風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

花は忘れていない

2019年03月12日 | 「新エッセイ集2019」

 

今年もハナニラの花が咲いた。
ハナニラはニラに似た強い匂いを放つが、それ自身も季節を嗅ぎつける鋭い嗅覚をもっているのか、ベランダの忘れられたような鉢に、いち早く春を運んでくるのもこの花だ。
ベランダでハナニラが咲き始めたのはいつ頃からだろう。
最初は、おそらく小鳥が運んできたものだろうが、ある年の春、うす青色の小さな花を見つけた。最初はひとつかふたつひっそりと咲いた。雑草にしてはきれいだなと思った。そんな春があった。
また、ある年には、ベランダの植木鉢のすべてを侵食するほどの勢いになった。その頃は家の中もにぎやかだった。幾度かは家もかわった。娘が結婚した。孫が生まれた。息子が家をとび出した。そして、そして、ハナニラも咲いた。季節はあわただしく巡って過ぎた。
そして、ふたたびの春、今年もまたハナニラの花は咲いた。ノボタンの鉢でわずかに生き残った球根だったが、すでに枯らしてしまったノボタンにはおかまいなしに、にぎやかなハナニラの春が始まろうとしている。いまのところまだ、花は一輪だけの寂しい春だけど。


★エッセイ集を本にしました
(A5判・本文168頁)
ご希望の方には差し上げます。
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送付先をお知らせください。


エッセイ集を本にしました

2019年03月10日 | 「新エッセイ集2019」

 

 

この1年間に当ブログにアップした文章を、
新たに改編や加筆修正をして、このたび
1冊の本(A5判・本文168頁)にまとめることができました。
いろいろと力の及ばないところもあり、
ひとさまにお読みいただけるようなものでもありませんが、
もしお手元にとっていただける方がありましたら、
喜んで差し上げます。
PC版はサイドメニューの「メッセージ」から、
スマホ版は「コメント」(公開非表示)から、
送付先をお知らせください。
折り返し送らせていただきます。

 

 

 


まだ虫だったころ

2019年03月05日 | 「新エッセイ集2019」

 

寒さにふるえているあいだに、時だけがすばやく走り去っていった。
2月のアンバランスな感覚に戸惑っていたら、もう3月になっている。3月だからどうということもないのだが、もうという思いがくっ付いてしまうことが、やはり日常の感覚と歩調がそろっていない。

カレンダーで、啓蟄という言葉が目にとまる。
今日の日付のところに小さく「啓蟄」(けいちつ)とあった。地中の虫が這い出してくる日だという。暖かくなったということか。虫は季節の変化をちゃんと知ってるんだなあ。
季節のことも曖昧で、啓蟄という言葉も知らなかったころ、九州の結核療養所に閉じこもっていたことがある。あのころはまだ地上の明るさも見えない、地中の虫だったかもしれない。

療養所での生活は、閉じ込められているという意識が強かった。初めの頃は遮断された外界のことが気になっていた。そのうち外も内もなくなって怠惰な生活にも慣れると、そこでの生活もそれなりに快適になっていった。
時間はいくらでもあった。将棋を指したり碁を打ったり、ウクレレを弾いたり、チャチャチャを踊ったり、本場所が始まると相撲賭博で一喜一憂する。
消灯後にはこっそりベッドを抜け出し、街に下りて屋台のラーメンをさがして歩いた。戸外を歩くことが下手になってしまったのか、足が地につかなかった。体に小さくて不器用な羽が生えているみたいだった。

病人なのに、元気でなければ楽しめない生活だった。しかし元気になれば、この生活も終わるのだった。
それぞれのベッドには、古参の顔があり新参の顔があった。若者も年寄りもいた。元気な人も弱ってる人もいた。朝刊を読んでた人が夕方には血を吐いて死んでいた。
どこも同じ壁がありドアがあり廊下があった。上下関係もなく利害関係もない。同病相憐れむではないが、同じ境遇だから誰とでも親しくなれた。そして別れも素っ気なくやってくるのだった。

親しかった人が退院する日をカレンダーで確かめる。そのとき啓蟄という漢字をはじめて知った。その言葉の意味は、まわりの誰も知らなかった。
それに、季節がどのように変わっていこうが、レントゲンの黒い影が無くならないかぎり、新しい季節は始まらないのだった。
啓蟄だろうが節分だろうが、暦のことはどうでもよかった。だいじなことは、それまで親しかった人が、その日をかぎりに外の世界に戻っていくということだった。カレンダーに記されているのは、そのことだった。

啓蟄という言葉は、別離という言葉の代名詞としてぼくの記憶に残った。
眠れない夜に、病室の白い壁をコツコツとノックしてみる。するとすぐにコツコツと返事がかえってくる。それらの音に意味があったか無かったか、夢の外でその残響を追い続けていると、鼓動が速くなって夜はますます遠くなるのだった。
白い壁をコツコツとノックしていたのは、外界に出ていく虫の言葉だったのかもしれないと、その意味を知ったのはずっと後のことだった。

啓蟄の日、太陽の下で飛び立とうとする虫は美しかった。
小さなテントウムシが、ぼくの掌のうえで羽を広げようとしていた。
虫はいくどもいくども飛びたつ試みをしたのち、やっと思いたったように掌を離れていった。そうやって新しい季節が始まるのを、ぼくは知った。
いまでも地中では、虫たちが白い壁をノックしているにちがいない。春の扉をたたくコツコツという音が、どこからか聞こえてくるような気がする。

 

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詩が生まれるとき

2019年03月01日 | 「新エッセイ集2019」

 

詩人の新川和江の『詩が生まれるとき』(みすず書房)を読んだ。
「詩はひかりのように、ひびきのように一瞬のうちに感受するものである」という詩人が、その一瞬の背景にあったものを回想し、「それぞれの詩が生まれた日の空模様や、芽を出したときの土のぬくもり、吹いていた風のこと、流れていた水のことなど」を書きとめたものが本書だと述べている。
ひびきを感受して書かれた詩と、そのときの土のぬくもりには切り離せない繋がりがあるという。

さらに詩の言葉は、大きな時間や空間を吸収しながら動いていく。
「半秒おくれて言語はやってくる」という。まずイメージがあり、そのイメージが言葉に昇華されていく。その過程に、詩人の感性の揺らぎが生まれる。それらのすべてが言語化されて一編の詩が生まれてくるという。
詩の言葉が生まれてくるまでの時間の中で、詩人の感性の揺らぎによって、さまざまな大切なものが醸成される。

すぐれた詩人の注釈は、言葉を限定するものではなく、言葉の領域を広げてくれるものだ。
次のような詩が紹介されている。

      「いちまいの海」

    うつくしい海をいちまい
    買った記憶がある
    青空天井の市場で
    絨毯商人のようにひろげては巻き
    ひろげては巻きして 海を売っていた男があったのだ
    午睡の夢にみた風景のようで
    市場のことは はっきりとは思い出せないが

3連からなる詩の最初の連。
実際に詩人は、そのような夢を昼間のうたた寝でみたらしい。
もちろん、詩は事実をそのままなぞったものではない。根底にある真実はそのままで、巧みな比喩の化粧によって作品化されるものだろう。
海の絨毯を売る日焼けした男の顔は、日ごろ心惹かれていたある男性にそっくりだった。それで、目覚めてからも恥ずかしい思いが残ったという。

そんな思いが、ひとつの海のイメージとして提示される。
その海に溺れもしなかったのは、「けざやかに引かれた吃水線をわたしが持っていたからだ」と、2連目で展開されていく。
海と船の均衡したイメージが、「けざやかに」凛とした詩人の姿勢となって、鮮やかに浮かんでくる。
だが、それも一時期のことで、海の絨毯は物置にしまわれたまま忘れられてしまう。
そして最終連へと歳月はとぶ。

あるとき一羽の鴎が、物置の戸の隙間からふいに飛び立ち、詩人をひどく狼狽させる。
最終連の終わりの4行、

    今頃になってよみがえって どうする
    剥げおちた吃水線を引き直す時間もわたしに与えず
    裏庭を水びたしにしはじめている
    あの海を どうする

「吃水線」や「鴎」や「裏庭を水びたし」にしはじめている海などの暗喩については、詩人はあえて説明しようとはしない。
読む者が比喩の鴎となって、絨毯の海へと飛び立っていけばいい。それぞれがそれぞれにイメージの海をひろげていく。そのとき詩を読むことの楽しさが広がっていく。

 

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