気功・・・
やはり、
あまり知られていないのだな
と思うこともまだまだ多く…
なので
一度どこかに体験にいらしてほしい…
そう思っています。
「自分のための時間」
または自分に戻れる時間とでもいうか…
そんな体験。
「気功の時間は唯一の鎧を脱げる時間なのだよ」
これは何人かの老師から聞いた話。
鎧を自覚し
脱いだり着けたりができるようになる訓練だと。
昨年亡くなられた津村喬さんの文章がわかりやすいのでお借りします。
ーー
気功状態とは「ヨロイを脱いだ」状態だ。
ヨロイとは何かというと、自分が自分を守るために作ってきた緊張体系のことで、ただの精神的な比喩ではなく、非常に具体的なものである。生理的に今とっていたい表情やしぐさと別に、母親に見せたいため、先生に見せたいため、男に(あるいは女に)見せたいため、こんな友だちに、あんな友だちに見せたいため、上役に見せたいため、お客様に見せたいため、などなどのさまざまな舞台衣裳があり、メイクアップがあり、言葉遣いや特定の科白があり表情がある。それはいい悪いではなく、第二の皮膚といってもいい。無意識に身についている演技体系ともいえる。これは実は「編集された気の層」である。中医学でいうと「衛気」という気の層を使って、それをアレンジする。双方向の機能があり、他人の目にこう見せたいという「私らしさの記号」をそこの平面で編集することができるというのが一つである。もうひとつは、視線から私を保護して、生理的身体が護られるということである。それを使いこなさずに生きている人は誰もいない。しかし、その使い方が下手で、これを使うことでへとへとになる人もいる。無理もない。学校でもどこでも教えてくれないのだ。いや学校では「生徒らしさ」の身振り指導は受けられるし企業では「会社人間らしさ」の身振り指導は受けられるが、その脱ぎ方は教えてくれない。それぞれが酒場で乱れたり、スポーツクラブに行ったり、・・・、お金に関係なく心のふれあいが求められそうなボランティア活動に行ったり、気功教室に行ったりして、少しずつそれぞれのヨロイを脱ぐのである。
この重層的なヨロイの中の特定の層が強くなり重くなりすぎると、それは生理的身体を圧迫しはじめる。それが「過剰適応」である。また重さに耐えられず脱いでしまうと「不適応」になる。
気功法は、社会的責任に関係のないさまざまなヨロイを用意して、それを「着脱自在」にすることで、生理的身体の抑圧を解こうという技術である。そのためのヨロイはとても薄く、皮膚を感じやすくできている。あるいは、動物のまねのように、まねするという行為を通じて逆にさまざまなヨロイを着ることの出来る私の生身の身体を明確に意識させる。
気功の10大システムのうち、按摩系は「自己愛撫によって皮膚との関係をとりもどす」行為である。導引系と脊椎運動系とは「身体感覚と体内地図を作り替える」行為である。自発運動系は「ヨロイの脱ぎ方」講座そのものである。模倣気功は「ヨロイの再構築のしかた」である。静功系は「周囲と関係を結ばなくても生きている=私には生命の中心がある」ことを確認する行為である。などなど。
こういうことに熟練していくと、人は日常の中でも自覚的にヨロイを着たり脱いだりできるようになる。今までだれも教えてくれずにやむにやまれぬ智慧として自分一人で見よう見まねでやってきた「ヨロイを着て身をまもり、ヨロイを脱いでほっとする」ということを初めて余裕を持って意識的にできるようになるのである。
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一度、気功の体験にぜひ!
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