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2020-02-23 11:47:46 | 日記
東京2020。東京五輪のマークがテレビに映し出される。これ、トウキョウニイゼロニイゼロと読む。この読み方が私にはわからない。なぜ、ニイレイニイレイでないのかがわからない。ニイゼトは和洋混読である。日本でやるオリンピックなのだから、0はレイでいいではないか。音だってニイレイの方が澄んでいてキレイではないか。あるいはニセンニジュウだっていい。ニイゼロニイゼロよりはマシだ。このゼロとレイのことは以前にも書いた。0.5は、日本人の100人中90人がレイテンゴと発音する。ゼロテンゴは少ない。それが、1.0となると、レイとゼロが半数ずつになる。音に対する感覚の問題なのだろうが、私はゼロよりレイの方が好きだ。

詳しくは知らないが、散歩番組とでも言うようなものがあって、5,6人の男女がアチコチを歩く。鮨店がみつかるまで歩くのだそうだ。そんなテレビをおもしろがって観る人がいるというのが、私にはわからない。考えてみれば(考えてみなくても)目的の店は必ずみつかるに決まっている。そうでなければ、番組そのものが成立しない。テレビ局(制作者)が充分に下調べしてある道を、歩きまわる。それだけの話だ。本当に面白いですか?

いろいろなテレビがわからなくなって来た。我が家はいつも、テレビ朝日がつけっぱなしになっている。昼食時には『やすらぎの刻』というドラマをやっていて、これはテレビ朝日自慢の一級品らしいのだが、私にはよくわからない。どこがおもしろいのかがわからない。石坂浩二さんが憂鬱そうな顔でウロウロしている場面が多い。昔の俳優が出て来る。わかるのはその辺までである。何を描こうとしているのかが読み取れない。いよいよ私も認知症の列に並んでいるのだろう。今は後列の方かもしれないが、1日1歩、3日で3歩前へ進んでいるのだろう。ま、84歳ならば、それが当然か。

介護

2020-02-23 11:40:47 | 日記
夜中に背中を叩かれた。天の手だ。慌てているような叩き方だ。「シビンが無い」という声がかぶさって来た。ボンヤリした頭で事の次第を理解する。寝る前に夫のシビンをトイレに持って行って、中身を棄てた。そのときに本体を忘れて来たのだ。「ちょっと待って」と声をかけ、急いで起き上がる。トイレを往復する間、我慢しろと願う。間に合わなければ、夫はシビンを入れてあるプラスチックの箱を使用するだろう。それをやられると、後始末が面倒になる。壁時計の針は短針が2と3の間、長身が6の位置にある。シビンに限らす、介護というのは厄介なものだ。ま、食事とトイレは自分でできるようだが、入浴は助けが要る。自分では湯船の蓋が開けられない。それに、老病人は風呂での事故死が多いらしい。食事もよくこぼすのでエプロンを使わせている。それでも、ズボンの前部を汚してしまう。ノロノロと時間をかけて酒を呑む。どうせ少し赤い顔になって眠くなるのだから、安い酒でいいだろうと思うのだが、ジョニ黒を欲しがる。止むを得ず、私がリュックサックを背負って酒屋へ行くことになる。

あれこれと病気が多い夫がなぜ84年も生きて、毎日酒を呑んでいられるのかが不思議でならない。本当は10年前の夏に、夫は胸部大動脈瘤破裂で死んでいたのであり、そのことはオペニ立ち合った数人のドクターが証言しているのだ。ところが、それが奇跡的に生還した。「死んだはずだよ お富さん」が生き返ったのである。そして、エッサオー源治店と介護が始まったのだ。そして、時々、夜中に起きたりするのだ。

以上は今日2月17日の家人のブログである。家人が文章を書くのは面倒だと言うので、夫である私が代筆した。


チョコレート

2020-02-23 11:30:39 | 日記
秋の一日、六甲山に登った。祖父母と叔父と叔母、それに祖父の会社の人達も一緒だった。目的は松茸狩りであって、山の中腹の一部分を借り切ってあった。その部分には松茸が樹の下にあって、すぐにはみつからないように枯れ葉などがのせてあり、それを発見するのが楽しみになっていた。近くに「あけぼの」という料理店があり、そこの世話できのこ狩りでとったものに牛肉や野菜などを加えてすき焼きを作り、山中の宴会になった。歌や踊りはなかったと思うがにぎやかだった。祖父は専売局から天下りして、神戸の樟脳会社の社長を務めていた。宴会の最中もオジサン社員たちが代わる代わる祖父母の席へ来て、徳利を差し出していた。子供は私だけだったから、みんなにチヤホヤされていた。酒を呑まない女性(男性社員の奥さん)たちに、祖母が、大きな平たい箱に入ったチョコレートを渡した。モロゾフのチョコレートだった。昭和14年か15年か、まだ日本は平和だった。最近でもモロゾフのチョコレートはある。私はその名を聞くと80年前を思い出す。

バレンタインデーに、長女から森伊蔵のチョコレートをもらった。ピストルの弾丸の先端を切り取ったような形のチョコレートの中に、焼酎が入っていて、つまり焼酎ボンボンであり、これが旨い。水割りのツマミにしてはモッタイナイので、水割りは他のツマミで呑み、最後のヒトクチのジョニ黒をストレートにする。文字どおりヒトクチだから、20CCほどか。まずは森伊蔵を口に入れる。すぐにチョコレートが溶け、上等な焼酎が舌の上に転がる。そこへ20CCのジョニ黒を放り込む。旨い!こういうのを幸福の味と言うのだろうか。贅沢の味と言うのだろうか。ま、私の頭に浮かぶ形容はその程度だ。森伊蔵のチョコレートは6個入っている。まだ5日楽しめる。

日章旗

2020-02-15 10:33:27 | 日記
今日は建国記念日。昔の紀元節である。私が幼かった頃、昭和14年だったか15年だったかに、紀元二千六百年という大きな祝典があった。同名の歌があった。「金鵄輝く日本の 栄えある光身に受けて~紀元は二千六百年 ああ一億の胸は鳴る」である。当時の日本の人口は一億には足りなかったらしいが、そう唄ってもいいような元気があったのだと思う。勢いがあったのだと思う。

戦前の祝祭日には家々の門前に日章旗が立った。日章旗は、現在は日の丸と呼ばれる。天皇陛下の正月の一般参賀の時などに、あるいは国際スポーツの応援の時などにその小旗が振られる。日章旗は国旗である。白地に赤く日の丸染めて、ああ美しや日本の旗は~である。

祝祭日の門前に国旗を立てる習慣は敗戦とともに消えた。門前の旗を作るとき、幼い私にも大事な役目があった。旗竿の先端の穴に黄金色の球を差し込む作業であって、それが嬉しくて仕方なかった。近所の家の旗と見比べて、自分の家のがいちばん大きく見えるような気がした。

祝日には門前に日章旗を掲げましょう、というキャンペーンをどこかのデパートで打ってみないか。もちろん、デパートでなくても、スポーツ用品会社でも、新聞社でもいい。これが当たって国旗が売れたら、大儲けになる。私が住むマンションにだって正面玄関はあるから、その両サイドに立てればいい。全国一斉に、は無理かもしれないから、1町1村から始めてもいい。A県のB町では祝日になるとすべての家の門に日章旗が立つ、とテレビで報道されれば、それは次第に広がっていくのではないか。と私は思ったりする。

2月9日

2020-02-15 10:25:12 | 日記
テレビでは手の洗い方まで教えてくれている。どこかのセンセイが手を洗った後に顔の洗い方、頭の洗い方まで実演してくださる。センセイの頭は禿げているので洗いやすい。日本中が新型肺炎の予防に懸命である。これからが大変、と別のセンセイが言い、マスクに予防効果は無いと、また別のセンセイが説明する。テレビはセンセイだらけだ。マスクは昔家庭で作った。家人に訊いてみると、ガーゼが手に入らないと言う。何かオイルショックの時を思い出す。

昨日は長女の誕生日だった。次女がケーキを届けに来たので、ついでに散髪をしてもらう。次女の床屋さんも、もう20数年になる。私の頭は角野卓造型であって、無毛地帯の横に少々の芝生が残っている。それだけでも、月に一度は手入れが要る。

競馬は東京新聞杯。昨日の東京メインで30.9倍を3点絞りで当てているので連勝したかったが、中心視した5番が凡走。昨年の競馬は不作だった。まもなく春のGⅠシーズンが始まるが、今年は久々の豊作とならないか。まだ勝負カンが戻っていないのか、テレビゲームのAI将棋もまた負けが多くなって来た。

歩行がシンドい。外出用歩行器で練習すると、すぐにハンドルに凭れかかるようになってしまう。運動不足だと家人が言うが、ペダルを踏み(800から1,000歩)は1日も休んでいない。つまり、トレーニング不足よりも、老化の進行なのであろう。前にも書いたように84歳の老躯は、1週間に168時間分衰えるのである。今朝は血圧測定を忘れた。