Let There Be Love / Dee Bell・Eddie Duran・Stan Getz
スタンゲッツとの共演でボサノバの女王になったアストラッドジルベルトもその一人だ。元々ジョアンジルベルト夫人だったが、ブラジルに居た時はプロの歌手でもなんでもなかった。たまたま台所で歌っていたのを自宅に遊びに来たゲッツの耳にとまったとか、クリードテイラーがスタジオで歌をすすめたとか、デビュー作が生まれた裏話には諸説があるようだが。
いずれにしても、まだまだ珍しかったボサノバを、けっして上手くはなく、たどたどしい英語で歌ったのがウケたのだから、何がきっかけで何が流行るかは天のみぞ知るということだ。ゲッツもこの頃の活動は、新境地の開拓、そして新人の発掘とメインストリームジャズは少し休養といった感じであった。
このアストラッドジルベルトは本国ブラジルではまったく無名で、その後の活動ももっぱらアメリカ中心となった。そのせいかどうかは知る所ではないが、結局夫君のジョアンとは別れることに。人生結局何が幸せかは終わってみなければ誰もが分からないものだ。
さて、この時のパートナー、スタンゲッツはヨーロッパから帰ると、ニューヨークからサンフランシスコに居を移して活動していた。地元のコンコルドからもアルバムを出したが、これがなかなかの好プレー。ゲッツの本気のプレーが聴けるアルバムだ。
そのゲッツの所に、相談を持ち掛けたミュージシャンがいた。ギターのエディーデュランである。サンフランシスコを拠点としていたデュランとゲッツは旧知の仲。初めて共演したのは40年代。デュランがまだティーンネイジャーだった頃、このゲッツやパーカーとプレーを始めた早熟な少年だったようだ。ゲッツとはカルジェイダーのアルバムでも56年に一緒に演奏している。そんな関係の2人なので、相談といっても「折り入って」という感じだったのかもしれない。
このデュランがシスコの郊外、ゴールデンブリッジを渡ったところにある小さなリゾート地ソウサリートのレストランに出演した時、誕生日を迎えたお客さんがいた。お店から誕生日のプレゼントがあり、デュランと一緒に歌ったこの店のウェイトレスの歌声をこのデュランがすっかり気に入ってしまった。このウェイトレスが、このアルバムの主役Dee Bellであった。
話の勢いで「今度一緒にやろうよ」は良くある話だが、デュランはどうもいきなり一緒にレコードを作らないかと言ってしまったようだ。歌の勉強に地方から出てきたばかりで、まだ何の実績も無かった彼女にしてみれば晴天の霹靂。その相談でデュランはゲッツの元を訪れた。とりあえずは聴いてみなければという事になったが、ゲッツの答えは、「いいんじゃない、俺も手伝うよ」とうことで、このアルバムが生まれることに。
ゲッツとデュランがコンコルドのオーナーのカールジェファーソンに頼み込んだのだろう、トントン拍子に話は進む。ジェファーソンもゲッツと地元でお世話になって、アルバムも作ったデュランからの頼みとあらば、断わるわけにはいかない、かといって自分が自信を持って勧める訳にもいかないと思ったのだろう、アルバムは出すが、プロデュースを含めすべての段取りはデュランに任せた。
オーナーの快諾に気合の入ったデュランは自らホーンアンサンブルのバックのアレンジを書き、メンバーを集め、そしてゲッツの出番をしっかり作り、2人の出会いの思い出の意味もあったのだろう、自分のギターとのデュオもしっかりと入れて、このアルバムが無事完成した。
ブラスアンサンブルがバックに入った曲はボサノバ調で、エバンスのワルツフォーデビーも気合の入った歌であり演奏だ。ゲッツのバックも軽さが無く鋭さが目立つ。そしてデュランとのデュオがやはりしっくりくる。
そして、この2人はやがて結ばれることになり、デュランも住み慣れたシスコを離れ、2人でニューヨークに出ることに。その後もニューヨークを拠点にして2人で活動を続けたようだ。
ジルベルトの場合はゲッツとの共演がその後2人が分かれるきっかけを作ってしまったが、今回はゲッツが無事に仲人役を果たした。このアルバムは、1983年のバレンタインデーにリリースされたそうだ。何の事はない、このアルバムが彼女へのプロポーズとなったという訳だが、デュランにここまでお膳立てされれば、彼女もプロポーズにNoは無かったと思う。エディーデュランの努力賞ともいえるアルバムだ。
1. There's a Lull in My Life Mack Gordon / Harry Revel 4:43
2. Let There Be Love Ian Grant / Lionel Rand 3:30
3. This Life We've Led Nelson Algren / Fran Landesman / Thomas Wolf 3:31
4. Waltz for Debby Bill Evans / Gene Lees 3:54
5. You Must Believe in Sprin A. Bergman / M. Bergman / J. Demy / M. Legrand 4:37
6. Give Me One More Chance Eddie Duran 4:22
7. Reminiscing in Temp Duke Ellington 4:48
8. Living Inside My Mind Eddie Duran 4:13
9. Just Because We're Kids Dr. Seuss Fredrick 4:10
Dee Bell (vol)
Eddie Duran (g)
Stan Getz (ts)
Chuck Bennett (tb)
Cal Lewston (tp)
Carlie MaCarthy Jr. (as)
Willie T. Colton (congas)
Jim Dukey (bs)
Al Plank (p)
Bob Fisher (b)
Dean Reily (b)
James Leary (b)
Vince Lateano (ds)
Produced by Eddie Duran
Engineer : Phil Edwards
Recorded at Coast Recorders, San Francisco August 1982
Originally released on Concord CJ-206
スタンゲッツとの共演でボサノバの女王になったアストラッドジルベルトもその一人だ。元々ジョアンジルベルト夫人だったが、ブラジルに居た時はプロの歌手でもなんでもなかった。たまたま台所で歌っていたのを自宅に遊びに来たゲッツの耳にとまったとか、クリードテイラーがスタジオで歌をすすめたとか、デビュー作が生まれた裏話には諸説があるようだが。
いずれにしても、まだまだ珍しかったボサノバを、けっして上手くはなく、たどたどしい英語で歌ったのがウケたのだから、何がきっかけで何が流行るかは天のみぞ知るということだ。ゲッツもこの頃の活動は、新境地の開拓、そして新人の発掘とメインストリームジャズは少し休養といった感じであった。
このアストラッドジルベルトは本国ブラジルではまったく無名で、その後の活動ももっぱらアメリカ中心となった。そのせいかどうかは知る所ではないが、結局夫君のジョアンとは別れることに。人生結局何が幸せかは終わってみなければ誰もが分からないものだ。
さて、この時のパートナー、スタンゲッツはヨーロッパから帰ると、ニューヨークからサンフランシスコに居を移して活動していた。地元のコンコルドからもアルバムを出したが、これがなかなかの好プレー。ゲッツの本気のプレーが聴けるアルバムだ。
そのゲッツの所に、相談を持ち掛けたミュージシャンがいた。ギターのエディーデュランである。サンフランシスコを拠点としていたデュランとゲッツは旧知の仲。初めて共演したのは40年代。デュランがまだティーンネイジャーだった頃、このゲッツやパーカーとプレーを始めた早熟な少年だったようだ。ゲッツとはカルジェイダーのアルバムでも56年に一緒に演奏している。そんな関係の2人なので、相談といっても「折り入って」という感じだったのかもしれない。
このデュランがシスコの郊外、ゴールデンブリッジを渡ったところにある小さなリゾート地ソウサリートのレストランに出演した時、誕生日を迎えたお客さんがいた。お店から誕生日のプレゼントがあり、デュランと一緒に歌ったこの店のウェイトレスの歌声をこのデュランがすっかり気に入ってしまった。このウェイトレスが、このアルバムの主役Dee Bellであった。
話の勢いで「今度一緒にやろうよ」は良くある話だが、デュランはどうもいきなり一緒にレコードを作らないかと言ってしまったようだ。歌の勉強に地方から出てきたばかりで、まだ何の実績も無かった彼女にしてみれば晴天の霹靂。その相談でデュランはゲッツの元を訪れた。とりあえずは聴いてみなければという事になったが、ゲッツの答えは、「いいんじゃない、俺も手伝うよ」とうことで、このアルバムが生まれることに。
ゲッツとデュランがコンコルドのオーナーのカールジェファーソンに頼み込んだのだろう、トントン拍子に話は進む。ジェファーソンもゲッツと地元でお世話になって、アルバムも作ったデュランからの頼みとあらば、断わるわけにはいかない、かといって自分が自信を持って勧める訳にもいかないと思ったのだろう、アルバムは出すが、プロデュースを含めすべての段取りはデュランに任せた。
オーナーの快諾に気合の入ったデュランは自らホーンアンサンブルのバックのアレンジを書き、メンバーを集め、そしてゲッツの出番をしっかり作り、2人の出会いの思い出の意味もあったのだろう、自分のギターとのデュオもしっかりと入れて、このアルバムが無事完成した。
ブラスアンサンブルがバックに入った曲はボサノバ調で、エバンスのワルツフォーデビーも気合の入った歌であり演奏だ。ゲッツのバックも軽さが無く鋭さが目立つ。そしてデュランとのデュオがやはりしっくりくる。
そして、この2人はやがて結ばれることになり、デュランも住み慣れたシスコを離れ、2人でニューヨークに出ることに。その後もニューヨークを拠点にして2人で活動を続けたようだ。
ジルベルトの場合はゲッツとの共演がその後2人が分かれるきっかけを作ってしまったが、今回はゲッツが無事に仲人役を果たした。このアルバムは、1983年のバレンタインデーにリリースされたそうだ。何の事はない、このアルバムが彼女へのプロポーズとなったという訳だが、デュランにここまでお膳立てされれば、彼女もプロポーズにNoは無かったと思う。エディーデュランの努力賞ともいえるアルバムだ。
1. There's a Lull in My Life Mack Gordon / Harry Revel 4:43
2. Let There Be Love Ian Grant / Lionel Rand 3:30
3. This Life We've Led Nelson Algren / Fran Landesman / Thomas Wolf 3:31
4. Waltz for Debby Bill Evans / Gene Lees 3:54
5. You Must Believe in Sprin A. Bergman / M. Bergman / J. Demy / M. Legrand 4:37
6. Give Me One More Chance Eddie Duran 4:22
7. Reminiscing in Temp Duke Ellington 4:48
8. Living Inside My Mind Eddie Duran 4:13
9. Just Because We're Kids Dr. Seuss Fredrick 4:10
Dee Bell (vol)
Eddie Duran (g)
Stan Getz (ts)
Chuck Bennett (tb)
Cal Lewston (tp)
Carlie MaCarthy Jr. (as)
Willie T. Colton (congas)
Jim Dukey (bs)
Al Plank (p)
Bob Fisher (b)
Dean Reily (b)
James Leary (b)
Vince Lateano (ds)
Produced by Eddie Duran
Engineer : Phil Edwards
Recorded at Coast Recorders, San Francisco August 1982
Originally released on Concord CJ-206