当店は、昭和45年に私の父が舞鶴で唯一の酒造蔵である池田酒造に15年勤務した後、独立創業いたしました。私は昭和43年生まれですので、物心がついたときには既に酒屋さんでした。当時は、お酒類は酒屋さんでしか販売してはいけないという法律、規制があり、人口基準と距離基準というものをつくり、国の重要な収入源であった酒税を保全する目的とどこでもいつでも買えないことの社会的規制が機能しておりました。ですから、今では全くない家庭への配達も多く中元、歳暮時期は超多忙で幼いながらも一生懸命手伝いをしました。遊びにどこかに連れて行ってもらったりすることはありませんでしたが、配達に同行したりして、いつも親に接していたことも結構楽しかったものです。
その後、私は学校卒業し、全く畑違いの道を進んだわけですが、蛙の子は蛙の子で、8年間の会社員生活を辞め、家業を継ぐことに。
時を同じくして、新店舗をオープンしましたが、バブル後の不況、デフレ、そして何より、酒類販売規制の撤廃、自由化により商況は減退。存続の危機を感じ、自分が納得いく酒を扱いたいと地方の蔵回りを始め10年、ようやく目処がたち、何とか展望が開けてきました。この間、家族はほったらかしで、随分と迷惑をかけてきましたが、今後は子供との時間を持とうと定休日を日曜日にしました。今は、両親と家内で楽しく酒屋さんしております。
ところが、昨日、父は体の倦怠感、腰痛、母は風邪、女房は土曜日で保育園休みの幼い子供の世話で誰も店に出て来れない事態に。忙しい週末に結局、私1人が元気で飲食店様への配達をしながら、空いた時間に店を開けるという不規則な営業に。
土曜日なので市外遠距離からのお客様が多く、閉店中にご来店された方には誠に申し訳ありませんでした。
やはり健康が一番ですね。体あっての仕事。土日で完治してもらえるといいですが。・・・