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熊澤良尊の将棋駒三昧

生涯2冊目の本「駒と歩む」。270ページ。ペンクラブ大賞受賞。
残部僅少、送料込み5000円。注文受付中。

目次

作品 文章 写真 販売品

台風並みの風

2025-05-04 10:13:39 | 文章

5月4日(日)、晴。
朝から強風、南風。

今朝は、新聞が見当たらず。でも、新聞休刊日ではなかったはず。
販売店に電話すると、「すみません、今から届けます」とのこと。
こんなことも、たまにはあるのですね。
良かった良かった。

昨日から、富山からの娘たち。
孫が3人。
ということで、この機会に、私が作った駒を一人ずつに渡すことにして、
古水無瀬、兼成卿水無瀬、錦旗、源兵衛清安など8組ほどを用意して、感想等聞きながら、一組づつ、それぞれに気に入ったモノを選んでもらうことにした。

それにしても、強風。
晴れているのに、台風並みの今です。


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現在の心境

2025-04-28 17:29:21 | 文章

4月28日(月)、雨。
相変わらず、毎日、日中は盛り上げの仕事をしています。
夕刻からは、時折りパソコンを。
今使っているこのブログのサービスが無くなるというので、このあいだ、他のサービスに移行させようかとも考えて、新しいブログサービスを立ち上げようと、試みました。
しかし、途中で行き詰まって、先へは進めません。
何度も試みたのですが、進めません。お手上げ状態。
ということで、今は少々諦めの気持ちが強くなっています。

まあー、もう少しやってみますが、上手くできなければ、これを潮時にパソコン、メール、SNSともおさらばすることも。
残された時間(日にち)はそう多くはありません。
現在は、そんな心境でおります。



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ジャストサイズの盛り上げ雛駒

2025-04-27 14:04:55 | 文章

4月27日(土)、晴。

本日の映像は、雛駒2点。
この雛駒は、玉将の大きさ(高さ)が28ミリ。
指での駒操作が、レギュラーサイズの駒と同じ感覚で使えるようにと、試行錯誤の結果このサイズで制作しました。

一つは「古水無瀬の雛駒」。


もう一つは「兼成卿(水無瀬)」。

いずれも、材は御蔵ツゲの柾目の盛り上げ仕上げで、数年前に制作したもの。桐の卓上盤(27✕30cm)がセットになります。
価格は、30万円(付属品付き、税込み)。
写真のような実用的な「文箱式の駒箱」と「フクロウ柄友禅染の良尊名入りの駒袋」が付きます。
 

なお、別途、榧製の卓上盤(別途3万円)も用意しています。
ご希望の方あるいは、お問い合わせはコメント(非公開)でどうぞ。

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将棋駒話三昧

2025-04-24 07:07:11 | 文章

4月24日(木)、曇り。
やや寒さを感じる朝です。
昨日は、東京からのお客様。「須〇さん」。
先日、美しい文字で丁寧な手紙をいただいての訪問でした。

前回お会いしたのが、確か椿山荘での名人就位式会場。
10数年ぶりかと。
そしてさらに遡れば、初めて彼の存在を知ったのが30年くらい前のことでした。
その時の手紙には「小学5年生」とありましたので、よく覚えています。「淇洲」の駒文字についてほしいとのことだったと思います。
熱心な小学5年生がいるもんだなあと、びっくりしました。

「須〇」の伏字を取れば、知っている方も多いのではないでしょうか。その後は天童に移り某氏に。その後は独立して今日に。

昨日の訪問の主な目的は、豊島龍山がらみ。
とにかく昨日は昼過ぎから暗くなる夕刻まで、4時間の積もり積もった将棋駒話の三昧、気持ちの良いひとときでした。

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ボチボチと進めます

2025-04-23 07:12:06 | 文章

4月23日(水)、小ぬか雨。

ソメイヨシノは、葉桜。所どころの山々に残るのは、山桜。

すっかり初夏の様相です。

先日、ブログの整理を始めました。
これまでの中から移し替えしたいモノだけをピックアップする作業。
未だ始めたばかり。
ひと月ほどはかかりそう。
ボチボチと進めます。

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水無瀬駒見学会のこと

2025-04-20 14:32:00 | 文章

水無瀬駒見学会の件。

ある方から、「見学会当日、見比べたいので、自分の駒を会場に持ち込んでも良いか。また、カメラを持ち込んでも良いか?」との、問いかけがありました。

これに対する答えです。
1、見学会は事務局の管理下で行われます。
  よって、水無瀬神宮の意向と事務局の判断によって決ま
  るわけですが、小生としては、「混乱を招きかねないの
  で、どちらもご遠慮いただきたい」と思います。
2、本件、加えて事務局の意向を確認したところ、
  「それは困る。どちらも、禁止する」ということでの
  返事がありました。

このことは当日、事務局より注意があると思いますが、参加の皆さんは充分ご理解のうえ、参加ください。

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出会いと幸運の女神

2025-04-20 14:31:02 | 文章

12月8日(日)、晴。
今日は、昨日より寒くなりました。

手元の「将棋ペン倶楽部・秋号」を読み返していると、水野保さんが書かれた「実力名人戦の発足ー関根金次郎十三世名人とその時代」という一文を見つけ、その中で、オヤッと眼についた下りがありました。

この中で下段に、関根名人が、当時の主催社学芸部長の阿部慎之助さんに贈った盤のことが書かれていて、それは小生が所有する将棋盤ですが、近年になって3回の名人戦に使われたことも書かれています。

チョッと宣伝がましいですが、記憶に従って少し書き足しておきますと、1回目は米長名人対羽生挑戦者戦(山口県湯田温泉)で、盤へは米長名人に「曙」の揮毫と対局者二人の署名をしていただきました。
それから12年の2回目は、森内名人対谷川挑戦者戦(石川県辰口温泉)。さらに12年経っての3回目は、佐藤天彦名人対羽生挑戦者戦(奈良県興福寺)。

1回目は、2週間前に行われた名人戦の控室で、担当記者の加古明光さんに「昨年、コレコレの名人戦創設に関わる将棋盤を手に入れた」と話したところ、「次の第3局に持ってこれるか」との誘いがきっかけで、山口県まで自分で運ぶことにしたところ、幸い、使われることになりました。
第2回目は、能美市にある北陸科学技術先端大学院大学(飯田先生)から、講演で呼ばれて日本旅館「まつさき」に泊まった時、社長に将棋タイトル戦に相応しいと説明し、「開催を希望してはどうか」と持ち掛けたのがきっかけで、幸運にも翌年の名人戦6局で、開催が実現した経緯があります。
第3回目は、地元の奈良県ということで、将棋連盟にお願いして使っていただいたきました。
以上のことはいづれも、出会いと幸運の女神がなされた結果であり、関係皆様と幸運の女神に感謝感謝、であります。

 

 

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25年ほど前の話

2025-04-20 14:30:24 | 文章

12月9日(月)、曇り。
今日も寒く、ブルブル震えました。

今は日本国中そういうこと。しばらく辛抱して春を待つことにします。

コメントで将棋盤について、最上品は天地柾だと書きました。
その天地柾の中でも「すだれ柾」が最上級ということになるでしょう。
すだれ柾は、木口の年輪模様が簾(すだれ)のように、上方から真っ直ぐ下にタラタラと垂れていて美しく、その数は少なく、私はほんの数台しか見たことがありません。

ところで、先日書きました「名人戦創設ゆかりの盤」ですが、その入手した時の経緯を思い出しました。
もう、25年以上(実際は28年くらいかもう少し)前のことです。
ある時、出張で上京して、仕事前にいつものように、上野池之端にある櫛店「十三や」さんを尋ねようと御徒町で下車し、商店街にある骨董店のウインドウの蒔絵の盤を見つけました。
この骨董店は、「十三や」さんに行く前後に良く立ち寄る店で、この日もそうでした。
ウインドウの盤は吉祥の貝の漆蒔絵がしてあって、貝は少し膨らんだり凹んでいたりとリアルそのもの。値段を聞くとかなりなものであった。その盤の蒔絵がこれ。

値段は少し高かったので、多少値引きしてもらって、思い切って買うことになった。

それから2カ月したある日のこと。
その骨董屋から電話があって「熊澤さん。またすばらしい将棋盤が入りました。どうですかネ?」と。
盤はもちろん日本榧。細かな柾目で厚みは五寸5寸2分。蓋には十三世関根名人の署名と揮毫があって、贈・阿部真之助殿とある。」とのことだった。
ウムム。これはただなならならぬものだと直感。詳細を尋ねました。
その結果、「分かりました。二~三日中に伺います。それまでは暗いところにしまっておいてください」と。
 ということで、急遽、千葉工場での仕事を作り、そのついでに(ついででなく、これが本命なのですが)骨董屋さんに立ち寄りました。

店の前に行くと、ウインドウに飾ってあるではないか。
これを見た私は、すぐさま「盤をむき出しで、ウインドウに飾るのは盤の為にならない。すぐに引っ込めてください」と言って、しげしげと眺めました。
盤は思っていた以上。まぎれもなく、昭和10年に始まった実力名人戦に関わるものだと分かりました。
「それにしても、このような盤はどうして手に入ったのですか」と尋ねたところ、「過日、さるところで内覧会があって、そこには立派な碁盤、将棋盤がいくつもあって、私はこれを落札しました」と。
「その内覧会は文京区のコレコレではないか」というと、「商売上の仁義で、詳しくは言えないが、よく分かりましたね」と。

実はその前に、水道橋にあったM碁盤店で「文京区にあるさるお屋敷の大企業の当主が、碁盤、将棋盤を集めるのが趣味で立派なものをたくさん集めていて、この間は、熊澤さんとそのお屋敷に、その内、一緒に見に行こうかと言っていたが、先ほど亡くなってしまった」と、聞いていたところだったのでした。

示された値段は、当時の我が家の年間家計費の半分くらい。それでも欲しいと思いました。
さてどうするかです。

この続きは、後ほど。


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25年前の話、その2

2025-04-20 14:29:59 | 文章

先の話の続きです。
この盤、さてどうするか。
ブログではどうするかと段落をつけましたが、その時の私は、とにかく買いたい気持ちいっぱいでした。

「この盤は、どうして手に入れたのですか?」と聞くと、「この間、さるお屋敷で披露販売会があって、立派な碁盤、将棋盤がいくつも並んでいました。その中で、これを落札したわけです」。
「そうですか。その、さるお屋敷というのは文京区では?」と問うと、「よく分かりましたね。しかし、それ以上のことは、商売上の仁義なので話せません」。

私には、実は思い当たることがありました。
と言いますのも、あるとき上京して、よく立ち寄っていた水道橋のM碁盤店を訪れたときのこと、店主曰く「文京区に財閥の当主がいて、その人は碁盤、将棋盤の収集が趣味で、すばらしいのをいくつも集めて、自分でも脚を作ったりで、鋸の目立てやノミの研磨などをこちらがやっている。時々ここにも来るのだが、今はコレクションの収納展示室を普請中で、その内、お屋敷にお連れしようか」。「ハイ、普請が終りましたら、連れて行ってください」と。
だが、最近になって尋ねたときには「あの話、当主が亡くなってしまった」と。残念に思っていたところだったので、骨董屋の話にピーンと反応したのでした。

ところで、示された値段はかなりなもの。我が家の経費の半年分くらい。
ザーッと盤を確認して、「買いたいと思っている。だが相談するところもあるので2~3日待って欲しい。それまでは厳重に箱に入れて、キズがつかないように、奥に直しておいてほしい」と、あわただしく、千葉に向かいました。
その途中、どこだったか、総武線の乗換駅で時間があったので、家内に電話。「東京に将棋盤があって、このようなモノはこれからは出会わない。コレコレの値段だが、許可が欲しい」ということで、許可を得て、骨董屋に「買うことにした。値段はこれぐらいにしてほしい」と。購入契約を終えたのでした。

話は、まだ続きがあります。
それはこの次。



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25年前の話、その3

2025-04-20 14:29:21 | 文章

前回の続きです。

その頃、私は日本将棋連盟の月刊誌「将棋マガジン」で、執筆をしており、名人戦米長名人対羽生挑戦者、第2局の取材で愛知県蒲郡の銀波荘へ行っておりました。

楽屋裏の控室では、立ち合いの先生、新聞記者に交じって私も話し込んだりしていたのですが、担当の加古明光記者に「この前、昭和10年に始まった実力名人戦ゆかりの将棋盤を手に入れました。それには昭和11年2月と関根名人の署名と、贈・阿部真之助殿とある」と話したところ、その盤を次の第3局に持ってこれるか」とのこと。
私は飛び上がって喜んで「ハイ、持ってゆくようにします」。
その3週後、奈良から山口県にある湯田温泉へ。

対局前日の検分でのこと。対局場には、2面の将棋盤が中央に並べられており、やがて対局者が入室。
一方の盤は既に予定されているモノで7寸近く、その横が私の盤で高さは5寸2分。その差は5センチくらいの違いがありました。
やがて、加古記者から、こちらは「実力戦ゆかりのもの」だとの説明があって、部屋は暫し静寂。
その間、およそ2分ほど。私は下手の片隅で息を殺しての緊張で、長い時間でした。

やがて、米長名人。「ヨシ、二つの盤を日替わりで使おう」。
私はホッと力が抜けたようで、初日に使っていただくことになったのでした。
盤には、米長名人によっての「曙」に、両対局者の署名。
「曙」は、将棋界の曙となった実力名人戦ゆかりの盤、という意味を込めて、これは私が寝ながら考えたもので、丁度その頃、横綱・曙も誕生し、私にとってはこれを取り持った加古記者の名前、明光(=曙)ということ
も含めてのものでした。


この続き。まだまだ。
ではこの次に。






 

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駒の写真集

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