秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

三井越後屋京本店。

2012年05月22日 09時06分05秒 | 京都非観光迷所案内

「越後屋、オヌシもワルよのう」なんて時代劇で悪商人の代名詞みたいになっていますが、
日本を代表する三井グループのルーツが三井越後屋。その京本店跡がコチラです。

    

悪商人どころか、当時では斬新な商法でメキメキ頭角を現したベンチャー企業でした。
そのころの呉服商人たちにとっては憎き商売敵だったのかもしれませんけどね。

     

京の呉服商といえば近江(滋賀)出身者が多いそうですが、高利さんは伊勢の出。滋賀の
楽市楽座は有名ですが、伊勢も同じく自由な商業が発達した土地です。

それに加えて、諸国の情報を持ち寄る御師(おし)が立ち寄る地で育った環境が、高利の
経営感覚に影響を与えたのかも知れませんね。

長兄の江戸店で支配人を勤め、「江戸店持京商人」(えどだなもちきょうあきんど)を志し、
28歳で松坂に戻り資本を蓄積、その後、京に出店。

 私は越後屋の本店は上京区(寺ノ内か新町六角)辺りだと思ってたけど、こんな地
にあったんですナ。

    
    家紋入りの瓦。この「くぎ抜き紋」は高利が14歳で手伝うことになった三井家の紋です。

余談ですが、越後屋のユニークな商法の一つが店名入りの番傘。突然の雨に備え、沢山の
傘を用意し、店の名と通し番号をかいていたそうです。(それが番傘のルーツという説もあります。)

三井家のことを調べだしたのは、宮崎友禅斎がらみなんですけど、今のところ直接的な
関わりは見いだせておりません。まぁ、友禅斎の件は気長にやっていくしかないですナ。