「夏草や兵どもが夢の跡」
と松尾芭蕉が奥の細道の終点でつぶやいたとか・・・
三代の栄華を誇った藤原氏が蝦夷の攻撃を受け、
「優れた忠義な家来たちが高館にこもり功名を競ったが、それも一時の夢と消え、今では草が生い茂るばかりだ。」
調べたら以上のように意味だと・・・
先日買い物をした帰りに、思い出したように寄った場所がある。
それは、かつて鉄道第二連帯が軍事練習線として敷いた松戸…津田沼間の軌道敷跡のことだ。
現千葉工業大学の正門(赤レンガ)から、松戸市立第一中学校の通用門まで敷かれていた。
その松戸一中から上本郷駅までの間に境界標柱があった。
コンクリートの基礎に標注が固定されていたという。
ゆきたんくが目にしたのは・・・
標注が折れて残った基礎の部分
標柱はどこに行ったのか・・・
周囲を探したら、残骸が見つかった。
「軍用」の文字が見える。周囲に残る境界標柱からすると「陸軍用地」だったはずだ。
このような貴重な遺構を保存することが考えられてないのは実に嘆かわしいことである。
かつての日本を支えた組織の遺構なのである。