明日から仕事である。
うん、今日は休日であるが前日の準備をする。
職場には誰か来ていると聞いていた。
自分の持ち場の確認をする。
1か月半とはいえ、仕事から離れていたので勘が戻るかどうか不安である。
職場の通路を歩いているとガサガサと音がしている。
うん、久しぶりに見た。
組体操である。
学校などでは、危険だからやらなくなった組体操だ。
感動した。
きっとゆきたんくの仕事始めを応援してくれているのだろう。
水槽の中のカメさんであった。
明日から仕事である。
うん、今日は休日であるが前日の準備をする。
職場には誰か来ていると聞いていた。
自分の持ち場の確認をする。
1か月半とはいえ、仕事から離れていたので勘が戻るかどうか不安である。
職場の通路を歩いているとガサガサと音がしている。
うん、久しぶりに見た。
組体操である。
学校などでは、危険だからやらなくなった組体操だ。
感動した。
きっとゆきたんくの仕事始めを応援してくれているのだろう。
水槽の中のカメさんであった。
監的壕ってなあに。
射撃練習における、砲弾の的中率、機能効果を観察するところである。
けっこう多数の戦争遺跡を目にしてきたが、この「監的壕」というのは聞きなれないものであった。
富山に2つの監的壕がある。
2018年に立野原監的壕、2018年に丸山監的壕を見てきた。
他に監的壕の存在は知らなかった。
今回、また仕事を始めるのにあたって最後の休みの日を遠出に使うことにした。
コロナのおり、都心方面には向かえない。
友人と一緒に行くことにした。
そのリクエストの中に監的壕があったのだ。
名前は「鉾田陸軍飛行学校監的壕」だ。
小ぶりな監的壕だ。この1基しか残っていないようだ。 → Map
もちろん、これだけでなく百里基地の方や北浦に残る遺跡も十分に見ることができた。
そう、言いたかったのは、ゆきたんくが見た3番目の監的壕だったことである。
今日も千菓進に行く。
その千菓進の入口横にはサツキが植わっている。
毎年綺麗な花を見せてくれるのだ。
うん、今年も始まった。
綺麗な色の蕾がついている。開き始めたのもあるね。
出てくるものは何でもおいしい千菓進であるが、店の入り口もお客の目にとっては、大変なごちそうなのである。
千菓進の5月からのお楽しみである。
黄昏時の一服。
うまいよね。
タバコの話ではない。
酒もタバコもやらないゆきたんくである。
となると、向かう先は「甘味」である。
仕事が始まるのが来週。
ゆっくりと過ごす週である。
今日ものりたんを迎えに行く前に、行きつけの喫茶店「千菓進」に行く。
甘いのをいただきながら、ママとざっかけない話で盛り上がる。
うん、これも幸せ。
口に幸せをくれたのは、
ウインナーコーヒー
だ。
ここのマスターにスプーンを使わずに飲むのが正式と教えていただいた。
1 クリームとカップの間からコーヒーをすする。
2 クリームの溶けたコーヒーを味わう。
3 最後の1cmくらいを一気に口に流し込む。
3つの味の楽しみ方を教わったのだ。
うん、旨い。
ほっ
どこだっけ?
ゆきたんくの趣味の一つである戦争遺跡。
流山市と柏市の境にある駒木に陸軍の境界標柱があった。
頭のところが欠けていて、頼りないのだが立派な史跡を示しているのだ。
2017.05.22撮影
豊四季駅とかつての柏飛行場を結ぶ途中にある駒木には弾薬庫があった。
その弾薬庫を含む施設は、かつての航空教育隊だ。
陸軍東部第102部隊だったところだ。
ここから330mほどのところにある境界標中には「百二」と刻印されたものもあった。
正式には陸軍第4航空教育隊である。
今まで見られた境界標柱がいつのまにか抜かれていることがある。
戦争というのは黒歴史なのだろうが、センナ総遺跡は立派な歴史の証人でもある。
事実は事実として受け止めることは大切だろう。
ということで心配になったのだ。
最新のものはグーグルマップでも確認できるが、いつの最新だか分からない。
瞬時に更新されるものではないからだ。
とりあえず家にいてもできること・・・
グーグルマップで見た。
あった。
それだけのことなのだが、安心するゆきたんくであった。
お父さんというのは、旅行ユニット大男三人組のメンバーである。
かつての職場の先輩なのだ。
ゆきたんくがそろそろ働き始めるというので、時間のある時に会おうという話をしていた。
今日ものりたんを職場に送り、インターバル速歩を済ませ買い物を済ませとしているうちに約束の時間になった。
会えば話が弾むこと。
政治、旅行、トレーニングと話が尽きない。
今回の目玉は、旅行アプリ「tabiori(旅おり)」についてである。
だいたいゆきたんくが計画を作り、3人で会って納得いったところで、旅行会社に連絡して本番を待つというのがパターンである。
コロナのおかげで、昨年はなし、今年は・・・
どうなるのかな。
2019年の7月末に、日立や袋田の滝に泊りがけで行ったのが最後だな。
もう一人のメンバー「じまさん」はお仕事を頑張っている。
仕事のない二人だけで会っているのだ。
さて、のりたんのお迎え時刻が来た。
江戸川土手の向こうの黄昏を見ながら、松戸工兵学校へ向かう。
うん、ありがとう。
今日で34年目。
のりたんと結婚してだ。
昨日、義母の家に出かけた時に食事を食べてお祝いに替えた。
何も特別なことはしなくてもいい感じかな。
ジョナサンのガパオライス。
抹茶ババロアとソフトクリーム。
ご馳走食べて、おいしかったねー。
うん、十分幸せである。
健康が一番の宝である証拠だな。
キッコーゴに行った。
皆さんがご存じなのはキッコーマンであろう。
そうお醤油の大手メーカーである。
ゆきたんくが第二の故郷に寄った話は書いた。
そう、東京都あきる野市に存在する都立高校跡地のことである。
そのあきる野市に創業100年以上の亀甲五醤油があるのだ。
近藤醸造株式会社という社名があるが創業者「近藤五郎兵衛」さんの名前から五を取って亀甲五としたそうだ。
お土産に、醤油、中濃ソース、ドレッシング、醤油チョコレートと買った。
それらを持って義母の家に出かけた。
キッコウゴしょうゆのチョコレート。→ Map
ちなみにお出かけ場所は、板橋区であった。
今日もお勉強と称して戦争遺跡の調査に出かける。
今日は埼玉県入間郡にある「所沢陸軍飛行学校狭山飛行場」の跡地を周った。
関連にする遺構にたくさん会うことができた。
うん、エンジンの試験台、陸軍境界標柱、滑走路脇の排水溝の暗渠など。
当時の様子を知る貴重な資料でもある。
これらのことはまた触れるとして、この地から近い所にゆきたんくの第二の故郷がある。
旧東京都立秋川高等学校跡地である。
もう閉校してしまったが、跡地にあるメタセコイア並木を見に行ったのである。
当時のメインストリートに残るメタセコイア並木。 → Map
350mのまっすぐな道の両側にメタセコイアが植わっている。
この道をどんだけダッシュさせられたのだろうか。
部活動の思い出だととんでもない存在なのであるが、今となっては良い思い出である。
今日はね、インターバル速歩はお休み。
天気もはっきりしなかったしね。
閉じこもって「幸たんく」いじりだ。
なんでこんなに写真を撮るのかと思う。
カメラに狂っていた訳ではない。
旅行が好きだった訳でもない。
出不精だった過去。
現在いじっているのは、千葉県の一部の写真。
17500枚のうちの一部である。
その全てを一日でレタッチすることは不可能である。
そしてベトナム旅行の場所リンクの貼り変えである。
ページを作ったのが、2010年のこと。
当時よりも場所が分かりやすくなったのであるが、すべてのリンクが使えなくなっていたので一つ一つ貼り直したのである。
そうこうしているうちに、のりたんのお迎えの時刻になった。
そしてのりたんお迎えの時間だ。
旧陸軍松戸工兵学校跡。
戦争遺跡好きのゆきたんくにはたまらない、松戸中央公園。
ここが旧陸軍松戸工兵学校の跡地である。
この跡地にある松戸第一中学校の通用門が、鉄道第二連隊軌道敷跡の終点であったことで気持ちがわくわくしてしまうゆきたんくである。
土手からの景色は、やっぱり冬がいいかね。
空気が澄んでいるという意味ではね。
でも、歩くのには今が最適かな。
暑くなし、寒くなし。
のりたんを職場に送ったら、さっそくインターバル速歩だ。
風も気持ちよいし、頭上で鳥がホバーリングして鳴いているその声も心地よい。
スカイツリーの天辺が雲に突き刺さっている。
今日は歩いていて、東京スカイツリーの身長が低く見えたのだ。
よく見ると、ゲイン塔の先が雲に隠れている。
つまり上空600m辺りに雲が漂っている訳だ。
もうすぐ仕事が始まるので、ゆきたんくが贅沢に使える時間も減ってきた。
そんな訳で、自宅に戻ってからは「幸たんく」の画像いじり。
近頃はこんな日が多い。
しかし、歩くのが楽になってきたってことは体力が付いてきたのだと実感している。
今日もインターバル速歩をする。
3分間だらだら歩き、3分間速歩きを5回繰り返す。
だらだらの間には音楽を聴いたり、写真を撮ったりと自由だ。
速歩きの時にはリズムを大切に。
今日はだらだらの時に思いを馳せた。
雲が多いかな。
ゆきたんくのフィバリットアーティスト、岡崎律子氏の命日である。
若くして病気に倒れてしまったが、ご存命ならばどんな楽曲を作ったのか。
先日「博士ちゃん」で軍艦島を取り上げていたが、その幹部社宅(3号棟)に住んでいた岡崎氏もゲストで出ていたかもしれない。
世界文化遺産に登録され、保存が可能な建造物については修復を試みている長崎市である。
なんてことを考えながらの速歩であった。
岡崎律子氏のご冥福をお祈りしたい。
のりたんが職場でパンをもらってきた。
何パンというのだろう。
2種類あって、ふんわりしたパン。
片方は焼きあがったらバターに浸すのだという。
確かに色は黄色い。
切ってもらい一切れずつ食べた。
いやぁ、これは止まらない旨さだ。
自分一人でいたら全部食べてしまっただろう。
あっ、名前を聞いておかねば・・・
うん、今日ものりたんを職場に送った後はインターバル速歩である。
拙サイト「幸たんく」をいじりながら過ごした。
昼のお迎えなので、外食をすることにした。
のりたんのリクエストは寿司。
はま寿司でいただく。
まぐろ三種盛り。
二人して満足するまで食べた。
しかしねぇ、食べる量は減ったねぇ。
10皿いかないのだもの。
年相応でいいんだよね。
いやぁ、知らなかったね。
近くにあったんだ。
ゆきんたくの自宅からも近いし、なんと通っていた大学の地名の場所にあった。
越谷陸軍飛行場跡だ。
現在のしらこばと水城公園の真ん中を、滑走路が通っていた。
鉄塔土台である。
土台の基礎部分。戦後75年経つのにほとんど錆びていない。
このような土台を7つ、兵舎跡を1つ、滑走路跡、滑走路の排水暗渠を2つ、誘導路を1つ、格納庫跡を1つ・・・
たくさんの遺構が残されているのだ。
今回の写真は鉄塔土台のみだが、いずれ紹介の記事を書きたいと思う。
完成は昭和20年終戦の年である。
急造の飛行場なのだが、造りはしっかりとしている。
そこに日本人を感じる。