東金に飛行場?
もちろん現代のものではなく,大東亜戦争末期に造られた飛行機の格納庫の痕跡がある。
それは,コンクリートでできた支柱のようだ。
工事にあたったのは地元民の方。
それも勤労奉仕という名の半ば強制的なものだったという。
ただ,戦争に関する話はこのような形で残っていることが多いが実際にはどうだったのかは分からない。
調べるにしてもタイムリミットが近いか,過ぎているだろう。
米軍の九十九里浜への上陸を予想してのものだった。
狭い畑の中にある。
角の支柱。
綺麗に並んでいる支柱。
飛行機格納庫の跡らしい。2007.06.23 → Map