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11月22日

2020-11-29 17:48:21 | 日記
昨夜は眠気が来るまでプロ野球の日本シリーズを観ていた。スポーツ紙での評論家諸氏の予想では4勝1敗でソフトバンク勝利というのが多い。ゲームは千賀・菅野の両エースの先発となったが、菅野がソフトバンクの5番打者に2本の長打(本塁打と2塁打)を浴びた。ソフトバンクの監督である工藤公康君の顔を見ると、彼が愛工大名電時代に甲子園でノーヒットノーランを達成したときを思い出す。私は古い古い高校野球ファンなのだ。

NHK杯将棋は木村一基九段 対 藤井聡太二冠。藤井君は王位のタイトルを木村さんから奪って、名を上げた。短時間ルールの対局だから藤井有利と思っていたが、木村先攻の形になり、そのまま押し切った。藤井君らしさが見られず、残念。

友人のS君から電話があって夫人のK子さんに小さな癌がみつかって、治療のために週に5日間、放射線を受けるために通院しているとのこと。S君もK子さんも私のサラリーマン時代の同僚で、2人は社内結婚。今日は、いい夫婦の日だが、お二人もよい夫婦だ。放射線治療がどのようなものかは知らないが、病院行き以外は外出できないそうだから、辛い療養なのだろう。

大相撲は千秋楽。たったいま、家人応援の遠藤が勝っった。結びの一番はどうなるか。照ノ富士が勝って、久しぶりの決定戦が観られるか。今朝の血圧は125-78。

腕時計

2020-11-22 11:28:18 | 日記
会社の購買課に居た頃のこと、下請けのSさんと話していて、彼がいつも高級そな腕時計をしているのに気づいた。「すごいですね!100万円ですか?」と訊くと、「まさか、そんなにはしません」と笑顔になった。普通のサラリーマンの給料が10万円あるかないかの頃である。Sさんは町工場の副社長的な存在であって、オーナーの息子だったから、金はあっただろう。そのうちに外注先全体の寄り合い小旅行のようなものがあって、当然にSさんも参加した。いつもの作業服姿でなく背広である。彼には背広は似合わなかった。旅行があるので仕方なくその辺の洋服屋で既製品を買ってきたのだと想像された。私は、Sさんは腕時計マニアなのではないかと思った。そしてもう1つ余計な心配をした。仕事の際に高級品を腕に巻いていて、傷をつけたりしないのだろうかということだった。その頃は、もう誰かから聞いて、Sさんの時計は50万ぐらいだと知っていた。背広はオーダーメードで2万円で楽勝だったのも憶えている。

次女が、ちょっと洒落た腕時計をしているので褒めたら、「これ、3,000円」と言った。たぶん、使い捨てだろう。しかし、たとえば子供の結婚宴か何かに招かれて、きちんとした装いをした時でも立派に通用する品だ。時代が変わったのである。安くて見栄えのするものがナンボでもある時代になったのだ。こういう話をすると、必ず、でもホンモノはやっぱりいいと言う人が出て来るものだが、それはそれでいい。腕時計のおしゃれに限らず、たいていの着飾り、付け飾りは、自己満足が起点なのだから。

社内結婚

2020-11-22 11:18:59 | 日記
K子が私の居た製造部に配属されて来たのは地方の高校を出て2年目だったから、まだ19歳になるかならないかの頃だった。某日、私は外注先へ行った帰りにたばこ店でチョコレートを買ってK子に渡した。K子は礼を言いながら笑顔になった。初めて見る笑顔だったかもしれない。無理もない。同じ部屋にはほかに2人の女子社員がいるが、いずれも席が遠く、周りは男ばかりだった。K子の臨席に座るH君が「それは、3時になったら食べるんだよ」と注意事を言ったのが、斜めトイメンの席の私にもわかった。途端にK子の顔が朱に染まった。目が怒った。「そんなことわかっています!」と言いたいのを我慢したのだ。H君はそういう、言わなくてもいいことを口に出してしまうタイプだった。先輩ぶりたかったこともあったのだろうか。

それから2年余が経った。私が購買課に移ったり、多少の異動はあったが、K子とH君は同じ部署にいた。2人の近くにいる男たちの話や、いわゆる社内の噂によると、K子は別の品質管理課にいるS君と恋仲になっているとのことだった。製造会社ということもあって、独身の女性社員は少なかったし、反対に独身男性は多かった。そこから、あれこれの噂が出るわけだが、私はなんとなくK子とS君は似合っている感じがした。

それからまた1m年が経っただろうか。私が1人で部品倉庫にいるところへH君が近寄って来て、K子にプロポーズをしたことを告げた。私はすぐに昔のチョコレート事件を思い出した。ああいうことは尾を引くのではないかとも思った。

K子はS君と結婚し、今も時々は電話で話したりする。H君は江の島の老舗の土産物店の娘と結ばれて、店を継いでいる。ところで、現在でも社内結婚は多いのだろうか。それともネット時代だから、相手探しも昔とは違うものになっているのだろうか。

〇✖式

2020-11-19 10:22:46 | 日記
平成4年に宅建の試験を受けた。年齢と経験(不動産業での仕事をしたことがない、等)の条件から見ると、合格率は低かったが、設問のことを考えると、案外こなせるような気がした。テストはマークシート方式で全50問、1つの問題は4つの記述の中から1つの正答を選ぶ方法がとられている。つまり、4つの中に1つだけ〇があるわけで、いわゆる〇✖式とは少し違う。〇✖式では、4つの中にいくつの〇があるか、はわからないのだ。

昭和23年に学制改革が行われた。私はその中の新制中学の第一期生であり、また〇✖式世代とも呼ばれた。〇✖世代という呼び方には少々の軽蔑の響きがあった。つまり、「お前たちの学校のテストは、〇と✖をつけるだけで、記述を必要としない安易なものだ」といったような意味である。しかし、〇✖式では出題者も工夫する。なんとか間違えさせてやろうと考える。いじわるになる。

「次の中に三権の長に該当するものがあれば〇をつけよ」(これは私が中学2年か3年のときに実際に出題されたものである)。
(A)内閣総理大臣 (B)最高裁判所長官 (C)衆議院議長 (D)参議院議長

社会科に民主主義の授業があって、三権分立を教わっている。司法、立法、行政の独立性を教わっている。この問題の穴は参議院議長にある。三権の長だから3人なのではないか。ひとり〇でないのは参議院議長ではないか。たとえば、国家予算の案は衆院で可決されれば、参院で否決されても成立するということが教科書にあった。と考える優等生がいる。それが出題教師の狙いであり、4人列記されていて4人オール〇はないのではないかという頭も働く。私がハンデを背負いながら、宅建を突破したのは、昔の〇✖式がナンボか役立ったのかもしれない。

歌詞

2020-11-19 10:13:07 | 日記
●筑波の嶺の青雲を 遥かに仰ぐ若き眉(常総学院高校)
●朝日直射す富岡の阜 紺碧の波 額に迫る(横浜高校)
●果てしも知らぬ平原に 相模の流れせせらぎて(東海大相模高校)
●東雲の上野ケ丘に 花めぐり そびゆる甍みどり濃き(池田高校)
●大和平和にそびえ立つ 生駒の峰が松風が(大阪桐蔭高校)

甲子園に流れる高校の校歌には学校の周囲の自然を表す詞が多い。そういう中に、<やれば出来るは 魔法の合言葉>という珍しいフレーズが入るのが、愛媛の済美高校だ。珍しいどころか<魔法>の2文字を使った校歌は日本に1つだけだと思う。

サラリーマン時代は大人数の宴会が多かった。特に私は購買課勤務が長く、下請けの町工場のオッチャン社長の酒の相手をすることになるから、どうしても途中から歌が出る。そういうとき私はいつも『旅姿三人男』を唄った。私は30歳そこそこ、オッチャンは50代が主だから、裕次郎メロディーは合わない。『旅姿三人男』は酒に合う。<清水港の名物は お茶の香りと男伊達>で始まるのだが、これを浪花節調に語尾をのばして唄う。といっても私が歌が下手だから、すべて<つもり>である。のばしているつもりだった。この歌は3章まであるのだが、2章はぬかして、1と3だけ唄う。ラストの<森の石松 森の石松 好い男>のくだりでは、酒がまわっているのが自分でわかった。

一昨年、デイケアサロンでいっしょに雀卓を囲んだ2,3歳上の女性とお茶の時間に宝塚の話になった。もちろん私は宝塚のことはほとんど知らないから、話をきくだけである。途中で『すみれの花咲く頃』のことになり、先輩が小声でそれを口ずさんだので、私もそれに倣った。<君を想い 日ごと夜ごと 悩みしあの日の頃>、小声の合唱になった。<忘れな君 われらの恋 すみれの花咲く頃>と唄い終えると、先輩が、「こんなところで、こんな歌が唄えるなんて」と喜んでくれた。私がこの歌を知っているのは、山口瞳先生の愛唱歌であって、その記述を読んでいたからだった。そういえば、サロンに行かなくなって、もう1年以上経ってしまった。コロナにあれこれを邪魔されると、時の経つのが早いのだろうか。