋、大東橋を過ぎて中央線の下をくぐると万亀橋に出る。桜はこの先も続いているが。今回はこの辺り迄とし東中野駅に行く。東中野駅から先、線路沿いにも桜はあるが、そちらも今回は省略。

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千川から江古田まで桜散歩

2024-04-07 14:47:04 | 散歩道あれこれ

千川駅を起点に桜を見ながら江古田まで歩いてみた。要町三丁目の交差点から南西側にある自転車駐車場の横を先に行き、千川上水の跡地に出る。今回は、桜もあって花見も出来る跡地を暫く歩き、車道を渡って跡地沿いに進み、その先を左に曲がって千川上水公園に行く。

桜を見ながら千川上水公園内を通り抜けると、その先で千川上水は右に曲がって流れていく。今回は車道側から桜を眺めながら歩くことにしたが、上水の跡をたどる事もできる。先に進み都道420号に出て、千早高、明豊中を過ぎるが桜並木は続いている。

明豊中の先の角を左に入って南に向かうと長五さくら公園に出る。園内には遊具もあって子供達の姿も見られるが、名前の通り桜も見事である。公園に沿って南に行き突き当たりを右に行くと都道420に出るので、ここを南に行く。

先に進むと西武池袋線の踏切に出る。長く待たされそうなので地下道で向こう側に出る。この地下道は千川通り地下道になっているが、この辺りの都道420号が千川通りと呼ばれていた頃の名残だろう。先に進むと、現在の千川通りの起点となる交差点に出る。写真は豊島区側から見たもので、千川通りの右側は少し先まで豊島区ということになる。先ずは右側の歩道を少し歩いてから、左側の歩道に移って江古田駅南口の交差点まで歩く。

 

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小澤征爾指揮のレコードから

2024-03-03 08:21:51 | クラシック百人一曲

このブログのカテゴリーのうち“クラシック百人一曲”では、日本の作曲家の一人として武満徹を選び、小澤征爾指揮・トロント交響楽団によるLPレコードを取り上げている。音楽評論家の秋山邦晴は、このLPについて、戦後日本の若い世代の作曲家と指揮者の存在証明を国際的に提示してみせたと書いている。作曲家というのは武満徹(1930-1996)のことであり、指揮者とは先日亡くなられた小澤征爾(1935―2024)のことである。

このLPレコードは2枚一組で、メシアン(1809-1992)の「トゥランガリラ交響曲」と武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」の2曲が収められている。メシアンの曲は1949年12月にバーンスタイン指揮によりボストン交響楽団で初演されている。武満徹の曲は、ニューヨーク・フィル創立125周年記念として各地の作曲家に新曲を委嘱した際のもので、小澤征爾指揮によるニューヨーク・フィルで1967年11月に初演された後すぐに、小澤征爾指揮によるトロント交響楽団で演奏されている。なお、この曲には琵琶(鶴田錦史)と尺八(横山勝也)が独奏者として加わっている。このLPレコードの録音は1967年の12月である。

  

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令和の年末年始

2024-01-29 18:07:38 | 随想ほか雑記

平成30年(2018)までは、NHKの紅白に続いて「ゆく年くる年」を見て過ごし、遠くの除夜の鐘の音を聞きながら0時0分に一陽来復の御札を貼り、年が明けてからは例年通り虎ノ門や浅草に初詣に出かけ、また近くの神社にも初詣に出かけていた。平成31年(2019・令和元年)になってからは、NHKの紅白は見なくなったが、それでも、一陽来復の御札を貼ることは続けており、令和2年(2020)の初詣も例年通り続けていたが、新型コロナによる緊急事態宣言が出され外出を自粛したため、一陽来復の御札を戴くことは取りやめ、大晦日に遅くまで起きていることも無くなった。そして、令和3年(2021)、令和4年(2022)、令和5年(2023)も、一陽来復の御札を貼ることは無くなり、虎ノ門や浅草への初詣もやめてしまったが、近くの神社への初詣は続けていた。そして、令和6年(2024)の正月。おせちは止め、年賀状も出さなくなったが、近くの神社への初詣と門松だけは続けている。

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中野七福神

2024-01-18 10:32:01 | 七福神めぐり

沼袋駅近くの中野沼袋氷川神社に中野区唯一の七福神、中野七福神が祀られている事を知り出かけてみた。西武新宿線の沼袋駅の北口から東に向かい、線路沿いに進むと左側に中野沼袋氷川神社がある。先ずは中野沼袋氷川神社を参詣。神社は南北朝時代に始まると伝えられ、現在の御祭神は須佐之男命である。新編武蔵風土記稿の中野村の項に氷川社とあるのがこの神社に該当するのだろう。中野七福神は氷川神社の境内の南西側にあり、平成21年に奉斎されたという。毘沙門天、弁財天、大黒天、恵比寿神、そして、布袋尊、福禄寿、寿老人にお参りして外に出る。

線路沿いに東に向かって歩いて行くと妙正寺川に出る。ここからは左岸または右岸を北に向かって歩く。江古田橋まで来たら川から離れて北に向かい、新青梅街道に出て交差点を渡り北側の歩道で西に向かう。坂を上がり交番を過ぎると右手に歴史民俗資料館があり、2月11日まで「七人の福神たち」というタイトルで七福神の館蔵品展(無料)を開催中だったので入ってみた。この後、新青梅街道を西に少し行き沼袋の交差点で左に折れ、坂を下れば沼袋駅に出る。

 

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85歳の壁

2023-12-23 07:47:46 | 随想ほか雑記

 

今年(令和5年)、85歳の誕生日を迎えることになった。年の割に元気だと思ってはいるのだが、長い距離を歩くウオーキングに参加するのは諦めることにして、散歩に近いウオーキングだけを続けることにした。6月のある日、国の重要有形民俗文化財である長崎富士塚を見に行ったときに、7月1日と2日に山開きの行事があることを知り、行ってみる積りでいた。しかし、6月の終わり頃に体調を崩してしまい、入院には至らなかったものの、1ヶ月近く外出を控えざるを得なくなった。

8月になって、近くの公園まで何とか歩けるようになった。それからは少しずつ距離を伸ばし、9月、10月、11月と歩く距離を増やすようになり、12月には長崎富士塚を見に行く事が出来た。ただ、長崎富士塚の開山は年に一度だけなので、今年は眺めるだけ。富士塚に登るのは来年にまわすことにした。今年もあと九日。この一年、85歳の壁かも知れぬものもあったが、何とか壁を越えられそうなところ迄は来た。果たして・・・・。

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70歳、80歳の壁を越えて

2023-11-30 16:52:41 | 随想ほか雑記

(1)50歳は曲がり角

老後の事を考えるようになったのは、50歳になってからだったと思う。当時は60歳が定年であったので、このまま仕事を続けて60歳になったら、のんびり暮らすという選択肢もあるにはあったが、そんなことは考えたくなかった。その後、60歳から先も働き続けられる職場がある事を知り、定年まで待たずに退職して転職することにした。給与は減る事にはなったが、それでも、長く働き続ける方を選んだのである。

       

(2)70歳の壁を越える

転職先の定年は65歳であったが、その後も非常勤の嘱託として67歳まで働いた。嘱託を辞めてからは年金暮らしになったが、老後の備えとして預貯金については早くから準備していたので、贅沢をしなければ日々の暮らしを続ける事が出来た。退職後、勤め先の行事にOBとして参加する機会はあった。また、勤め先の同好会はOBも参加が可能だったので、ウオーキングの同好会にOB会員として加入する事にした。実は、歩いた距離の累計が所定の距離に達すると表彰されるという事があり、それが目的の一つでもあった。

69歳の時、江戸時代の歴史について興味を持つようになり、江戸東京博物館の友の会に入会した。また、このブログ「夢七雑禄」を始めたのも、この年である。その翌年、平成20年(2008)、70歳の壁を、壁と思わずに乗り越えていた。

 

(3)80歳の壁を越える

このブログ「夢七雑禄」を始めた頃は、ブログの訪問者はまだ居なかったと思う。何年か経ち携帯からもアクセス可能にした頃から訪問者は少しずつ増えるようになり、そして現在は一日当り3桁の訪問者が居る。内容的にはアクセス数の多いブログとは言えないのだろうが、現在の訪問者数は作成者として有り難い数である。仕事が無くなった今は、ブログが仕事の代わりになっているのかも知れない。そしてウオーキングがそれを支えているのだろう。

平成25年(2013)、今までの保険証に代わる後期高齢者保険者証が送られてきた。この年、この保険証を使う必要が生じ一週間ほど入院したが、退院して暫くしてからは、旅行はともかく、散歩するぐらいの事は出来るようになっていた。

 それから5年。ブログの記事を書くため都内の各所を歩き回り、時にはウオーキングの会に参加し、時には博物館や美術館、公園や寺社を訪れることもあった。そして、気がついたら、80歳の壁を、壁と思わずに乗り越えていた。

それから5年が経ったが、85歳の壁を乗り越えられたかどうか、今はまだ分からない。

 

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都立練馬城址公園

2023-05-19 17:54:25 | 公園・庭園めぐり

遊園地「としまえん」の跡地を中心に整備された、都立練馬城址公園が開園(令和5年5月1日)したというので行ってみた。西武豊島線の豊島園駅を下車して左に行くと、エントランス交流ゾーンのエントランス広場に出る。何か物足りない気がするのは、遊園地の正門などが撤去されたせいだろう。

広場の上に古城の塔が見えた。豊島園では昔から良く目立つ建物で、豊島氏の城跡という言い伝えをもとに、西洋の城の塔を建ててしまったところが、遊園地らしくて面白いのだが、この塔が残されるかどうかは分からない。

坂を下って石神井川を渡ると、ワーナーブラザース・スタジオツアー東京の敷地の前に出る。ハリーポッターのテーマパークが6月にオープンされるようで、今はその準備で忙しいらしい。敷地の外から中を覗き、それから川と建物に沿って、川辺の散策ゾーンを西に向かう。

整備中らしい場所を通り抜けると、花のふれあいゾーンに出る。広場の右側の道を先に進むと花の丘に出る。向こうに四阿が見えるが、災害時には救護所になるらしい。

花のふれあいゾーンを散策し、遊具広場のそばを通り抜ける。今回はサービスセンターに寄らなかったが資料などを入手出来たらしい。石川橋に出て下流方向を眺めたあと、四阿で小休止したあと、川沿いの道を戻る。

川辺の散策ゾーンを東に向かう。石神井川の南側は工事中のようで、既存の施設の解体撤去を行っているらしい。ただ、その跡地に何が出来るのかは分からない。

川辺の散策ゾーンを東に進むと豊島園通りに出る。ここを右に行けば大江戸線の豊島園駅に出るが、その前に中之橋から上流方面を眺める。左側の建物は「庭の湯」である。中之橋から石川橋迄は豊島園内のため、以前は川沿いに歩けなかったのだが、今は川沿いに歩けるようになったので、機会があれば石神井川を遡行してみたいと思っている。

 

 

 

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牧野記念庭園から石神井公園へ

2023-05-06 16:40:44 | 散歩道あれこれ

西武池袋線の大泉学園駅を南口に出て、ゆめりあを通り抜け道路を渡って西側に下りる。コンビニを過ぎて、その先を左に入ると牧野記念庭園への案内表示がある。突き当たりを左にその先を右折して、牧野記念公園沿いに先に進み次の角を左に入ると牧野記念公園の前に出る。中に入って左に行くと牧野博士の像が出迎えてくれる。

見本園を抜けると顕彰碑があり、その先に書屋展示室がある。展示室の西側は記念館で展示室になっている。NHKの連続テレビ小説「らんまん」のせいか、いつもより入園者が多いような気がする。園内を見て回り牧野富太郎の胸像に挨拶して外に出る。

牧野記念庭園を出て左に行き学芸大通りを渡り東に向かう。幼稚園を過ぎてその先の四つ角を右に入り東京学芸大に沿って左に、その先を右に行く。東大泉つばき緑地を過ぎて南に向かって進むと富士街道に出る。石神井団地前の交差点を渡って次の角を右に入り、南に向かうと林の中になる。その先を左に入って石神井松の風文化公園に入り、園内を散策したあと、外に出て三宝寺池に下る。

三宝池に沿って池の北側を歩く。池の向こう側には厳島神社と浮御堂が見えている。先に進むと木陰に隠れるようにしてアオサギの姿があった。

沼沢植物群落のある浮島の辺りを眺めながら先に進むと、池の向こう側から渡ってくる橋が見えてくる。池の北側は水辺観察園で、野鳥を撮っているらしいカメラマンが何人も居るが、何を撮っているのかは分からない。ひょうたん池を過ぎ、井草通りを渡って石神井池沿いの道を歩く。後は石神井公園駅への道を急ぐだけである。

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城北中央公園周辺の桜

2023-04-02 15:28:15 | 散歩道あれこれ

前日、久しぶりに都立城北中央公園に行ってみた。千川駅から要町通りを小竹向原駅に向かい、東側の四季の道を進んで武蔵野病院前の交差点を渡る。環七を右に行き、次の角を斜め前方に入って武蔵野病院沿いに進み、三叉路を左斜め方面に進めば小茂根四丁目公園に出る。この日は既に、桜散る季節になっていた。

先に進んで、つつじ広場を右に次の角を左折して坂を下って行く。右手の茂呂山公園に行くと、花見をする人たちの姿があった。桜の広場を過ぎて坂を上がり、大山高の門前にある桜の広場のような場所で少しばかり休む。

坂を下ると栗原橋に出る。右側の城北中央公園内には花見の人たちの姿も見える。橋を渡って先に進み、左に上がるとサービスセンターに出る。城北中央公園内には桜が点在しており、花見をする人の姿も見られるが、桜並木を見るのであれば、石神井川沿いに歩きたい。なお、石神井川沿いには調節池の工事が進行中であった。

湿化味橋を渡ってミモザ広場を歩く。ここには花見をする人が多く集まっている。広場の桜の下を通り抜けて開進橋に出る。そこからミモザ広場をしばらく眺めたあと、石神井川の上流へと川沿いの道を歩く。

関進橋から先は川に沿って桜並木が続く。次の橋は羽根木橋、そして羽根沢橋、仲羽橋、宮宿橋と桜並木の散策が続くのだが、正久保橋の手前で工事現場に遮られて遠回りの道となる。実は、環七の武蔵野病院前の交差点から、氷川台に向かって放射第36号線の道路が工事中で、氷川台駅の近くでは橋梁工事が進められていたのである。正久保橋から先も桜並木は続いているが、この日の散歩は少々疲れたので、氷川台駅で終わりとする事にした。

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新井薬師から千川まで桜並木散歩

2023-03-26 20:01:50 | 散歩道あれこれ

新井薬師を起点として複数の桜並木を歩いてみた。新井薬師は通称で、正式には松高山梅照院薬王寺と言うらしい。本尊は薬師如来座像で、眼病に御利益があるとされる。

新井薬師の桜を撮ろうとしているカメラの横をすり抜けて、本堂にお参り。それから境内を見て回る。境内には桜が多く、 寺の裏手の新井薬師公園も桜の並木になっていた。

公園を出たところが中野通りで、ここからは通りを北に向かう。中野通りの桜並木も、今日はおそらく満開か、それに近い状態に当たるのだろう。

歩道橋の上に大勢の人が居ることに気づく。桜並木の道路を横切っていく西武新宿線の電車を撮影しているらしい。撮影向きの場所は既に占領されている故、階段途中で1枚パチリ。

中野通りを先に進み、下田橋の手前で哲学堂に入ってみる。妙正寺川の向こう側は桜の広場になっていて、花見を楽しんでいる人たちの姿が見えるが、今回は先の予定がある。哲学堂はまたの機会に、外に出て中野通りを北に向かい蓮華寺下の交差点に出る。中野通りはここを右に、その先の交差点を左に行き、目白通りとの交差点(南長崎六)で終わりとなる。なお、この交差点は中野区、新宿区、豊島区の境界にあたる。

蓮華寺交差点から新青梅街道を左に行く。この道にも桜並木は続いている。江古田公園を過ぎて江古田大橋を渡り、その先の交差点で北側の歩道に移る。街道は上り坂となり江古田通りに出る。歴史民俗資料館に行くのは割愛して今回は江古田通りを北に向かう。

江古田通りを先に進み、東福寺を過ぎて江古田川を渡る。その先の交差点を左に行くと江古田憩い橋があり、ここから桜を見ながら江古田川沿いに進み、橋を渡って江古田の森公園に入る。公園内を散策したいところだが、時間が無いので北江古田橋を渡って右に行き江古田通りに戻る。交差点を左に行けば大江戸線の新江古田駅に出る。

目白通りを渡って江古田通りを北に向かうと、江古田駅南口の交差点で千川通りに出る。ここを右に桜並木の道を歩く。所々にある桜の巨樹は精一杯の花をつけている。満開と言っても良いのだろう。

先に進むと、角にコンビニのある交差点(練馬区と豊島区の境界)で桜並木は終わる。この交差点は、千川通りを流れていた千川上水が直角に曲がる地点に相当し、以前は、この交差点を曲がり西武池袋線の踏切を渡って先に行く通りも千川通りと呼ばれていた。しかし今は、この交差点で千川通りは終わりになっている。

西武池袋線を渡った少し先から桜並木が始まるが、見頃にはまだ早い。いま満開の桜を見るのであれば、明豊中の辺りから先になるだろう。千川上水跡を公園化した千川親水公園沿いにも、所々に桜がある。それらを見ながら進めば、千川駅のある要町三の交差点に出る。この交差点を横切って板橋高沿いに流れていた千川上水は姿を消しているが、桜並木だけは板橋高の敷地に沿って、少し先まで続いている。

 

 

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板橋区赤塚の梅林

2023-03-11 08:00:40 | 散歩道あれこれ

今回は有楽町線の地下鉄赤塚駅を起点としたが、東上線の下赤塚駅を起点としてもよい。赤塚中央通りを北に向かうと、やがて下り坂。今は緑道になっている前谷津川を渡り急坂を上がれば松月院前の交差点に出る。松月院は江戸時代からよく知られていたらしく、「江戸名所図会」の巻之四にも図入りで取り上げられている。江戸の散歩の達人・嘉陵も来ており、当ブログでも「江戸近郊の旅・嘉陵紀行」の“吹上観音道くさ”の項で取り上げている。

松月院前の交差点から坂を下る。松月院前から東京大仏前の交差点までの道路が開通する以前、この道路の西側も松月院の境内であったらしい。先に進むと、東京大仏の乗蓮寺の入口がある。昭和46年に板橋仲宿から移転してきた寺だが、何度か行っているのでパスし、美術館入口の交差点へ。左に行くと赤塚城址の梅林に出るのだが、今回は先に板橋区立赤塚溜池公園に行く。梅まつりは終わってしまったらしいが、梅林見物だけなら遅くはない。梅を眺めながら園内を散策し、溜池を一回りして小休止。今回は赤塚城址より梅の方に関心があるので、郷土資料館は又の機会ということに。

赤塚城址は都立赤塚公園の城址地区になっている。赤塚溜池公園から急坂を一気に登り切って赤塚公園へ。久しぶりのハイキング気分。多少疲れたが、休んではいられない。赤塚城址の原っぱを突っ切って赤塚公園の梅林に向かう。ここの梅林は、梅畑だったものを農家から譲りうけたものなので、赤塚溜池公園の梅とは一寸ばかり違う。梅林の出口は南東側にあり、ここを左に行くと美術館入口の交差点に出る。今までは、ここから三田線の高島平駅に出ていたのだが、今回は別のルートで成増駅に向かうことにした。

 

 

 

 

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中野区の梅の名所・哲学堂へ

2023-03-05 11:12:44 | 散歩道あれこれ

今回は、中野区の梅の名所である哲学堂を取り上げる。大江戸線の落合南長崎駅から南に、交差点を渡って新青梅街道を西に向かい、猫地蔵堂入口の先で新青梅街道から分かれて左前方の道を進む。哲学堂通りに出て左へ、バス停の先を右に渡って哲学堂に入る。哲学堂の建立は明治36年。明治から大正にかけて建てられた建造物等が多く現存している。それらを見て回り、観象梁という橋で妙正寺川を渡る。大正時代には川の南側は田畑で、天文・気象などの自然観察に向いた場所だった事が橋の名の由来らしい。この橋は富士桟とも呼ばれていたが、現在の橋に架け替えられる以前は、橋の高欄が富士の形だったからだろう。今は橋を渡った先が哲学の庭になっているが、戦後しばらくの間は料亭の痕跡が残っていた。橋から西側は戦前からの梅林だったが、現在は梅の木が多い庭園風に整備されている。

哲学堂を出たあと中野通りを渡って北野神社へ行く。参詣のあと、妙正寺川の南側、崖下の日陰の道を歩く。この辺りで天然氷を製造したことがあったらしいが、場所がどこかは分からない。江古田公園橋を渡って北側の江古田公園に出る。園内では江古田古戦場の碑が目立つ。「鎌倉大草紙」には、江古田原沼袋で豊島一族と太田道灌が戦ったことが記されているが、戦いは広い地域で行われていたのだろう。新青梅街道に出て江古田大橋で江古田川を渡る。その先、江古田一丁目西の交差点で北側の歩道に移り西に向かう。

街道は少し上り坂となり江古田通りを過ぎると交番がある。その先の右手にある中野区立歴史民俗資料館に入る。入館は無料。おひなさま展を開催中だった。今回の散歩はここまで。帰りは新青梅街道を西に行き、沼袋の交差点を南に行けば西武新宿線の沼袋駅に出る。或いは、資料館の裏手に出て東に行くと江古田通りに出るので、ここを北に行けば大江戸線の新江古田駅に出る。また、新青梅街道を東に戻って落合南長崎駅に出ても良い。

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雪中四友

2023-02-28 17:27:47 | 随想ほか雑記

“雪中四友”という言葉がある事を知り、広辞苑で調べてみたところ、“画題:玉梅・臘梅・茶梅(さざんか)・水仙の称”とあった。描きたいものが見つけにくい雪の季節であっても、冬に花を咲かせる梅や臘梅、サザンカや水仙は画の題材として使えるので、困った時に助けてくれる友人のような存在なのだろう。そこで、今まで撮った写真の中から、冬に花を咲かせる、梅、臘梅(ロウバイ)、山茶花(サザンカ)、水仙の写真を探してみた。

 

(1)梅

写真は目白庭園でのもので、2016年1月の撮影。庭園内には雪がまだ残っていた。

「梅つばき早咲ほめむ保美の里」:芭蕉

 

(2)臘梅(ロウバイ)

この写真も目白庭園でのもので、撮影は今年の2月。この日、雪は無かった。

「臘梅や雪うち透す枝のたけ」:芥川龍之介

 

(3)山茶花(サザンカ)

今年2月10日、都内に大雪警報が発令された日の写真である。写真の花は寒椿(カンツバキ)かも知れないが、寒椿をサザンカの園芸品種の一つとする考えもあるようなので、サザンカとして取り上げることにした。

「山茶花のここを書斎と定めたり」:正岡子規

 

(4)水仙

今年の2月、目白の森での撮影。園内には他にも水仙があった筈だが、この日は見当たらなかった。

「水仙や寒き都のここかしこ」:蕪村

 

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