私市醸造から木下街道の豆が台十字路の間は、谷になっている。
当時の鉄道第二連隊の機関車K2型134号では勾配のキツイ坂は登ることができなかったのである。
東道野辺の谷 → Map
K2型134号機関車 → Map
よって、谷に橋脚を築きその上に軌道を載せたのである。
もっとも、現在の新京成線の路線を通っていれば、坂の心配はしなくて良いのだからこれも訓練の一環だったのだろう。
それが鎌ヶ谷市東道野へにある「アカシヤ児童遊園」に残されている。
大きな遺構であるから、その処理の大変さから考えてそのままにしてあるのかもしれない。
グーグルマップから画像をお借りした。4本の橋脚が見える。
この写真を画像左から順に載せる。
近くに子供と遊具がある。大きさが分かりやすいだろう。
この1本はゴミ焼却場として使われていたようだ。
橋脚に鉄製の部品が残っている。手前にあるのは橋脚の説明版。
鎌ヶ谷市教育委員会の史跡説明版
窪地に橋を架ける架橋訓練の1つとして作られた橋脚である。