風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

わたしを忘れないで

2020年03月02日 | 「新エッセイ集2020」
新しい朝が、どこからかやってくる。
明け方の、これも薄れかかった夢の中へ、ラジオの低い声が侵入してくる。
ニュースでもない、朗読でもない。アナウンサーの声に乗ってくるのは、誰かが放送局に送った「お便り」だった。
その年は、お雛様が飾れなかったという。
とおい終戦の年のことらしい。だいじなお雛様が食料の米に代わってしまったのだ。一粒の米が、人の命をつないだ時代の話だった。

その人はお雛様を手放したことが忘れられない。生きることが辛かった時代を忘れられない。
そう、その年の3月10日には、東京大空襲があり、10万人が命を落としたという。そんな時代のかなしい話だった。
お便りの人は、この季節になると、その失われたお雛様のことや、戦禍で亡くなった親しい人たちのことを、しみじみと思い出すという。
お雛様が繋いでくれた貴重な命を生き延びて、その人は無事にこの春を迎え、今もそのお雛様の行方を偲んでいるのだった。

わたしを忘れないで……
という小さな声が聞こえてくるようで、この季節になると、わが家のお雛様とも1年ぶりの再会となる。
戦後に生まれた、わが家のお雛様はいまも無事である。米に代わることもなかった。
贅沢な生活はできなかったが、米のご飯が食べられない日はなかった。なんとか平和な時代を生きてこれたといえる。

質素なお雛様だが、その年によって大きく見えたり小さく見えたりすることはあった。
娘が生まれた6畳ひと間の生活だった頃は、お雛様もそれなりの威厳があった。わが家の貧しい生活には似つかわしくなかったものだ。もう少しで、米と代わってしまいそうな生活だったかもしれない。
その後も住むところや生活によって、お雛様の表情も明るいときや暗いときがあったりした。

わたしを忘れないで……
という声は小さい。その小さな声に耳を傾けていると、楽しかったことや辛かったことなど、あんなことやこんなことや、ともにあった日々のことなど、いつも同じ話ばかりだったりするけれど、ぽつぽつと語りはじめてしまう。



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