テレビの録画というのは今に始まった話ではない。ビデオテープレコーダーなるものが世に出た時から、テレビの録画は始まっている。ビデオレコーダーは例のVHS対βの戦いで有名だが、家庭用のビデオが普及し始めたのは70年代の後半。VHS対βの戦いは80年代に入ってすぐだったと思う。要は、一般のテレビ視聴者にとって、テレビ録画というのはすでに30年の歴史がある生活になじんだ行為だ。テレビ放送を視聴することの延長で、見たい番組を録画して見たい時に見るのもごく一般的な視聴スタイルだ。
テレビの録画の前に、自分はFM放送のエアチェックということをよくやった。これは、これはせっかくのFM放送を聴きっぱなしにするのではなく、録音しておいて後で繰り返し聴くというのが目的だった。特に、好きなジャズのコンサートのライブなどでは良くやっていた。テレビの録画も実はスタートは同じだったかもしれない。一回限りの番組、あるいはライブなどを録画しておいて、いわゆるライブラリーにしてとっておくということもやっていた。
その内録画の便利さが分かると、放送時間に合わせて視聴できない時に、ビデオを使ってとりあえず録っておいて後で視るという使い方が増えてきた。家族がテレビを視ている時に、裏番組で自分の見たい番組をやっている時などにも便利だった。テレビが家庭に一台しかなかった時の、いわゆるチャンネル争奪戦の解決策の道具だったということだ。そして、いつのまにか自分の見たい番組は、とりあえずすべてビデオに録っておいて、好きな時間に視るという視聴スタイルもできてきた。また、番組全部を見るのではなく見たい所だけ見るという視聴方法もできてきた。生活者の視点で捉えれば、見たいテレビ番組をリアルで視るか、録画して後で視るかはその人の生活スタイルそのもの。「テレビ番組を視る」ということにおいてはどちらも違いは無く、結果的に同じ「テレビ番組コンテンツ」を見ていることになる。
視聴者の視点からすれば、「録画視聴もテレビを見るためのひとつの手段であり、当然《テレビ番組を視た》ことになる」
録画をする機器の方も、初期のテープから、DVDを経て、今はHDDとブルーレイに代わってきている。ビデオテープの録画はアナログであったが、DVD以降はデジタルデータでの記録に変わっている。放送自体もアナログからデジタルに変わったが、実はデジタルデータでの録画になって、著作権関連で大きな問題が生じた。要はデジタルデータはコピーしても劣化しないという特徴があるからだ。アナログ時代は、録画の複製を重ねると画質がどんどん劣化し、見るに耐えないもになった。したがって、昔は番組の映像の質もオンエア時とは違うものであり、あくまでも録画視聴はリアルタイム視聴のおまけのような位置づけであった。今では、デジタル化のお陰で、録画をしてもハイビジョン放送の高画質放送をまったく同じ品質で楽しむことができる。録画はおまけではなく、完全に「タイムシフト視聴」に不可欠な手段になっている。
実は、このリアルタイム視聴からタイムシフト視聴への変化の中に、ハード面でもソフト面でも次世代テレビ放送に関わる本質的な課題が潜んでいる。自分自身に照らし合わせれば、リアルタイム放送の視聴は「ながら視聴」が大半。音楽でいえばBGMでしかない。じっくり視る時は必ずといっていいほど、一人でタイムシフトで視る。音楽をオーディオ装置に面と向かって聴くように。どちらの場合も、CMはほとんど視ない。
ところが、テレビ業界では今でも録画視聴はあくまでも参考であって、リアルタイム視聴の視聴率だけでテレビ視聴を語っている。録画視聴をテレビ視聴の一部としてしまうと、一番の問題は今のリアルタイム放送の視聴を前提とするビジネスモデルが崩れてしまうからだ。実はこの問題はビデオテープによる録画視聴の時から問題になっていた。録画再生時のCMスキップの問題だ。この問題は、リアルタイム視聴が減っていなかった時は、あくまでも「おまけの録画視聴時の話」で片付けられてきたが、リアルタイム視聴が確実に減ってきてしまうと、この問題をもはや封印したままにして置く訳には行かない。録画が普及してからこれだけの長い期間が過ぎても、まだこの原則に則った議論、そして解決へ向けての対応がなされてこなかったのは不思議としか言いようが無い。がん患者がかなり前から自覚症状がありながら、がん宣告されるのが怖くて放置したままにしておいて、手の施しようが無くなってからいきなり死期を宣告されるようなものだ。
テレビ局の論理では、「録画視聴は視聴者が勝手にテレビ番組をみているだけであって、放送局の意図に従って編成されたリアルタイム視聴だけが《テレビ放送の視聴》だ」ということになる。
「テレビ番組視聴」と「テレビ放送視聴」では意味が違うということだ。録画においても録画率ではなく、録画視聴率が大事になってきた。
テレビの録画の前に、自分はFM放送のエアチェックということをよくやった。これは、これはせっかくのFM放送を聴きっぱなしにするのではなく、録音しておいて後で繰り返し聴くというのが目的だった。特に、好きなジャズのコンサートのライブなどでは良くやっていた。テレビの録画も実はスタートは同じだったかもしれない。一回限りの番組、あるいはライブなどを録画しておいて、いわゆるライブラリーにしてとっておくということもやっていた。
その内録画の便利さが分かると、放送時間に合わせて視聴できない時に、ビデオを使ってとりあえず録っておいて後で視るという使い方が増えてきた。家族がテレビを視ている時に、裏番組で自分の見たい番組をやっている時などにも便利だった。テレビが家庭に一台しかなかった時の、いわゆるチャンネル争奪戦の解決策の道具だったということだ。そして、いつのまにか自分の見たい番組は、とりあえずすべてビデオに録っておいて、好きな時間に視るという視聴スタイルもできてきた。また、番組全部を見るのではなく見たい所だけ見るという視聴方法もできてきた。生活者の視点で捉えれば、見たいテレビ番組をリアルで視るか、録画して後で視るかはその人の生活スタイルそのもの。「テレビ番組を視る」ということにおいてはどちらも違いは無く、結果的に同じ「テレビ番組コンテンツ」を見ていることになる。
視聴者の視点からすれば、「録画視聴もテレビを見るためのひとつの手段であり、当然《テレビ番組を視た》ことになる」
録画をする機器の方も、初期のテープから、DVDを経て、今はHDDとブルーレイに代わってきている。ビデオテープの録画はアナログであったが、DVD以降はデジタルデータでの記録に変わっている。放送自体もアナログからデジタルに変わったが、実はデジタルデータでの録画になって、著作権関連で大きな問題が生じた。要はデジタルデータはコピーしても劣化しないという特徴があるからだ。アナログ時代は、録画の複製を重ねると画質がどんどん劣化し、見るに耐えないもになった。したがって、昔は番組の映像の質もオンエア時とは違うものであり、あくまでも録画視聴はリアルタイム視聴のおまけのような位置づけであった。今では、デジタル化のお陰で、録画をしてもハイビジョン放送の高画質放送をまったく同じ品質で楽しむことができる。録画はおまけではなく、完全に「タイムシフト視聴」に不可欠な手段になっている。
実は、このリアルタイム視聴からタイムシフト視聴への変化の中に、ハード面でもソフト面でも次世代テレビ放送に関わる本質的な課題が潜んでいる。自分自身に照らし合わせれば、リアルタイム放送の視聴は「ながら視聴」が大半。音楽でいえばBGMでしかない。じっくり視る時は必ずといっていいほど、一人でタイムシフトで視る。音楽をオーディオ装置に面と向かって聴くように。どちらの場合も、CMはほとんど視ない。
ところが、テレビ業界では今でも録画視聴はあくまでも参考であって、リアルタイム視聴の視聴率だけでテレビ視聴を語っている。録画視聴をテレビ視聴の一部としてしまうと、一番の問題は今のリアルタイム放送の視聴を前提とするビジネスモデルが崩れてしまうからだ。実はこの問題はビデオテープによる録画視聴の時から問題になっていた。録画再生時のCMスキップの問題だ。この問題は、リアルタイム視聴が減っていなかった時は、あくまでも「おまけの録画視聴時の話」で片付けられてきたが、リアルタイム視聴が確実に減ってきてしまうと、この問題をもはや封印したままにして置く訳には行かない。録画が普及してからこれだけの長い期間が過ぎても、まだこの原則に則った議論、そして解決へ向けての対応がなされてこなかったのは不思議としか言いようが無い。がん患者がかなり前から自覚症状がありながら、がん宣告されるのが怖くて放置したままにしておいて、手の施しようが無くなってからいきなり死期を宣告されるようなものだ。
テレビ局の論理では、「録画視聴は視聴者が勝手にテレビ番組をみているだけであって、放送局の意図に従って編成されたリアルタイム視聴だけが《テレビ放送の視聴》だ」ということになる。
「テレビ番組視聴」と「テレビ放送視聴」では意味が違うということだ。録画においても録画率ではなく、録画視聴率が大事になってきた。