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道家と道教

2021-02-28 23:33:51 | 気功の話

道家と道教について

 

津村喬さんより

参考までに

 

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道家と道教、仙学の言葉の整理

 道家と道教という言葉の違いについては繰り返し述べて来たので、もうわかっていただけたことでしょう。簡単に言えば
 道家=老子に始まり、荘子や列子によって継承された古代の哲学思想である。老子の生没年はわかっていないが、紀元前551年から紀元前479年とされる孔子が訪ねて行った記録があるから、それから数十年年上と見られる。
 道教=老子より約700年後に張角が立てた太平道と張道陵が四川鶴鳴山で起こした五斗米道というふたつの宗教教団に始まる宗教で、儒教、仏教と鼎立し、中国社会に今日まで大きな影響力を持っている。
 これが後に混同されるようになったのは、これらの宗教の中で老子が神格化されて、宇宙神が老子という人格に降臨したとされ、また老子という哲学の書を張陵が書いた『老子想爾注』という形で宗教書へと曲解されていったためでした。
 それでは、中国では割合使われる道学という言葉はなんでしょうか。これは立場によって違う使い方をされ、道家や道教の立場からは「老荘の学問」ととらえられていましたが、「道学といえばそれは儒学を指す」といういい方もあります。これは宋学において、道家の代表的存在である陳摶と儒学の中興の祖である朱子がともに「太極図」を取り上げて自分の思想の中心にしたためで、本来老子の概念であった無極・太極・五行の哲学が儒学も含めて、中国思想全般の基礎に据えられたという事情によっています。
 それでは、道家・道教と深い関係にある「仙」「僊」とは何でしょうか。大形徹先生の《「僊」と「仙」》を少し紹介します。
「仙人の「仙」という文字は「僊」と書かれることもある。「仙」と「僊」は成り立ちの異なる 文字である。ごく簡単にいえば,「仙」は本来,山に住む人の意味であり,「僊」はもと魂の遷移 を示す文字であったように思われる。ところが,『新字源』の「仙」は「もと,僊の俗字」とし, 「仙」は「僊」の俗字扱いであり,『漢語大名典』の「仙」は「和作『僊』」と述べ,同じ文字と いう認識である。」 「神僊」の語は,ふつう「神仙」に同じとされ,「カミ・仙人」といった名詞として理解されている。けれども「神僊」と「神仙」は本来,区別する必要がある。「僊人」は「真人」や「神人」と同列の語として扱われて いく。始皇帝の時代から武帝の時代にかけて,「僊人」という言葉が繰り返し使用されていくに つれて,その実体は依然として明らかではないものの,その存在自体はしだいに確実なものとし て認識されていくのである。」そして「魂の昇偲にもとづく「僊」から,山に住み不老不死の人である「仙」へと質的な変 化をともなっていく」
 現代の道教思想を代表する陳攖寧は中国道教協会の会長でしたが、自分を道教徒と呼んだことはなく、常に仙学=僊学と呼んでいました。両者を同じ意味で使うこともあるし、僊学が仙学に変化したという意味で使う場合もありました。大形氏と三浦国雄氏、堀池信夫氏が編集した講座道教第三巻『道教の生命観と身体論』のなかに沈恩明氏が「陳攖寧「仙学」小論」で、仙学は「仙になることを目指す完備された実際の修行の手順と、それに対応する理論とから成る総合的な修練システム」だと論じています。この意味での仙学は道家と並んで古代から存在したものですが,陳攖寧はそれを再発見して、現代の実践的な学習体系として提案したのです。陳攖寧はそれを「六千年にわたる伝統」と言っています。
それはさまざまな宗教が成立する遥か以前からの伝統でした。陳攖寧はこの伝統に立って、その歴史が生み出した最良のものである内丹をテコとしていま再び仙学を、と呼びかけるのです。
 「仙学家の強敵は科学者だと知る必要がある。ただし、将来に於いて、世界中で科学者に対抗できるのは、ひとり仙学家に希望があるだけだ」「ただ仙学のみが人の生命の不十分な点を救うことができ、その能力は世間のすべての科学より高いと私は考えている。およそ普通の科学が解決できない問題も仙学は十分解決することが出来る」
 彼は内丹学の頂点を最初に極めた魏伯陽を尊敬していましたが、宋学以降の儒仏道三教一致には賛成しませんでした。張伯端もまた仙学で考え抜くべき所で仏教の引用で済ませてしまいました。白楽天もまた老子の五千言と「薬」「仙」を対立させてとらえ、「仙」を排斥ました。
 陳攖寧は道教の組織のトップに居たのに、自分を道教家と考えることはありませんでした。また老荘からいろいろなものをとったが、自分を道家思想家だと考えることはありませんでした。彼は若い頃から死ぬまで「仙学」の人だと考え、仙学六千年の伝統を復活させて、現代の科学に対抗する唯一の道にすると考えていたのです。
 ここではただ、道家、道教、道学そして仙学の区別と連環を基礎的に説明することが出来ただけです。

 

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道教教団形成以前

 アニミズムというのは、宗教の始まりの形でした。教団や理論が形成される前に、ごく自然な素朴な万物に対する尊敬を表現するものとしてアニミズムは存在しました。たとえばアイヌ民族は人間のことをアイヌというのですが、人間以外のすべての物や動物や鳥や虫をカムイと呼びました。カミという日本語とどちらが古いのか分からないですが、カミよりも徹底して自然万物をカムイととらえました。岩波文庫では「アイヌ神謡集」という歌の記録がでていますが、日本だったら民謡集というところを神が歌ったものと名付けました。実際にそれはフクロウやキタキツネやサケが歌った歌として記録されています。そのような自然観は世界中にありました。
 中国では精霊を鬼神とよび天神・地祗[ちし]・人鬼の三種類があると考えました。天神は日月や寒暑、雨風などを指したが次第に上帝や皇天などの人格的な神のイメージになりました。地祗は山川、土地などのほか竃[かまど]、室内、門、水神などを指しました。そして人鬼は死者の霊魂で祖先の霊をはじめ、いいものも悪い物もすべて含めて魑魅魍魎をさしました。
 アニミズム、精霊信仰の中から、中国では巫術、陰陽五行説、神仙説、讖緯論、等が生まれ、それと道家思想の神秘的解釈が結びついて、道教の文化を次第に作って行きました。
 巫術はシャマニズムのことですが、古代中国人は霊魂を心霊的に見るだけでなく魂魄といった物理的な存在と捉えていました。巫術者は神降ろし(神がとりついて予言などをする)、夢の解釈、雨を降らせる祈り、占星術などをしましたが、医術も初めは巫術に含まれていました。心理治療が大きな意味を持っていたのです。陰陽は物事を2で割り切ってその組み合わせを考えて行く古代の論理学です。2で割り切れないことも多いので、もうひとつ5で分類して行くイメージの論理学を作りました。陰陽と五行を組み合わせると極めて複雑なことが説明できることがわかり、これが古代哲学の基礎になり、易もここから生まれてきました。
 神仙説はとくに荘子の中の真人にいろいろ想像を上乗せして、空を飛んだり永遠の生命を得たりする話が拡張して、道教の中で大きく発展しました。
 讖緯論とは世界の神秘主義的な解釈に基づいて、五行説のさらに複雑さを増した神秘主義ということができます。「緯」は「経」の反対語で地球の緯度・経度などにも使われますが、「経」が本に書かれた真実を言うのに対して、「緯」は本に書かれない神秘を意味します。秦の始皇帝がこれにこって、王宮の生活や戦争などすべてこの解釈でしたことはよく知られています。
 これらのものが集まって道教文化を形創りました。
 ここではっきり区別してほしいのは、道家と道教はまったく違うということです。
 道家は老子、荘子、列子などを呼ぶ言葉で、諸子百家の時代の哲学思想です。老子や荘子には宗教を作ろうという気はまったくなく、自分の書いた物がのちに宗教に利用されるとは考えもしなかったでしょう。
 それに対して、道教は宗教です。仏教は「中国化」はしましたが、インド発祥の物です。中国の歴史から生まれた宗教は儒教と道教ということができます。儒教はどちらかといえば北方の宗教で父=男権を象徴しました。道教は南方・揚子江流域のもので、母権制社会の影響を色濃く残しています。
 老子や荘子が活躍したのは紀元前450年くらいのころです。最初の道教教団である太平道は紀元後180年ころですから、時代的にも700年近くずれています。

 

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